第152話 その十四

 その階層に降り立った時、目に映るものほとんどが赤色だった。例外は暗雲立ち込める空くらいなもので、それ以外は光源の役割も果たす灼熱の溶岩によって支配されている。


 ゴツゴツとした陸地とマグマによって進入不可になっている場所の割合はバラバラで、割と余裕を持って戦えそうなところもあれば、狭い一本道のようになっているところもあった。


 遠くを見れば今にも大噴火を起こしそうな活火山が鳴動し、高所から流れ落ちるマグマの滝がチラホラ見て取れる。紅蓮の洞最難関にしてミスリル級冒険者への登竜門。


 第六階層、溶岩地帯。実質最下層であるこの場所に、コアたちはとうとう足を踏み入れていた。


(すご……。これがリアルで見るマグマ。映像で見るのと実際に見るのとではやっぱり全然違うな)


 どうしたって、目の前にすればその威容に圧倒されてしまう。


 ドロドロとした溶岩の動き。流れ落ちた時の飛沫。音。そして、暑さ。それらからは大自然の活力が感じられて…………と、思ったところでコアはふと違和感を抱いた。


(……いや、そんな気がしただけで、別に暑くはないな。……どうして暑くない? 汗もかいてないし、これはさては、メイハマーレかアテンが何かやってるな?)


 溶岩地帯で汗一つかかないのはどう考えてもおかしい。通常であれば快適に過ごせるのは大変素晴らしいことだが、今のコアはこの階層の雰囲気を身体全体で味わいたかった。


 なので、この状態を解除させることにしたのだが、コアにはどっちが何をやっているのかが分からない。そのため、コアは二人と目を合わせないようにしながら曖昧に指示を出す。


「……気遣いは嬉しいが、俺はこの身体で直にこの階層を感じたいのだ。俺に快適に過ごしてもらいたいと言うお前たちの気持ちも考慮して少しの間だけで構わん。分かるな?」


「ハッ。差し出がましい真似をして申し訳ございませんでした。すぐに解除いたします!」


 コアの指示に答えたのはメイハマーレだった。ということはこの快適さの正体は空間能力によるものか、などとコアが考えていると一気に体感気温が上昇する。


 暑さによって鼻腔が焼かれ、肺の中に熱気が入り込んで呼吸が苦しい。慌てて口呼吸に切り替えると幾分マシにはなったが今度は汗が玉のように吹き出してきた。


 予想以上の厳しいコンディションに、コアはこの階層が最難関だと呼ばれる所以を思い知る。


(立ってるだけで体力と気力がどんどん消耗される。……こんな中でモンスターたちと戦わなければならないってマジ? これは階層そのものが罠みたいなものだな……。やっぱり過酷な環境の階層は有用だ!)


 そもそも冒険者ではないコアは結局のところ考え方が防衛側に偏る。


 勿論冒険者たちだって無策で攻略に挑むわけではない。マジックアイテムと言う便利なものがある世界だ。万全の準備を整えればほぼほぼ暑さ対策は可能だった。


 しかしそれは逆を言えば準備を強いることができると言うこと。冒険者たちが訪れる頻度を調整したい時などは有効に使える手段となるだろう。それが実感できただけでも、これからのダンジョン運営を考える上で来た甲斐があったと言うものだ。


 満足したコアは二人を引き連れて引き続きダンジョンを進む。当然、メイハマーレに快適フィールドを戻してもらってから。




 どうやら偶然にも今この階層にいるのはコアたち三人だけだったらしい。道幅の狭い場所を進んでいると、さほど時間を掛けずにモンスターと遭遇できた。


「おぉ、あれが一種類目のモンスターか。なかなか可愛い見た目だな」


「レッサードレイクですね。私たちからしてみればただの雑魚に過ぎませんが、冒険者たちからすると溶岩に耐え得る鱗と、火の玉を吐き出すようなブレスが脅威になるようです」


 アテンが教えてくれたように、道を塞ぐように現れたモンスターはレッサードレイクが二体。端的に言ってしまえば、全長が二メートルぐらいの大蜥蜴だ。


 赤と黒のぶち模様をしており、全体的に丸みを帯びたフォルムをしている。おそらくここから進化していけばドレイクの名に恥じない立派な姿になっていくのだろう。


 第五階層で見たモンスターがオークやトロールなど、なかなかに威圧感のあるモンスターだったために、どこかほのぼのした気持ちになってしまうコアだった。


 しかしここはダンジョン。油断した者に死をプレゼントする魔窟だ。


 レッサードレイクに目を奪われているコアの死角から何かが突撃してくる。コアに分かったのはそれはモンスターだと言うことだけだった。


 通常ならばこれで命を落としてもおかしくはなかっただろう。しかしコアの護衛についているのは尋常ならざる二つの存在。初めから、コアに危機など訪れていなかったのだ。


「やっと出てきた……。どうぞご覧ください、御方。これが二種類目のモンスター、レッドケルピーです」


「ご、ご苦労だった、メイハマーレ」


 溶岩の中から飛び出してきたのは馬のようなモンスターで知られるケルピー、その中でもマグマに適応した亜種レッドケルピーだった。


 仄かなピンク色の体に、本来ならば毛が生えているたてがみや尻尾といった部分はゆらゆらと揺らめく炎でできている。脚は前脚の二本だけしかなく、蹄は平べったく水かきのように最適化されていた。


 体の後ろ半分からは長い尻尾のようになっており、マグマの中で強い推進力を得ると共に有効な攻撃手段にもなりそうだ。メイハマーレの触手によって、首から吊るされて宙ぶらりんになっているためマジマジと観察することができた。


 コアの『モンスターを見たい』と言う願いに応えるため、この時を待っていたのだろう。レッドケルピーの熱に触手を焼かれながらも不満を言わず持ち続けているメイハマーレには頭の下がる思いだった。


「……もういいぞ。熱いだろうに、よく俺の要望に応えてくれたな。感謝するぞ、メイハマーレ」


「いえ、この程度どうと言うことはありません。既に用済みだと仰るのであれば、御方のダンジョンに送っておきましょう。ただその前に、畏れ多くも御方に襲いかかった罰は与えなければなりませんが」


 メイハマーレはそう言うと、レッドケルピーを地面に強く叩きつける。反動をつけた上に怪力によって容赦なく落とされたレッドケルピーはそれだけで虫の息となり、そのままメイハマーレのゲートを通って消えてしまった。


(……南無。良い奇襲だったぞ。ダンジョンでエネルギーとして巡り、いつの日か俺の役に立ってくれ)


 地形を活かしナイスガッツを見せたレッドケルピーにエールを送る。


 さてそれで、レッサードレイクの方はどうなったかなとコアが前を向くと、そこにはもうレッサードレイクたちの姿は無く、こちらのやりとりが終わるのを待っていたアテンがいるのみだった。


「それでは行きましょう」


「……そうだな」


(片付けるの早すぎない?)


 アテンはいつも仕事が早く、それ自体は大変結構なことなのだが、レッサードレイクは可愛らしい見た目だったこともあり、もう少し見ていたかった気もする。


 そんな風に残念に思うコアだったが、アテンはアテンなりに急ぐ理由があったようだ。緊急事態を知らせてくる。


「どうやらヴァリアント種が生まれたようです。今は同じ場所に留まっているようですが、如何しますか?」


「行こう!!」


 その瞬間、コアの頭の中はまだ見ぬレアモンスターのことで埋め尽くされる。そこにレッサードレイクのことなど、微塵も残ってはいなかった。




 逸る気持ちを抑えながらアテンに案内されること数十分。比較的広めの陸地が確保されている広場の中心に、それはいた。


 焔のケンタウロスだと、コアは思った。


 前脚から頭の天辺までは二メートルを少し越えたあたりか。顔は人面ではなく馬に近いもので、首から下のガッチリした胴体だけが人と似ている。


 腰から下の馬の部分は赤い体毛で覆われており、馬特有の流線型の美しさに惚れ惚れする。四脚は力強く、素早くどこまでも駆け抜けていきそうだ。


 頭髪や尻尾はオレンジ色の炎。他にも蹄の側面などに揺らめく炎が見られた。ヴァリアント種らしく銀の馬鎧にその身を包む姿はまるで騎士のようで凛々しさを感じさせる。


 右手に持つ長く太い剛槍は、一度振り回せば甚大なる被害を齎すであろうことは容易に想像できた。


 一目見て強いことが分かり、ボスのような貫禄すら漂わせるそのケンタウロス。だが、そのケンタウロスを前にしてコアたちは身構えたりはしなかった。


 生気が感じられなかったからだ。生まれたばかりと言うよりは、人生の迷子と言う印象を受ける。とても戦いに突入するような雰囲気ではなかった。


 それでもダンジョンモンスターとして戦うと言う本能が働いたのか、コアたちが近づくにつれて槍を持つ手に力が入っていく。


 腕の力コブが盛り上がり、石突きが地面から離れてケンタウロスが戦闘態勢に入ろうとした時、コアは待ったをかけた。


「本当にそれでいいのか?」


「……」


 コアの声にケンタウロスの動きが止まる。コアには、接近することによってケンタウロスの声が聞こえていた。


 『何故、自分は生きているのか』という、思春期真っ盛りに抱くような悩みの言葉が。


 意味のある言葉として聞こえたと言うことは、このケンタウロスには自我があると言うこと。それはつまるところ、意思の疎通が可能であることを示しており、コアはこれをチャンスと捉えていた。


 ケンタウロスが抱える深刻な悩みとは裏腹に、コアは己の願望を叶えたい一心だったのだ。『この子、ウチに欲しい』という願望を。


 よそ様のダンジョンに所属するモンスターを略奪するという行為は賛否両論分かれるところだろう。もしコアがやられたならば、絶対に、意地でも相手の住所を特定し、毎日午前二時に寝室の窓に小石を投げては睡眠妨害に勤しむことは確定だ。


 奪われたモンスターのレア度が上がれば上がるほどその報復は過激になる。それだけのリスクを孕む行動なのだ。


 それを承知の上で、それでもなおコアはこのモンスターが欲しかった。何故ならば、確かめたい検証事項があったから。


(いやぁ、閃いちゃったんだよね。ウチのダンジョン、罠の配置によって広場の名前が変わることあるけど、他の要因でも名前が変わることあるんじゃね? って。しかも俺が思ってる通りにいくなら『火』関連の広場になるし、レアだし自我あるし。そりゃ欲しくなるよね!)


 要するに、罠ではなく、モンスターを用いて広場の名称変更ができないかと言う考えだった。


 どこかしらの広場をずっと炎で埋め尽くすことによって変化を与えられないかどうか。思いついたら確かめたくて仕方ない。


 どのみちずっとこのダンジョンにいても悩み続けるのだろうし、それだったらウチのダンジョンに来させて幸せにしてあげようと、ついでのように理由を足す。


 決めたらコアの行動は早かった。


「メイハマーレ、確保だッ!!」


「!? は、はい!」


 コアの言葉の足りない指示に、メイハマーレは頭をフル回転させてゲートでケンタウロスをコアのダンジョンに送る。それから恐る恐るコアに聞いた。


「あの、御方。ひとまず第二階層に送っておきましたが、それでよろしかったでしょうか……?」


「ふむ。……いや、第三階層の浮島の一つに移しておいてくれ。小さめの島で構わない。そこをあのケンタウロスが過ごしやすいように、森から何から火で包めとドラゴニュートなどに伝えてくれるか? ついでにその島から移動しないように見張っていてくれるとありがたいが」


「……小さめの島で、相手が有利な状況を作り尚且つそこから移動させないようにする。……成る程、耐久戦ですね! 頑張って訓練に勤しむよう、ドラゴニュートやエルダーゴブリンに伝えておきます!」


「…………そうだな!!」


 そんな事これっぽっちも考えていなかったが、言われてみればその通りになる蓋然性は非常に高かった。これもコアが説得を怠ったせいである。


 コアは心の中で迷惑をかけるドラゴニュートやエルダーゴブリンに謝罪するのだった。


(いやさ? 少しは説得する気もあったんだよ? でもさ、なんで生きてるのかなんて、答え無いじゃん? ダンジョンコアとして、俺みたいに使命を持って生まれてきたわけでもないんだからさ。もっと自由に生きていいんだよ。ダンジョンモンスターとして、このダンジョンを守る役目はあったのかもしれないけど、それももう無い。できれば俺の充実したダンジョンライフに協力してくれたら言うことないけど、後はあのケンタウロスが自分らしく生きていくことを願うばかりだな!)


 コアは決して、あの手の悩み相談は受け始めたら数時間はかかるから面倒で説得を放棄したと言うわけではない。環境が変わればどうせ変わらざるを得ないんだから、ノリと勢いでイってしまえと誘拐したわけではないのだ。


 何はともあれ、思わず大きな成果をゲットできたコアは大満足する。清々しい笑みを浮かべてその場を後にするのだった。




 その後は特筆することもなく順調に辿り着いた最下層である第七階層。そこはコアの前の世界で言う、野球場程の広さの部屋だった。


 何の変哲もない土壁に、障害物なども無い見晴らしの良い広場。まさにダンジョンボスと決闘するための場所だった。


 しかしどうしたことか。肝心のボスの姿が見当たらない。


 コアは広場を眺めるような素振りに見せかけてボスを探し、天井に目をやったところでようやくそれらしいものを見つけた。


「ほう、あれは……」


「はい、ただの雑魚です」


「…………」


 アテンに何ら価値を見出されていないそれは、おそらく巨大な蝙蝠だと思われた。天井の隅っこの方で翼にくるまった楕円形の黒っぽい『何か』と化していたため、発見に時間が掛かったのだ。


 こちらが進み出ても全く動こうとしない巨大蝙蝠。それが気になってちらちらと視線を送っていると、アテンが口を開いた。


「レイン様、もしやあれに何か御用でもおありでしょうか? それなら<威圧>を解除してすぐにでも引きずり下ろしますが」


「いや、そういうわけではない。ただ大きいなと思って見ていただけだ。はっはっは」


 期せずして答えが分かったコアは笑って誤魔化す。ダンジョンの守護者たるダンジョンボスでさえスキル一つで完封するアテンに、もはや何も言うまい状態だった。


 広場の奥まで到達すると、そこにひっそりと小さな道があるのが分かる。その道に入り、右に直角に近い角度で曲がると、行き止まりに見慣れたものが浮いていた。


 ダンジョンの心臓部、ダンジョンコアだ。


 ただそれはコアが宿っているものとは違い、光沢が無い、白一辺倒のものだった。ダンジョンコアにも色々と違いがあるんだなと新たな発見に感心していると、何故かアテンとメイハマーレが色めき立つ。


「これでこのダンジョンもレイン様のもの。これでまた一つ、理想郷に近づくのですね」


「いずれ全てのダンジョンは御方の管理下に置かれる。そこから生み出される光景に、今から興奮が止まりません!」


(…………え?)


 どうやら二人はコアがこのダンジョンを乗っ取るつもりだと考えていたらしい。しかし当のコアにそんな気は毛頭なかった。


(いやいやいや、そんな余裕ないし!? 今のダンジョンだけで精一杯だっての! それこそガチで精神的に過労死するわ!!)


 今回のダンジョン探索はただの物見遊山のつもりで来たのだ。欲張って宝箱をゲットしたりモンスターを一体確保したりはしたが、これ以上は本当に何もする気はなかった。


 それに、今着手しているダンジョン作りを中途半端にして他のダンジョンに取り掛かるのは嫌だし、ダンジョンはそれぞれの特色があるから面白いのだ。


 全てのダンジョンを自分の思い通りにするなんて愚を、コアが望むはずはなかった。だからコアは二人の考えをやんわりと否定する。


「フフフ。どうやらお前たちは勘違いしているようだが、俺にはこのダンジョンを治めるつもりはない。俺には、今のダンジョンだけで充分だからな。……それに、かつてアテンに言ったな。『外の世界はお前のものだ』と。あの言葉は未だに有効だ。勿論ダンジョンを粗雑に扱うのは許さんが、管理の手が追いつかなければメイハマーレと協力してもいいし、時には俺も相談に乗ろう。だからお前の思うようにやってみろ、アテンよ」


「そ、そうでございますか。……分りました、レイン様のご期待に沿えられるよう、誠心誠意努力して参ります!」


「うむ!!」


 コアは『ノー』と言えるデキるコアなのだ。


 直近の死亡フラグを叩き折ることで成長を実感し、ご満悦になるコアなのだった。




 こうしてコアの初ダンジョン探索は終わりを告げた。色々な気づきを得て、充実した旅だったと言えるだろう。


 しかしコアのダンジョンライフはまだまだ始まったばかりだ。これからたくさん訪れる苦労、そして興奮があることを、この時のコアはまだ知らないのだった。

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