第143話 その五

 周囲を暗闇が閉ざす中、一つの焚き火の光が辺りを暖かく照らしだす。小川のせせらぎが聞こえる河原にて、コアたち三名は一時の休息をとっていた。


 離れた場所にもいくつか赤い点が見える。馬車に乗る余裕が無い、比較的経験の浅い冒険者たちのものだ。ヘルカンの街と紅蓮の洞前にある小さな町の間は馬車でなら一日で移動できるので、馬車を使用している者でここで夜を明かすのはコアたちくらいなものだろう。


 アテンやメイハマーレは言うに及ばず、既に人間ではなくなったレインも休憩の必要は無いし夜でも普通に見えるのだが、馬はそういうわけにはいかない。


 使い潰してしまえばいいと進言する二人に対し、それはさすがに可哀想な気がしたコアの提案によってプチキャンプが開催される運びとなったのだ。ならばと、勇んで準備に取り掛かろうとするアテンとメイハマーレをコアは止める。


 馬を少し慮っただけで「慈悲深い」だの「寛大」だの言ってくる二人だ。一晩明かすだけなのに大げさな用意をするに決まっている。準備は最小限にとどめるようしっかりと言い聞かせていた。


 困る質問をしてくる時と今のチョロ可愛い時の落差が激しすぎてどうしたものかと思う。コアは身体の力を抜いて背もたれに体重を預け、肘掛けに腕を置いた。


 コアの座る、キャンプには何とも不釣り合いな玉座がその存在感をこれでもかと主張していた。


(……雰囲気、台無しだよ!! 用意するならもっと手頃な椅子とかいくらでもあっただろ!?)


 これは言わずもがな、メイハマーレがダンジョンから持ってきたものだ。食糧はマジックバッグの中にあるし、もし寝るとしたら幌があるのでテントなども要らない。


 あとはキャンプ気分を味わうために火でも焚かせればそれでいいなと石の上に腰を下ろしたところ、メイハマーレが悲鳴をあげた。そして気づけばコアは玉座の上にいたのだ。


 キャンプに玉座。合わないにも程があるが、わざわざ用意してくれたものを断るのも忍びなかった。大人しく座ることにして今に至る。


 パチパチと枯れ木が燃える小気味よい音がしていた。風情ある静寂に心が落ち着くのを感じる。しかしその反面、アテンもメイハマーレも用意が済んでからしばらく喋っていないので少々不穏だった。


 道中、コアが楽しめと言ってから何やら考え込んでいる様子だ。せっかくの機会なんだからこの空気感を楽しんでほしいのだが、どうやら二人ともそういった感性は持ち合わせていないらしい。


 休憩しようと言った手前、この沈黙が少し気まずかった。


(これ、俺が何か言うまでずっと続くのか……? キャンプってこういうのじゃなくない?)


 焚き火を見てリラックスしてくれていれば良いのだが、端から見て二人の様は修行中の僧侶のようだった。


 もっと周りを見てほしいと思う。自然は良いものだ。ダンジョンを作る時にインスピレーションを与えてくれる。コアのダンジョン作りの基礎となっているものが、何を隠そう大自然なのだ。


 二人と過ごす時間が増えると言うリスクを背負いながらも、自然を身近に感じたくて一泊することにしたと言う背景もあるので、この素晴らしさを是非とも二人に知ってもらいたい。


 思い出に残る旅にするためにもコアは動くことにした。だが、その前に偉そうなポーズを取ることを忘れない。


 優雅に足を組み、左側に重心を寄せて、肘掛に立てた腕から伸びる左手の上に顎を乗せる。ニヤッと不敵な笑みを浮かべると準備完了だ。


 ギルド長室でゲーリィに話しかける時に取ったポーズと全く一緒であり、その事に気づいたコアは後でバリエーションを増やしておこうと心のメモ帳に書き込む。それからようやく大自然の素晴らしさを語りだした。しかし――。


「さて……」


「『夜明け』のアテン。少し話を聞かせてもらおうか」


「…………」


 コアが勇気を出して自分からこの雰囲気を変えようと頑張っていたのに、それはいとも容易く突然の乱入者によって遮られてしまった。


 気づけば、焚き火の暖色に照らされて四つの人影が浮かび上がっている。そのうち三人は全身にローブを被っていたためにその詳細は分からなかったが、一番前にいる人影はどこかで見た気がした。


 それを思い出したコアは呼び掛けられたアテンを差し置いて口を開く。


「誰かと思えば、馬車の男ではないか。こんな時間に一体どうした。一緒にキャンプでもしたいのか?」


 その人物は街を出る時に馬車を融通してくれた商売人の男だった。どうしてこんなところにいるのか疑問に思ったので、素直に聞いてみる。だが男の反応は芳しくない。


「小僧……!」


 歯ぎしりが聞こえそうなほど食いしばり、表情を怒りに変える男。どうやら相当嫌われてしまったようだ。


 アテンも視界に入っているはずなのにその怒りを隠そうともしていない。客に対して怒りを露わにしてしまっているので、やはり優秀ではなかったのかもしれないなと思い直した。


(あ……ていうか、普通にメイハマーレ見られちゃってるんだけど!? ……でも二人に慌てている様子はないし、大丈夫なのか?)


 この二人なら男たちの接近に気づいていなかったはずがないし、コアが心配することでもないのかもしれない。


 これまでの経験から、ここからはあまり出しゃばらない方がいいと直感が働いたのでコアは静観することにした。すると、丁度良いタイミングでアテンとメイハマーレが笑いながら後を引き継ぐ。


「ククク。そうですね、この者たちもレイン様と火を囲む栄誉を賜りたいのかもしれません」


「フフ。まったく、困った奴ら。御方が休憩すると仰らなかったら、接触がいつになっていたか分からない。我らが御方のお手を煩わせるな、雑魚共」


(よし、何を言っているのか全然分からん。いつも通りだな!)


 コアは自分の判断が正しかったことを確かめると、ニヤリとしながらしばらく空気に徹する決意を固めた。


「言うに事欠いて、我々が雑魚だと? 小僧の威を借る女狐如きが、よくほざいたものだな、自称魔人メイハマーレ。それともその自信の源は空間能力か? いずれにせよ、愚かだな」


 男がメイハマーレを嘲ると笑いが起きる。しかし、メイハマーレの余裕は揺るがない。嘲笑に対し失笑で返す。


「大海を知らない蛙の威を借る微生物よりはずっとマシ。お先真っ暗でいっそのこと哀れ」


「貴様……。それは、君主様と我々のことを言っているのか?」


 男の目に険呑な光が宿るも、メイハマーレは意に介さない。淡々と事実を告げる。


「他に誰がいる? 大した計画性も無く過去を再現しようと息巻いて、やっぱりできないと意気消沈してる馬鹿な女。それを見ているだけのお前たち。当初の目的も忘れて、人間たちの中に紛れて少し大きな国を作った程度で満足してる器の小さい女。そんなのを担ぎ上げているお前たち。帰って伝える。さっさとごっこ遊びなんか止めて、我らが神の軍門に下れって」


「黙って聞いていれば……図に乗るなよ、クソガキがッ!!」


 男の激昂に合わせて他の三人から殺意が膨れ上がる。場の雰囲気が、明らかに変わった。


「貴様に君主様の何が分かる!? あの方が、今まで一体どれだけ苦労してきたか!!  百五十年間の苦悩を、孤独を! 貴様程度が、知った風な口を聞くな!!」


「ぷふー。百五十年間も費やしてこの程度のことしかできないなんて、やり方が間違ってる何よりの証拠。必要のない苦労を背負って可哀想な女を気取っている奴なんて救いようがない。ついでに、未だに魔人にすら至れていないお前たちも救いようがない」


 言い切った後、メイハマーレは右手を素早く振る。動きが止まったその手には、一本の金属の針が握られていた。


 僅かに瞠目する男たちに構わず、メイハマーレは針を弄りながら続ける。


「端的に言って、器じゃない。あの女じゃ文明の復活すら成し得ない。さっさと諦めて、身の丈にあった選択をすべき」


「どこまでも馬鹿にしよって……! ならば、貴様にならできると言うのか!? 我々の悲願を、文明の復活を!!」


 男の叫びにも近い問いかけに対し、メイハマーレは事もなげに答える。


「できる」


「……何だと? 戯言を……」


「アタシ程度でも、復活させることぐらいならできる。でも、今更そんなものを目指したところで意味は無い。過去と同じものを再現したところで、また同じような理由で壊れるだけ。ならば作るべきはあらゆる干渉を寄せ付けない完全なる新世界。真なる神が創り出す、真の理想郷。新しい時代を、我らが御方が齎してくださる」


 そう言って恍惚の表情でレインを見つめるメイハマーレ。男はそれを警戒感を滲ませた視線で追った。


 真剣なやりとりをしている最中なのに、アテンから飲み物を差し出されて「やはり、この紅茶は美味いな」などと呑気なことをほざいている謎の冒険者。


 しかし男は油断しない。この冒険者のせいで、色々と計画が狂わされていたからだ。


 君主様の言っていた通り、冒険者アテンと魔人メイハマーレはグルだった。そこに君主様の見事な推測に対する感嘆はあれど驚きは無い。だがこの冒険者の存在だけは全く予期していなかった。


 ヘルカンの街に到着した当初は、街の中で一番の強者がこの冒険者だったから、こいつがアテンなのだと思わされた。それも仕方のないことだろう。


 冒険者を騙し、住民を騙し、この街を支配下に収めようと思ったらそれぐらいの力は持っていなければならない。弱者の立場では情報を操るには不自由するだろうし、何よりも魔人と一騎討ちと言う形に持っていくことができないからだ。


 しかし聞いていた容姿とは全く違うし、生気が感じられないことを疑問に思い情報を集めてみれば、なんとアテンの弟子に過ぎないと言う。


 ならば当のアテンとはどいつで、どれほどの強さを持っているのかと少しの焦燥感を覚えながら調査し、愕然とした。てんで雑魚だったからだ。


 見た目だけならばガタイもよく強そうに見えるが、全然強さが伝わってこない。そこらの一般人よりも弱く感じるほどだ。


 更にはようやく姿を見せた魔人を騙るメイハマーレ。こいつも大したことなかった。


 空間能力と言うのは珍しく、本来であれば脅威に値するのだが、元が弱ければ対して意味は無い。こちらの監視に気づいている様子もなく、秘匿すべきはずの能力を使ってご大層な椅子などを用意している時点で雑魚確定だ。


(頭は良いと言う話だったがそれも果たして本当かどうか。君主様を疑うわけではない。ようは、それもこれも、あの冒険者が裏で糸を引いていたと考えれば納得できるという話だ……!)


 黒幕と言う言葉が男の脳裏に浮かぶ。


 アテンとメイハマーレと言う配下を前面に出し、自分は影からそれを操る。周囲から注目されないので行動の幅は広がるだろう。そうやって全体を調整しながら計画を進めるのが、この小僧のやり方なのだ。


(ぬかったわ! 感情の無い人形のような人間だと思っていたが、その内に詰まっていたのは綿などではなく、牙を研ぐ狡猾なるモンスターだった! 我々の監視すら欺くとは、油断ならぬ奴よ……!)


 男は認めざるを得ない。この若きモンスターの優秀さを。


 この小僧が生まれてからまだ一年も経っていないことは本拠地であるダンジョンからも分かっている。その驚異的な成長スピードを考えれば優秀と言う言葉では生ぬるいのかもしれない。


 なにせ、力はおそらく自分たちと同等。そして、悔しいが知能の面では間違いなくレインの方が上なのだから。


 君主様に仕えることが許されてからもう数十年が経つ男と並び立つというのだから、その異常さがどれほどか分かるだろう。今日になって一変したこの冒険者の行動。そこからこれまでの流れが全て変わった。


 アテンが部下たちの存在に気づき指を差してくる前、小僧と何かしらの会話を交わしたことが分かっている。おそらく、そうするように小僧から指示があったのだ。


 それだけじゃない。街を出る際のやりとりもそうだ。こちらに対して明らかな挑発を仕掛けてきた。


 分かっているぞと。いつまでも無駄なことをしていないで、さっさとかかってこいと、そう言っていた。


 あの時の、自分の方がお前たちよりも格上なのだと誇示するような、小僧の表情と言葉遣いは今思い返しても腸が煮えくり返る。表情を変えただけで自制した自分のことを褒めてやりたいくらいだ。


 そこにきて先程の皮肉めいた言葉。完全に小僧の思うように動かされていると自覚せざるを得ない。きっとこのタイミングで男たちが接触を図ってくること、そしてこの先の展開も想定済みなのだろう。


 それはつまり、小僧にはこちらをどうにかできる算段があると言うことだ。しかしそれでもなお男たちがこうして小僧の誘いに乗ってやっているのは、男にも勝てる算段があるからだった。


 それは、経験の差。男はレインに対して多大なる怒りの感情を抱えながらも、頭の片隅では惜しいと思う。


(時間さえあれば、この小僧もあの街を起点に君主様のようになれたのかもしれんが、逸ったな。よりにもよって君主様に喧嘩を売るとは……。若さ故の過ちか)


 今まで人間しか相手してこなかったため、まるで自分がこの世の頂点に立った気でいるのだ。故に、小僧は正しい戦略分析ができていない。


 だがその気持ちも分からないではなかった。それは、なまじ力を手にした、魔人の一歩手前に至ったモンスターたちがよく陥るミスだったからだ。


 男たちだって、君主様と言う偉大なる先達がいなければそのようになっていたっておかしくはなかった。導いてくれる存在がいたことに、男は感謝せずにはいられない。


 運命とは残酷なものだと思う。片や導き手がいたことでこれからも栄達の道を歩んでいく自分たち。片や才能に恵まれながらも導き手がいなかったためにここで道を閉ざされる者。


 今回の任務に関して、君主様からは情報収集の後、殺せと言われている。小僧ほどの戦力ともなると超大国であるザラズヘイムでも貴重だが、それでもいないわけではない。


 野心溢れる、裏切るかもしれない問題の種を抱え込むぐらいなら最初からいらないと言うことなのだろう。暗部として、男たちはその命令に従うだけだ。


 情報も、もう必要ない。惜しかったのが一人と、取るに足りないのが二匹いたと報告すればそれで終わりだ。あとは、事が終わった後に少しダンジョンを覗いて小僧が急激に成長した要因を探るくらいか。


 ザラズヘイムの貴族を騙る、名のある者が国にいたことを容認していたという、後々侵略に使えそうな証拠の裏付けと工作も済んでいる。


 君主様を影ながらお支えする特殊部隊として相応しい仕事ぶりを。


 男は少し残念に思いながらも、将来魔人に至れたかもしれない逸材に別れを告げた。


「この期に及んで一切戦闘態勢に入らないその余裕。やはり貴様は危険だ、小僧。これから君主様の命により、貴様には死ん……」


「三度目」


「……何?」


 男の口上が突如としてメイハマーレによって中断させられる。三度目というのが何を指しているのか分からず、視線をレインからメイハマーレに向けると、そこには笑顔でありながら怒気を湛えるメイハマーレがいた。


「何度も何度も……。恐れ多くも、一体誰のことを小僧なんて呼んでる? ぶち殺すぞ、カス共」

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