先輩、落とさせて。
椿原
第1話 視線の先は、先輩。
「は、初めまして! 佐野りつ、びゃっ、かです」
この事故紹介、もとい自己紹介を経て、私は過去進行形で落ち込んでいたんだよね。どこぞの本で、“自己紹介は掴みが大事”と書いていたのを思い出して。恥ずかしいったらありゃしない、とはこのことだと思うよ。
いや、だってさ! まさかピンポイントでひゃっくりが出る、だなんて思わないでしょう? あの後すぐに治ったから余計に腹が立ったんだよね。
見ずともわかるほど私の顔は真っ赤にそまっていたはず。耳に至るまで、真っ赤に。
そんな中、くすくす、と鈴の鳴る様な声が聞こえたの。か細いけれど、凛とした、綺麗な音。
それが先輩、原田伊月先輩との出会いでした。
あの日からまだ二週間も経っていない。いつもなら昨日の出来事すら朧げになるのにさ、あの時の音は鮮明に覚えてる。
「はぁ、先輩……」ふと呟いてしまう。それと同時に、ガラッと音を立てて扉が開いたものだから、無駄に席から立ち上がってしまった。
予想通り、先輩だったんだよ。すっごく気まずかったんだけど。
「呼びましたか、佐野ちゃん」
淡々と言われてしまった。先輩に嘘をつくのも申し訳ないから、「特に用事もなかったんですけど、呼びましたね」と返したわけ。五月には似合わない、じんわりとした汗を流しながら。
その後、何事もなかったかの様に、にこりと笑い合った。写真映え良さそうだな、って素直に思ったよ。良いカメラあったら紹介してくれない? お小遣いで手が届く程度で、ね。
部活の部員数は多くない。というより、私と先輩の二人しかいないのね。だから、部活、というより同好会というのかな。
もちろんほかの部員も居たんだよね。私が入る前には、の話だけど。
簡潔に言えば強豪校に引き抜かれたって話。先輩も声はかかってたらしいよ? でも断ったんだって。今度理由聞いてみるよ。……いや、聞いたことはあるからまたあとで話すよ。
あの日も、コツ、と石と木の板がぶつかる音がしていた。ぶつかる、って言ったら物騒だな……なんだろ、触れ合う音ってのが正しいかな?
そう思いながら、先輩に「それ、楽しいんですか」と聞いた。
視線がこちらを向くことはないから、集中しているんだな、と感心しちゃったよ。先輩にとっては楽しいんだろうなって。
数分後に先輩は手を止めて、こう答えたんだ。「楽しくないわけでもないし、楽しいわけでもないから、答えはないんですよ」ってね。
深すぎて、私には訳がわからないんだ。それは今も、なんだけど。
答える間も先輩の視線は独り占めされている。物に妬いてるなんて情けないと思うでしょ? でも、それくらい羨ましいの。一秒以上も先輩を独占する盤上の出来事が、羨ましくて、仕方なくって。
だからといって、私がそれを始めるきっかけになってはないんだけどね。
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