第116話 お前の光は、 今何処にある

 何が起こったのかは、ちゃんと理解している。

 でも、思考がついてきてくれない。ただはっきりと言えるのは――私がレイチェルに会うことは、もう二度とできないということだけ。


 震える手で、目の前に転がった一本の矢を拾い上げる。これが、レイチェルの成れの果て。


「約束、したのに」


 思わず声がこぼれる。恨み言の一つも言いたい気分だった。もう心の中はぐちゃぐちゃで、まともな思考もおぼつかない。

 ああ成る程。これではみんな黙っているはずだ。こんな様じゃ、まともに戦えないと分かっていたんだろう。


 そして私は、未だに絶叫を上げて地面に這いつくばっている勇者に、ゆっくりと近づいた。


 右目から始まっている黒い呪いの様な邪悪さを持った痣は、もう既に勇者の右半身を覆ってしまっている。流石の不死の王も、神の呪いはどうしようもないらしい。

 このまま放っておけば、全身がその呪いに飲まれることだろう。その呪いから発せられる濃厚な死の香りは、見る者の背筋を凍らせる。


 呪いに飲まれた魂は、一体どこへ向かうのだろうか。レイチェルならば答えてくれるかもしれないと思ったけれど、もう聞くこともできやしない。


「言い残すことは、ある?」


「おっ、おれはぁあづっ、ただっ、あいだがった、だけなのにっ……!!」


 そう言って、勇者は獣のような咆哮を上げた。それは怒りであり、嘆きであり、悲しいまでの慟哭だった。


 ――最後の時まで、繰り返すのはその死んでしまった誰かのことばかり。本当は、ただ純粋な願いだったのかもしれない。それがいつの間にか狂い、ねじ曲がり、こんな風になってしまった。


「――大丈夫。会わせてあげる」


 私はそう言って、持っていた矢を布で包み、腰のベルトに差した。これはもう、使えない。

 そのまま縋るような視線を向ける勇者の前に立ち、再度大剣を召喚した。もう、終わりにしよう。


「不死の王。死したる哀れな魂よ。――どうか彼の者がいる輪廻の理に帰るがいい」


 そう言って、私は大剣を大きく振りかぶった。もう仕損じたりはしない。絶対に。それが私に出来る、最後の優しさだ。


「あ、あぁ、まっで、いやだ、おれはまだっ……!!」


もう・・終劇だ。――眠れ、かつての同胞」


 そしてそのまま、私は真っすぐに大剣を振り下ろした。

 ぐちゃり、と肉を切り裂く嫌な感触が剣を伝って手に伝わる。もう慣れ切ってしまった感触だった。


 核を完全に破壊された勇者だったモノは、べしゃりと地面に崩れ落ちると同時に、さらさらと白い灰のようになって消えていった。

 ……呪いが体中に広がる前に命を絶ってあげたのは、私の慈悲だ。たとえ敵とはいえ、未来永劫呪いの闇に囚われ続けるのは、さすがに可哀想だと思った。

 

 その末路をしっかりと見送り、私はようやく結界を解いた。


 ――満点の星空が、空一面に広がっている。

 時間の感覚は分からないが、少なくともあれから半日、もしくは一日は時間が経過しているだろう。皆は、無事だろうか。


 あのスケルトンの大軍も、勇者という統率者を失えば直に動きを止めるはずだ。そうすれば、普通の人間だけでも何とか倒しきることは可能だろう。


 ――これで、全も終わりだ。何もかも、全て。


 そうして空を見上げて黄昏ていると、不意に背後から気配を感じた。何かがいる。ただ漠然とそう思ったのだ。


「……レイチェル?」


 期待していたわけではない。ただ、もしかしたら、とは考えた。――そんなこと、あるわけないのに。


 振り向いた先には、一人の少女がいた。いや、いたと称するには語弊があるかもしれない。だってその少女は、この世のものではなかったのだから。


 白磁の肌に、赤い瞳。まっさらな雪のような髪をした透けた霊体の少女は、私が折った勇者の刀の上で、ふわりと微笑んでいた。


 ――纏う空気が、どことなくレイチェルに似ている。そう少しだけ思ったが、あれはどう見ても別人だ。


 一瞬新手の敵かと思い身構えたが、どうやらそうでもないらしい。はっきり言って、少女から何の力も感じられないのだ。ただそこに在る・・だけ。それくらいの力しか感じない。


 少女は私に深々と会釈をすると、そのまま飛ぶようにして、灰となった勇者の元へと走っていった。それを止めようとしなかったのは、どうしてだろうか。


 何が起こるかもわからないのに、よく分からない存在と敵の死体を接触させてしまうだなんて、ただの自殺行為だ。

 危機管理の意味で言えば、どんな理由であろうとも、あの霊体ごと掻き消してしまったほうが私にとっては安全だったはずだ。


 ――本当に、どうしてだろう。


 そうして私が自問自答を繰り返しているうちに、白い少女は勇者の灰の元へとたどり着いた。少女はゆっくりとその場に膝をつき、その灰を労わるように撫でながら、言った。


『お疲れさま』


 声ならぬ声が、そう言葉を紡ぐ。そうして一瞬だけ泣きそうな顔をしたかと思うと、少女はぎゅっと胸を押さえて立ち上がった。そのまま、真っすぐに私の方へと顔を向ける。


 そして少女は、泣きそうな笑みを浮かべて私に言ったのだ。


『――止めてくれて、ありがとう』


 その言葉を残し、少女は夜の帳へと溶けていった。先ほどまで感じていた微弱な気配はもう感じない。


 ――ああ、そうかと得心がいった。


「あの娘がそう・・だったのか……」


 勇者が追い求めていた、大切な人。こんなにも近くにいたというのに、出会うことすらできなかったのか。

 あの娘がどんな存在だったのかは、今はもうわからない。ただ願うことができるなら――。


「……今度はちゃんと再会できるといいね」


 そう言って私は、再度空を見上げた。少しだけ欠けた月が、私を照らしている。


 ――全てが終わって、生き残って嬉しい筈なのにどうしてだろうか。


 ――――何で、涙が止まらないのだろう。







◆ ◆ ◆





 ――アンリが勇者を倒したのとほぼ同時に、各地では異変が起きていた。

 

 スケルトンの進軍が始まり、早二日目。出現地帯の近くにあった国々はほぼ壊滅的なダメージを負い、そこから円になって広がるように被害は拡大していた。

 スケルトン自体の戦闘力はそれほど高くないとはいえ、下手に追い詰めると連鎖的な爆発を引き起こし、その場にいた勇猛な戦士達の命を刈り取っていく。はっきり言って、二日間も士気が持ったのが奇跡なくらいだ。


 その背景には、参戦を約束していた竜族の協力や、他の幻想種達の助力があったからに他ならない。


 圧倒的な火力をもって敵を薙ぎ払う彼らがいたからこそ、ほんの僅かでも希望を保っていられたのだ。


 だがそれも、時間の経過によって段々と希望は薄れていく。


 ――一体戦況はどうなっているのだろう。

 ――魔王は敵を倒せたのだろうか。

 ――この戦いはいつまで続くのだろうか。


 そんな思いが、兵士達の心の中に渦巻いていく。疲労と絶望による士気の低下。心が折れるのも時間の問題だった。


――もう自分達はこの夜を超すことは出来ないだろう。そんな諦めの空気が兵達の間に走り始めた時、奇跡は起こったのだ。


 まるで糸が切れたかのように崩れ去っていく、スケルトンの死兵達。そのまま動かなくなってしまった骸骨の残骸を見つめながら、人間達は悟ったのだ。


 ――戦いは終わったのだと。


 そのすぐ後に、魔術を使った伝令が大陸中に響き渡った。


『我ら、大いなる侵略者を打倒しせり。――我々の勝利だ!』


 古めかしい言い方ではあったが、その言葉は戦いを生き残った全員の心に響いたのだ。


 ――伝令が聞こえた時、大陸中の人達は、この時ばかりはと、疲労や怪我を忘れて大きな声で歓声を上げた。魔族を凌駕する恐ろしい敵を、自分達の力で追い払うことができた。そんな高揚感もあったのかもしれない。

 被害がゼロであったわけではない。滅んでしまった国だってあるだろう。けれど、今この勝利を純粋に喜ぶくらいは、許されてもいいはずだった。


 ……そんな喜びの影で、廃城の残骸の元で一人、嘆きと悲しみに溺れ泣き叫ぶ者がいたことは、きっと誰も知らないのだろう。







◆ ◆ ◆






 ――同時刻、協力者である竜王ニルヴァーナは、障害物のない平原にて、スケルトン達と対峙していた。市街地ではあまり大きな攻撃は行えない。そう思っての選択だった。


 このまま一気に薙ぎ払ってしまおうと考えたその刹那、ぱりん、と何かが壊れるような音を聞いた気がした。思わず、動作を止める。


 するとどうだろうか、スケルトン達は統率を失ったかのようにうろうろとその辺を歩きだし、そのまま倒れるようにして崩れ去ってしまったのだ。

 その様子を呆然と見つめながら、ニルヴァーナはその理由を悟り、呟くように言った。


「――そう、魔王様が勝ったのね」


 そしてニルヴァーナは、戦いで傷ついた体をゆっくりと地面に下ろし、安堵の息を漏らした。多少の負傷はあれど、無事に生き残ることができた。それだけで、もう十分だ。


 ――あの魔王は一体どうしてるのだろう。疑問には思ったが、もう体は疲れ切っており、気が抜けてしまった今となっては、ふとした瞬間に眠りに落ちてしまうそうだ。


 しばらくの間うつらうつらと船をこいだかと思うと、ニルヴァーナはそのまま竜の巨体をばたん、と地面に倒し、意識を失ってしまった。


 次の日に、連絡がないことを心配に思った彼女の息子がスケルトンの残骸の上で、傷だらけで倒れこむ母親の姿を見て悲鳴を上げたのは、また別の話である。

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