第146話 その八

「……な、に? ハンデ、だと?」


 男はアテンの言葉に耳を疑う。


 ハンデとは、優位に立つ方が背負うべきものであって、今の状況にはそぐわないものだ。だが、それは男の聞き間違いなどではなかった。


「今のままでは勝負にならんから、こちらの情報を持ち帰らせることで貴様らにハンデをくれてやろうと言うのだ。レイン様の慈悲深さに心から感謝せよ」


 その答えは、男にとって予想外にすぎた。昔ならいざ知らず、数多の国をまとめ上げる強国となった今のザラズヘイムは、警戒されることはあっても侮られることは皆無だったからだ。


 男たちを生かして帰すことに向こうに何のメリットがあるのか。狙いはどこにあるのか。そんな事ばかり考えていたので、むしろ不利になろうとする選択肢があるとは思わなかったし、その考えも理解できなかった。


 それに加えて、情報に関しては手を打った後だ。既に対策が済んだことであり、男にとって考える余地が無かったとも言える。


 しかし、そんな男にアテンは冷たく言う。


「生きていればよいがな」


「……何だと?」


「貴様しか気づいていないこともあろう。中途半端な情報しか持たん奴を生かしたところで、逆にこちらが有利になりかねん。必要ない物は処分する。当然の話だ」


「そんな、馬鹿な……。いつの間にッ」


 最悪を想定して部下に大事な役目を託したのに、アテンの言っていることが事実ならば既に死んでいることになる。そしてその事に全く気づけていなかったことが何よりも問題だった。


(いつだ、いつやった!? 奴らに他の仲間はいないはず。やったとしたらメイハマーレしかいない! だがそんな素振りは無かった……いや、まさか!!)


 メイハマーレが意味も無く空間を開いていたタイミングが一度だけあったことを思い出す。


 レインの言葉に激昂した部下が前に出ようとした時、確かにメイハマーレは空間を開いて待ち構えていた。あれは隣にいる部下を殺すためのものではなく、撤退中の部下を始末するためのものだったのだ。


 これまでのメイハマーレの手際を鑑みても、部下を叱咤することに意識が向いている間にその瞬間を見逃していた可能性は高い。これでアテンの言葉に信憑性が帯びてしまった。


 男は地面がぐらつくような錯覚を覚える。こいつらは、今まで殺してきたターゲットたちとは根本的に何かが違っていた。


 これまでの言動や行動が一つひとつ積み重なり、男の理解できる範疇を超えた何かが形成されていく。


 理解できないものは、怖い。そして、情報を持ち帰らせると言うことは、向こうの戦力がザラズヘイムよりも明らかに上だと言っているに等しかった。


 男の常識が破壊される。何が正しくて、何が正しくないのか分からなくなっていく。そんな男にアテン追い打ちをかける。


「それだと言うのに、貴様は。謝罪したいと思うならこちらから出向くのが礼儀、だと? レイン様のユーモア溢れる素晴らしき言葉遊びに気づくこともなく台無しにしおって……。話にならんのは貴様の方だッ! 何を対等に話ができている気になっている!? そんな訳なかろうがッ。貴様ら程度の小者が、身の程を知れ!!」


「ぐぅっ……!?」


 アテンが強く言葉を言うと同時、男たちの膝が折れ地面につく。まるで許しを乞うているかのような姿勢になり、身動きができなくなった。


 強烈な<威圧>でも受けているかのような感覚に、全く抵抗できない。


(スキルを口にしていないッ。それに、やはり一瞬だけ目が変わった! 奴は、アテンは、魔人だったのか!?)


 魔人であるかどうかの判断をするために重要な要素の一つである『目』。そして、魔人でもなければ説明がつかないあり得ざる力の行使。


 今後を左右する驚愕の事実に気づきつつ、押し潰されそうな重圧を必死に耐える。まずはこの状況を打破しようと考えを巡らせるが良い案が浮かばない。


 しかし男が何をするでもなく重圧はいきなり解かれた。


「その辺でよかろう」


 まだ若干高さの残る声と共に二回手を叩く音がする。男が顔を上げると、そこにはこの場の絶対強者、レインがいた。


「さて、どうだろうか。少々物騒になってしまったが、メッセージを届けてくれる気にはなったかな?」


 雰囲気を取り持つかのように笑顔での発言。男はその意味を正確に掴み取った。


(今なら穏便に済ませてやる、か。)


 配下に強い態度を取らせて自分は後から優しく接する。相手を落とす常套手段だ。暗部としてその辺りの手法を熟知している男から見ても、レインの使い方はお手本のようだった。


 やられる側になって初めてその威力を知る。男は、ガクッと項垂れた。


 向こうはいつでもこちらを始末できた。それだけ力の差がある。


 これ以上の抵抗はいたずらに損害を増やすだけでただの愚策でしかない。男に残された選択肢は確かに一つしか残っていなかった。


「……分かった。君主様に、ありのまま説明することを約束する」


「そうか! それは何よりだ。なに、これから先、多少大変なこともあるだろうが、お互い理解し合えると俺は信じているぞ」


「……」


 もう小僧に対し怒る気力も湧かない。男は敗北者だ。大人しく言うことを受け入れるしかなかった。


「今後の調整については、アテン。任せて大丈夫だな?」


「ハッ。万事、整えておきます!」


「うむ。それと、こんな時間だ。今から寝泊まりの準備をするのも大変だろうし、本来ならばこの場所を共同で使ってもいいと言うところなのだが、さすがに気持ちの面を考慮すると難しいだろう。だからメイハマーレ。彼らを送ってやれ」


「畏まりました、御方」


「よし。それでは、再び会える日を楽しみにしているぞ。その日までさらばだ。熱き商人たちよ!」


 とんとん拍子で決まっていく今後の流れ。そして最後の最後まで馬鹿にされ続けながら、男たちの身体は地面に開いた空間の穴に飲み込まれていった。




 暗闇に閉ざされた森の中。メイハマーレの空間を通った後、男はそんな場所にいた。


「どこだ、ここは……」


 人間とは違い暗闇でも問題ない視力を持って周囲を見渡すが見覚えのある森ではなかった。更に部下の姿も見当たらない。


 嵌められたかと男は警戒感を強める。するとそんな男の前に空間が開き、そこからメイハマーレが出てきた。男は端的に問いかける。


「何のつもりだ」


「フフ、そんなに警戒しなくていい。別にお前をどうこうするつもりはないから。ただ、あれだけじゃ情報が足りないかと思って、付け足しに来てあげた」


「……揃いも揃って、どこまでも馬鹿にする奴らだ。いや、その前に部下はどこにやった? 空間の穴に飲み込まれるところは見ていたぞ」


「フフフ。情報を持ち帰るのはお前だけでいい。アテンも言っていたけど、必要のない物を処分するのは当たり前。今頃は、おもちゃになってる」


「外道が……ッ!!」


 つまるところ、部下は奴らのダンジョンに送られてそこのモンスター共の餌食になったと言うことだ。主従共々、性格が悪すぎる。


「お前だけでも生きて帰れるんだから上出来すぎる。これも全ては御方のおかげ。本当ならお前は御方の靴でもベロベロ舐めて心から感謝すべきだった。まったく、無駄に長く生きているだけの奴はそんなことも分からないから困る」


「ッ、早く、情報とやらを、寄越せッ!!」


 口の悪い奴にはいちいち反応しないことが最適解だと悟った男は、怒りを噛み殺してさっさと先を促す。


 情報を持ち帰らせると言う都合上、男には攻撃を仕掛ける選択肢があるように思えるがそれは良くないだろう。向こうからすれば口が利けるならどんな状態でも構わないのだから。


「お願いする態度じゃないけど、まぁいい。じゃあ教えてあげる」


 その時、周囲から音が消えた。


 風が止み、木々のざわめきが無くなり、虫ですら息を潜めるように鳴くことを止める。胸騒ぎに襲われる異様な空気に早変わりする中、メイハマーレは己の種族を明らかにした。


「アタシは、ウィルムだ」


 メイハマーレがそう言った途端、気配が桁違いに跳ね上がった。


「なっ!?」


 その変貌ぶりは、相対していて仰け反るような圧迫感すら覚えるほど。


 敵であるにもかかわらず、力ある者として一種の畏怖を抱いてしまいそうなほどだった。


(馬鹿な、これほどの力、もしかすると君主様に匹敵、いやそれ以上!? それにウィルムだと? 超古代文明の中でも支配層にいた化け物種族ではないか!? こいつが進化するようなことがあれば、不味いことになる!)


 元々こちらから出向く話にはなっていたが、これで増々悠長に構えていることができなくなった。


 時間の経過は向こう側に対して有利に働く。小僧たちの成長スピードを考えれば、いつ進化したっておかしくないのだから。


 そんなメイハマーレがゆっくり近づきながら話しかけてくる。男は下手に動くことさえできなかった。


「あ、そうそう。裏工作、ご苦労様。手馴れてるだけあって良い仕上がりだった。おかげで幾分、楽ができた」


「……それも把握されていたのか。だが、その件が貴様らの有利に働くとは思わんが。一体何を考えている……?」


「フフフ。光と闇。失望し、絶望し、光を求めることで出来る特殊な駒がある、とだけ言っておく」


「特殊な……」


 その言葉を聞いて男の脳裏に浮かんだのは、アテンだった。


 あれは意味不明すぎる。全く強さを感じないかと思えば、抵抗することもできずにねじ伏せられた。強さを誤魔化せることを考慮すれば、立ち位置的にこのメイハマーレよりも強いことだって有り得るのだ。


 そして時折見られた魔人特有の目。しかしそれも一瞬で、通常時は普通の目と何ら変わりない。男の知識に該当するものがない、未知のモンスターだった。


 あれのことを知らずして戦いの準備を進めようものなら致命的なミスを犯してしまう気がする。男にはそんな危機感があった。


 情報を持ち帰れるなら、アテンのこともなるべく多く知っておきたい。口が軽くなっているように見える今のメイハマーレならば得られるものがあるかと聞いてみる。


「……特殊な駒。それは、アテンのことだな?」


「アテン? あぁ、お前からしてみればそうなる、か。あれに関しては気にしなくていい。魔人までの知識しかないお前たちに言ったところで仕方ないことだし、今回アテンは裏方に回る予定。心配しなくていい」


「……戦力を温存してなお、我々に勝てると言うのか」


「お前たちとは単純に力が違うし、ここが違う」


 メイハマーレは言いながら頭を指でトントン叩く。それを見て、男は内心で『そこが優れているのは貴様らではなく小僧だろうがッ!』と愚痴るが我慢して口には出さなかった。


 今は相手の機嫌を損ねても良いことは無い。代わりに別のことを口にする。


「知力が違う、か。……今更だが、誤った情報を与えて我々を謀ろうとしているのではないだろうな。やはりどう考えても損害なく余裕で勝てるならそれが一番良いはずだ」


「それは何を目的としているかで異なる。アタシたちは、お前たちとは目指している次元が違う」


 メイハマーレはそこで一旦言葉を区切ると笑みを深めた。


「それに何より、御方は楽しめと仰った。アタシたちに楽しさを追求しても良いと。なんて寛大なお言葉! だからこそ、アタシは追加で情報を与えにきた。楽しむために、目的達成のために!」


 気分が昂ったメイハマーレの浮かべる笑顔に、男は狂気を感じた。


 腕を伸ばせば触れられる距離まで接近したメイハマーレ。男の肩に手を置き耳に口を寄せると、最後のメッセージを伝える。


「帰ってあの女に言う。派手にやろうって。壊れちゃうぐらい、楽しい毎日の始まりだ、ってね」


 そこまで聞き届けると、再び男の視界は暗闇に閉ざされる。気づけば見覚えのある景色、ザラズヘイムの国境に設置されている関所が見える場所まで飛ばされていた。


「こんなところまで……」


 それは、メイハマーレが既にここまで来たことがあることの証でもあった。


 相手は着々と準備を整え、それも粗方終わっている。


 それを再認識した男は、気を引き締め直して自らの主の下に急ぐのだった。




 一人森に残ったメイハマーレは考える。それは男も気にしていたアテンについてだった。


「『霊眼』。やっぱり、規格外過ぎる」


 その力を見せつけられる度に格の違いを思い知らされる。


 精霊亜神種ゴブリンへと至ったアテンは、その証として魔眼ですら霞んでしまうほどのものを手に入れていた。


 ――『霊眼』。


 肉体、スキル、装備すらも全てが一体化し、亜神となった者に発現するもの……らしい。


 その境地に至った者は自分の動作に能力を付与できる。例えば、『視る』と言う動作に<日の円樹>の力を込めたなら、それだけで相手の魔力を無効化できると言う、とんでもない代物だ。


 アテンが相手の魔力を霧散させたり、スキルを消し去ったりできるのはこれのせいだった。それはまさしく神の領域に踏み込んだ力。


 今のアテンに勝とうと思ったなら、最低でも同じ領域に立たなければ話にならない。もはや魔人がどうとか、そんな低レベルなことを考えている場合ではなかった。


 亜神となるその日まで、第一配下の地位はアテンのものになる。だが、そんな暴挙を手をこまねいて見ているだけのメイハマーレではない。


 最速で奪還するため、メイハマーレは手を尽くす。勿論、楽しむことも忘れずに。

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