第67話 悪食/浸食

 ――なんか寒気がした。


 うまく言えないけれど、まるで地雷原でタップダンスでもしているかのような、妙な緊張感が混じった怖気だ。嫌な感じ。


 そっと片腕をさすりながら、周りを見渡す。特に変わったものはない。……気のせいだろうか?


 勘が鈍ったかな、と思いながら、空のグラスをくるくると回す。レイチェルがこの場にいたなら、行儀が悪いと怒られたかもしれない。


「んー? どうかしましたかぁ?」


 そんな私の微かな変化を感じ取ったのか、私の背後からしがみつくように抱きついている最中のトーリが、そう声をかけた。


 ちらり、と頭上を見上げる。


 いつもよりも赤い頬に、高い体温。それはどう見ても酔っ払いのそれだった。


「トーリ、お酒臭い。あと全体重かけられるとさすがに重い……」


 かれこれもう数十分この拘束状態が続いている。

 普段であれば、しがみつかれても適当に誤魔化して振り払うんだけど、今回はそうもいかなかった。


 ……有体に言えば、脅されたのだ。『スキンシップをしましょう!』と。


 今思えば、度数の高い酒の空き瓶を片手に持ち、赤い顔をして近づいてきた時にさっさと逃げるべきだったのかもしれない。


「――怪我したの、黙っててほしいですよね?」


 確かに黙っててほしいけどさぁ、それはちょっと……。


 そう思ったが、私はぐっと不満を飲み込んだ。はっきり言って、ばれた時のお叱りの方が面倒だった。ガルシア最近小姑みたいになってきてるし。

 でもここで無理な要求をしてこないあたり、あざとい奴である。私が拒否しないギリギリを見極めている。


 でもいくら抵抗しないとはいえ、肩口に顔をうずめるのはやめてほしい。息がかかってぞわっとする。

 引っ付かれること自体は、なんかもう面倒くさ、……いや、慣れてしまったので別に嫌なわけではない。


 そのかわり以前にはちょっとは感じていた、異性に対する戸惑いとかそんなのはさっぱり感じなくなったけど。本人はそれでいいのだろうか。

 なんかもう人懐こい大型犬に見えるし。ああ、でも一応はネコ科なのか。猫要素は瞳くらいしかないけど。


 それにこいつ男のくせになんか甘い匂いがして、ちょっとムカつく。お前は女子か。今はそれ以上に酒臭いけども。


 機嫌よさそうにじゃれついてくるトーリを適当にあしらいつつ、小さくため息を吐く。


 ……突っ込むのも面倒で今までなぁなぁにしてきたけど、そろそろビシッと言った方がいいのかもしれない。

 今のこの状況は酒のせいだから仕方ないとして、流石に普段もこの距離感でいられるのあまりよくない。


 ――それに返ってこない想いを待ち続けるのは、向こうも辛いんじゃないだろうか。


 別に私だって嫌いってわけじゃないけど、私はいまいちそういうの・・・・・が分からない。

 歯の浮くような台詞を言われたり、女の子扱いされたりとか、急に抱きしめられたりすれば、それなりに動揺したり照れたりするだろうけど、――でもそれは『恋』とは言わない。言わないはずだ。


 別に私はフランシスカのように、愛とか恋を人生の重きに置くつもりはないし、わりとどうでもいいと思っている。

 いーじゃん、お一人様まっしぐらで。というのが本音である。諦めたと言ってもいい。


 ……でも最近だとガルシアの小言がうるさいしなぁ。アイツ今幸せの絶頂みたいな感じだから、けっこう強気だし。

 確かに、隣にいつも大切な誰かがいるっていうのは羨ましいものがあるけど。私が男だったらなら、タニアさんみたいなかわいい恋人がいいな。レイチェルとかフランシスカは、うん、……ノーコメントで。


 ちょっとは真面目に考えなきゃな、とは思うけど、なんだかなぁ。非常に気が進まない。本能が拒否するというか、恋をしたら死ぬ病気にでも罹ってるのだろうか。


 ――そもそも、そういうのを周りが急かすのはどうかと思う。本人の意思が何よりも大切だろうに。


 今だってそうだ。古参組は抱きつかれている様子を見て、あらあらまぁ、みたいな感じで遠まわしにからかってくるし。さりげなく外堀を埋めようとするのは止めていただきたい。


 トーリを知らない移民の子達は、私達を見るとぎょっとしたような顔をするが、私のうんざりした顔と、周りの反応を見て、何かを察したように去っていく。

 ……おい、助けろってば。現実はかくも非情である。


 フランシスカがいれば何とかしてくれたかもしれないけど、彼女は今ヴォルフのフォローに追われている。

 ヴォルフが明日を五体満足で迎えられるかは、彼女にかかっているといってもいい。


 ――酔っぱらい連中のどつきは容赦がないからなぁ。悪気はないだろうから、まぁがんばれ。


 からかわれる以外のデメリットとしては、動くのがちょっと不自由なくらいで、我慢しようと思えば我慢できる。

 それに最近は頑張っていたみたいだし、これくらいなら許してあげてもいいかな、とも思った。……やっぱり私は甘いのかもしれない。


 ただそんな私とトーリの様子を見て、レイチェルが遠くから舌打ちしていたのがちょっと怖かった。

 どうしたんだ、いったい。女神がしていい顔じゃなかったんだけど……。


 何か言われるかなと思ったが、予想に反して、レイチェルは何も言わずにユーグ達がいる方に去って行った。


 思いかえせば、レイチェルは基本的にトーリがいる場所には寄り付かない。トーリはこれでもいちおう、この世にごく僅かしかいないレイチェルと意思疎通が取れる人材なのに。……それでも避けるなんて、本当に相性が悪いようだ。


 ――まるで修羅場中の正妻と愛人のようだな、という言葉は飲み込むことにする。

 いくらなんでもそれはないだろう。いや、経験したことがないから何とも言えないけど。


 ――あれ? そもそも修羅場以前に、よく考えてみれば、私って初恋というものを経験した記憶がないんじゃ……?


 その事実に思い当り、衝撃を受けた。

 おいおい、私もうすぐ二十歳なんだけど。それってちょっと人として大丈夫なの? え?


 すでに女子力うんぬんの問題じゃなくなっている。これはもう愛とか恋とか言ってるレベルの問題じゃない。生物としてヤバい。

 前の魔王の呪い? 呪いなの? いや、それは流石に言いがかりか……。


 顔を青くした私に、トーリは不思議そうな目線を向けたが、特に何かを言われることはなかった。

 あまり自分にとって良い事ではないと、何となく察したのだろう。

 むやみに藪を突いて蛇を出すつもりはないようだ。まぁ、懸命といえば懸命なのかもしれない。


 トーリが空気を変えるかのように、楽しげな声で口を開いた。



「ふふっ。ねぇ、ナナミさん。今日は楽しかったですか?」


「まーねー。久々にスリルがあってよかったかな。いい運動にもなったし」


 それなりに楽しめたし、色々な発見があって驚いた。

 どうやら私が思っている以上に、みんな成長しているらしい。本当に喜ばしいことだった。


 片付いていない問題はいくつもあるし、完全には順風満帆とは言えないけれど、それでも前に進めている。何だか、ようやく地に足がついたような気がした。


 昔の偉い人はこう言ったそうだ。

『――人の本当の値打ちは、宝石でもなければ、黄金でもない。地位でもなければ、名誉でもない。ただ信念に尽きる』


 誰かのために協力しあえる人々がいるこの国の価値は、きっと黄金にも勝るだろう。

 

 あ、なんか今の王様っぽいかも。なんて、ね。


 そんなことを考えながら、テーブルの上のサンドイッチを手に取り、頬張る。

 可もなく、不可もなく。そんな味だった。


 皿からもう一切れを手に取り、おもむろにトーリの口に押し込む。いきなりのことに驚いたようだったが、それでも無言で口を動かしている。……なんだか餌付けしているような気分だ。


 とくに変な顔もしてないし、どうやら私以外でも問題なく食べられる出来だったようで安心した。


 今回は国民のほぼ全員がゲームに参加していたため、この宴会の食事を用意できる者がベス君しかおらず、少しだけ心配だったのだ。

 ベス君の料理は当たり外れが大きい。それはベス君のせいではなく、恐らくは私の『舌』のせいだろう。


 ――これは別にどうでもいい話なのだが、私の親族は総じて料理が下手である。

 年の離れた姉と祖母にいたっては、もう産廃レベルと言ってもいい。

 だが両親を幼い頃に亡くした私には、日々の食事はそのどちらかに頼るしかなかったのだ。


 笑えないのは、彼らは自分が料理下手――メシマズなことを理解していることだ。


 大体は配達の弁当か、近所の人のご厚意で何とかなっていたのだけれど、たまに何を血迷ったのか手料理が出てくることがあったのだ。

「今回は上手にできた気がするの」という言葉に私が何度だまされたことか。下手の横好きも大概にしてほしい。……私もそんなに人のことは言えないけども。


 そんな幼少期を送ったためか、私の舌は料理の出来に非常に寛大になった。

 ぶっちゃけ毒性さえなければ、味はどんなに悪くても食べられる。つまり、ストライクゾーンがとんでもなく広いのだ。


 べス君は料理を作る際、主である私のその味覚を参考にする。

 ……これでベス君作の料理の当たり外れが大きい理由を理解してもらえただろうか。


 ――でも薄々気がついてはいたけど、私の親族ってけっこう独特だよなぁ。


 近くにいる時は気にならなかったけど、こうやって遠くにいるとその特異性がよくわかる。

 だいたい飯マズだし、基本的に一芸特化の破天荒な人間ばっかりだし、悪運は強いし、他にもいろいろ。


 それに実の祖母からして、神職のくせに猟銃もって猟友会の狩りに参加しちゃうくらいアクティブな婆さんだしなぁ。

 ……獣の血は、いわゆる穢れではないのだろうか。私がそう聞くと、「一部を供物にすればへーきへーき」と軽く返された。いや、仮にも当主がそんな適当でいいのか。私にはさっぱりわからない。


 他の親戚もやっぱり変人が多い。でもこれを私が言うと、いつも「お前が言うな」と心外そうな顔で反論された。

 確かに私はちょっとお転婆だけど、素行はわりと普通だったはずだ。納得がいかない。


 ……今となっては、私は『神隠し』にあってしまった変人の筆頭なんだろうけど。レイチェルはその点もふまえ、もっと真剣に私に優しくするべきだと思う。


 ――でもこの私が『神隠し』だなんて、本当にお笑い種だよなぁ。

 あの頃は、『神様は存在するんだろうけど、べつに私にはあんまり関係ないよね』くらいの信仰心しかなかったのに。

 霊感だってほぼゼロだし、そもそも今まで心霊現象にあった記憶がない。


 この前ヴォルフにも、実家が神職の家系だと伝えたが、私は主祭神の名前すらろくに覚えていないし、他の親族もそこまで信仰心が高いようには見えなかった。


 それでもまぁ、私の魔力が異常に強かったりするのは、そういう血筋の影響が大きいのかもしれない。一応ご先祖様に感謝しておこう。名前知らないけど。


 ――姉さんあとつぎがいたから、私にはあんまり関係がなかったからなぁ。

 堅苦しいことはまったく興味なかった上に、そもそも理由は覚えてないけど、本殿は出禁くらってたし。


 本殿の裏の池と森はこっそり出入りしてたけど、ばれた時に死ぬほど怒られた。

 勝手に入って、結果イノシシとタイマンすることになったんだから、怒って当然だろうけども。


 いやぁ、あの時は通りすがりのお兄さんが大声でイノシシの気を引いてくれなきゃ逃げ切るのも危うかったな。

 関係者以外立ち入り禁止の森にいたんだから、おそらく神社の関係者だろうけど、誰だか分からなくてお礼も言えなかった。それはちょっと反省している。

 祭事関係もできるだけ参加しないように言われていたから、関係者の顔を知らないのは仕方ないことなのかもしれないけど。


 ……――でも本殿に出禁になるよりもずっと前。

 本当に幼いころに、祖母が祭事をしているのを見たことがある。

 いつもは飄々としている祖母が、あの時だけはひどく真剣な様子で祝詞を叫んでいたような気がする。


 けど、あれは祭っているというよりむしろ、まるで何かを封じて・・・いるかのような――。



「……どうかしましたか?」


「――っ、ああ、うん。ちょっとぼーっとしてただけ」


 トーリの怪訝そうな声に、一気に現実に引き戻される。


 ……あれ、さっきまで何を・・考えていたんだっけ?


 いきなり声をかけられたためか、びっくりして考えていたことが飛んでしまった。


 ――ああ、そうそう。実家のことを思いだしてたんだっけ。食べ物のことから随分と思考がそれたな。

 ――でも、もう会えないと思うとちょっと寂しいな。

 何となくしんみりした気分になる。色々と割り切ってはいるつもりだけど、やっぱりちょっと物悲しい。


 ……あー、もう止めよう。今更そんなことを思い出したところで、何がどうこうなるわけでもないし。

 そもそも、なんで実家のことを思い出したんだっけ? ――変なの。







◆ ◆ ◆





 ――古来より『名前』とは、個人を縛るもっとも短い『まじない』だとされている。


 力があるものがその者の『真名』を知れば、それだけで操り人形にすることも可能だとされている。

 だからこそ、自身の名を口に出すときはそれなりの覚悟をしなくてはならない。


 神職につく者は、そのことを嫌というほど上の者に教えられる。

 そうしなければ、――神様に気まぐれに浚われてしまう危険性があるからだ。


 西洋の神々はともかく、日本の神は八百万やおよろずといわれるだけあり、多種多様だ。

 そう、中には人にとって悪しき存在でも神になりうる可能性がある。


 今は『アンリ』と呼ばれている彼女――七巳りゅうは、そのことを祖母から教わっていた。まぁ、ほとんどは忘れかけているだろうが。


 でも記憶の片隅とはいえ、彼女はそれを覚えていた。

 だからこそ召喚の際にもきちんと偽名を名乗り、自身を守ることができたのだ。


 女神レイチェルにすら告げなかったその名を、あの日トーリに告げたのは、ようやくこの世界で生き抜く覚悟ができたからだろう。


 ――だが彼女が紡いだその名の後半は、トーリには聞き取れなかった・・・・・・・・


 はてさて、――その名を縛っているのはいったいなのだろうか?


 それこそ神のみぞ知る、というやつなのかもしれない。

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