第142話 その四

(拝啓、かつての同志たちよ。君たちは、両腕を執行人に挟まれて処刑台へと送られる者の気持ちが分かるだろうか。俺は今、それを味わっているところだ。byコア)


 どこまでも広がる平原と青々と豊かな森、遥か彼方に見える聳え立つ山脈。そんな景色を見ながら、コアたちを乗せた馬車は一路、紅蓮の洞に向かっていた。


 近いようでどこまでも遠く感じる二人の騒ぎ合う声を聞きながら、コアは無事に街から出れた達成感と想定外の絶望感を味わう。虚な目で眩しい太陽を見ながら、現実から目を逸らした。


 ここに来るだけで大変だったとしみじみ思う。


 アテンからの怒涛の質問攻めに、半分意識を手放しながらもどうにかこうにか誤魔化し続け、なんとか北門まで辿り着いた。すると、アテンの姿を見た商売人らしき者たちが顔を繋ぐためか擦り寄ってくる。


 話を聞くに、どうやらこれから紅蓮の洞に向かうことはお見通しのようで、そこまでの移動手段、馬車の斡旋を餌にすることでお近づきになることが狙いだったようだ。


 この北門から紅蓮の洞まで行くのには定期的に馬車が出ているがこの時は営業時間外、遅い時間だった。そこをアテンのためだけに用意することで特別感を出したかったのだろう。


 この街から紅蓮の洞までは歩いておよそ一日くらいかかるらしいが、コアとしては馬車は座っていると尻が痛くなるという話を前世で何回も聞いていたので歩きでもいいと思っていた。


 ダンジョンからこの街まではメイハマーレに送ってもらったこともあり、ほとんど歩いていなかったので殊更そう思う。しかし当然ながら話を聞いていたのはコアだけではない。


 自分の主を長々と歩かせるなど、そんな事を忠実なる僕であるアテンが許すはずがなかったのだ。揉み手をしながら近づいてくる商売人たちを一瞥して、おもむろに衝撃の一言を言い放った。


 「馬だけ用意しろ」と。


 この時の、コアの悲痛な叫びが聞こえた者が果たしていただろうか。


 確かに馬車に積み込むような荷物があるわけでもない。旅に必要なものは全てアテンのマジックバッグに入っている。移動するのにわざわざ馬車を用意することもないだろう。しかしそこには明確なる問題が一つあった。


 乗馬だ。


 前世で、馬に乗る機会がある人間なんて少数派だろう。ビルに囲まれた街で暮らしていた一般人であるコアに、そんな優雅な経験などあるはずがなかった。


 これが一人旅であると言うのなら、良い機会だと挑戦してみることもやぶさかではなかったが、今のコアは噓っぱちではあるが神の立場だ。それ相応の振る舞いが求められる。


 先ず以て、満足に馬に跨ることすらできないだろう。落馬しようものなら全て終わりだ。そんな危険は冒せない。


 レインはどうやら乗馬の経験があるようで、その知識自体は頭の中に入っている。しかし、だからといってそれをコアができるかどうかは別問題だ。


 知っていることと、できることを履き違えてはいけない。だからコアは必死に抗弁した。


 一般人なめんなと。歩きでいいよと。だがアテンは強情だ。レイン様を長々と歩かせるわけにはいかないと、またしても口答えする。


 強敵アテンを前にして、しかしてコアはここで引くわけにはいかない。理想の主像が崩れるか否かの瀬戸際なのだ。脳をフル回転させて、別の角度から必死に切り込む。


「ゆっくり歩いていくのも良いものだ。それとも、俺と歩くのは嫌か? アテンよ」


「そっ、そのようなこと! あろうはずがありません!! 私はただ、お、レイン様に、快適に移動していただこうと……!」


 狡い質問だと言う自覚はあった。分かりやすく狼狽するアテンを見て可哀想だとは思ったが、これも全ては理想を守るため。今後のためだ。


 コアは落としどころに持っていくために、すかさず第三案を掲示した。


「はっはっは。すまん、少し意地悪な質問だったな。ならばどうだ、折衷案として馬車にすると言うのは。これならば双方の望みを叶えられるだろう?」


「ハッ、仰るとおりでございます! 馬車にいたしましょう!」


「うむ。分かってくれたようだな」


(ヨッシ、上手くいった!!)


 コアは危機を乗り越えたことに内心で渾身のガッツポーズをした。もうこの際、尻が痛くなるのは仕方ない。尊厳が崩壊するよりはよほどマシだった。


 アテンの気が変わらないうちにと、自ら積極的に馬車を用意させる。だが焦ってはいけない。ここで一点、考慮しなければならないことがある。


 それは、本当ならばアテンは人間に対して恩を売るような真似はしたくないのではないかと言うことだ。


 強欲な者に貸し借りを作ってしまっては後々足を引っ張られることになりかねない。今回はコアがいるから、特別に人間を頼る気になったのだろう。


 主人として、そこら辺の気遣いは理解してやらねばならない。コアは気配りのできる玉コロなのだ。


(となれば、がっついてきてる奴はよろしくないな。ふむ……。コイツでいいか)


 コアは商売人たちを見渡して一人にターゲットを絞る。他の者たちよりも一歩引いた場所に立っており、積極的に売り込みに来ているわけでもない。


 周りの商売人たちがやっているから自分もそれに合わせているといった感じだ。表情もいたって普通でやる気があるようには見えなかった。


 こういうタイプの人間なら足を引っ張ることはしないだろう。アテンを特別視していないから、馬車も丁度いい感じのものになるに違いない。


 周りから注目されたいわけではないコアにとって、パーフェクトな人選だった。


「其の方。馬車の用意を許す。急ぎ準備せよ」


 目を合わせて偉そうに告げると、相手は一瞬驚いた後、少しだけ顔を顰めて下がっていった。成人しているとは言え、まだ若いレインに上から目線でものを言われたことが気に入らなかったのだろう。ごくごく自然な反応だ。


 ただ、アテンの手前文句を言うわけにもいかず渋々従うといったところだろうか。この身体に多少の悪感情を持たれようが別に何とも思わない。アテンたちの計画に影響を齎すことはないだろうし、何故かアテンの口角も上がっていたのでこれで良しだ。


 馬車は思いのほか早く用意された。その馬車はコアの理想を体現したかのような、ごくごく普通の馬二頭立ての幌馬車だった。


(いや、この世界では馬車と言うだけで高級品か。普通も何もないよな。……それにしても、客の要望に応えてみせるとは、もしかするとやる気がないだけで優秀な商人だったのかもしれないな。別にどうでもいいけど)


 ご苦労、と一言だけ労った後、せっかくの機会だからと御者席に乗り込んだ。二人分座るスペースがあったので隣に緊張している様子のアテン座らせる。


 そしていざ出発だ、となった時にコアはふと思った。


(……あれ? そういえばアテンって御者できるかな……?)


 レインの身体に嫌な汗が流れる。


 アテンが操作できない場合は自分がやるしかない。だが乗馬と同じように知識はあっても経験がない。上手く操れる気がしなかった。


 かといって、ここまで用意させておいて二人とも御者ができないからやっぱりいらないとは口が裂けても言えない。そんな事をすればこの街でのアテンの評価が下がってしまうだろう。


 けれども自分が御者をすればアテンからの評価が下がる。まさに八方塞がり。馬が関わっている時点で、密かにコアは追い込まれていたのだ。


(なんと言うことだ……。 二重に罠が隠されていたなんて!! この鮮やかな手並み、まさしくアテンの所業!! きっと俺のことを辱めつつ、レイン様の言うことを聞かない馬など不要と言って美味しい馬刺しにありつく魂胆に違いない! 俺にも一切れ頂戴!!)


 訳の分からないことを考えながら、兎にも角にも焦る。しかし、そんな必要は無かった。


 完全無欠超人であるところのアテンが、鮮やかにコアとの格の違いを見せつける。


「いけ」


「「ブルルゥゥ」」


「…………」


 言葉一つで即座に動き出す馬車。どういう原理なのか全く分からないが、馬車を完全に操るアテンに、コアはもはや何も言えなかった。




 何はともあれ、街を出ると言う大きな前進を果たしたコア。考えてもみれば馬車になったことによって時間を短縮できたのだ。その分、早くダンジョンに着けるし、単純にボロを出すリスクも減る。


 結果オーライか、と流れが良い方に傾きだしたことを感じ取り、ついつい顔が綻んだ。


「ふふふ。これは、来たな」


 手ごたえから自然と軽口が出る。その軽口に、予想外にもアテンから溜息混じりの返答があった。


「……どうやら、そのようですね」


(呆れられた!? その程度で喜ぶなってか……。いや、じゃなくて、心読まれてる!?)


 まさかの事態に、コアの頭の中で緊急対策会議が開かれる。だが資料を配っているうちに、今度は進む馬車の前に真っ黒い壁が出現し、コアをフリーズさせた。


 それが意味するところを考える間も無く、壁の向こう側からメイハマーレが現れる。


「御方、お慈悲を頂きまして感謝申し上げます。メイハマーレ、参上いたしました」


 恭しく礼をしてから微笑むその姿はとても嬉しそうに見えた。その笑顔を前にしては、「呼んでないよ?」などと言えるはずもない。


 その流れの変化は土石流を思わせる。コアのダンジョンで色んな意味でツートップの二人が揃ってしまった。


 コアは一旦、思考を放棄する。心を無にして、微笑んだ。


「……レイン様がお許しになられたから来たことに関しては何も言わんが、くれぐれも邪魔はするなよ、メイハマーレ」


「心配無用。お前の晴れの舞台にそんな無粋な真似はしない。『第一回・コーディネートした外の世界お披露目会』。ありがたくも御方が用意してくださった幌の中から、アタシも一緒に見せてもらう」


「フン。それと、今の御方はレイン様だ。間違えるな」


「アタシは人間共の前で御尊名をお呼びするわけじゃない。問題ない」


「チッ……」


 二人の会話は半分も頭の中に入ってこなかったが、呼び名に関しては事前に相談を受けていたので分かる。


 要約すると、人間たちの前で御方と言う言葉を使うと感づく者がいるかもしれないので、この身体に入っている時はレイン、もしくは別の名前で呼ぶことを許してほしいと言う話だ。


 人間たちに対してどんだけ御方を連呼してんだよと思ったものだが、非常に申し訳なさそうに言ってくるものだから余計なことは言わずにレインでいいと言っておいた。あの時の安堵した顔が印象深い。


(俺は自分の名前なんてどうでもいいんだけど、アテンたちにとっては気を遣うことだよな……。例えるなら社長の呼び方をどうするか的な? 俺から言い出してやるべきだったか。反省しよ)


 見た目にも上機嫌であることが分かるメイハマーレを後ろに乗せて馬車が進む。


 メイハマーレは落雷を受けた後から明るくなった。肩の力が抜けたというか、ほどよくリラックスできている気がする。


 雷を受けた人間は何かに目覚めることがあると聞いたことがあるが、その類だろうか。いずれにせよメリハリが出てきたようで何よりだ。


 見せる笑顔は擬態だし、交わしている会話は相変わらず物騒だが。


「それにしても夜が待ち遠しい。お前が指差した時の、奴らの動揺ぶりは見ていて面白かった」


「私が始末するつもりでいたが、せっかく来たのだ。譲ってやる。浮かれすぎてしくじるなよ」


「当然。ふふ……あぁ、とうとう大きく動き出す。このスピード感、安全マージンが充分じゃないって、とっても刺激的で素敵。これも以前仰っていた侵入者と対等であることに通じるのですね? 御方」


「ッ、そうだな……」


(油断してた、危ねえぇ……。そうだった。そうだったな、メイハマーレ。お前の得意技はキラーパスだったなぁ!?)


 いきなり話を振られて心臓がバクバクする。やはりこの二人を揃えたらダメだとコアは強く再認識した。


(キラーパスのメイハマーレ。殺人シュートのアテン。コンビネーション抜群の二人が同じフィールドに立った時、ゴールキーパーは死ぬ!! 命がいくつあっても足りない! ドクターに至っては一人も待機してない! 助けて、メディーーック!)


 表面上は涼しい顔を貫きながらも心の中では必死に担架を求めるコア。その心の内をアテンとメイハマーレに気づかせないのだから、実のところコアの擬態レベルは高いのかもしれない。


「レイン様と我々程度の頭脳を一緒にするな。レイン様にとっては既に充分な基準に達していたと言うだけのこと。そのような言い方ではまるで博打でもしているかのようではないか。不敬だぞ、メイハマーレ」


「そんなの捉え方次第。お前自身がそんな事を思っているからそんな考えが浮かぶ。不敬なのはお前の方。即刻、御方に謝罪すべき。むしろ死ね」


 綿密な計画を話し合ったりするのに、すぐに口喧嘩を始めると言う奇妙な間柄の二人。仲が良いのか悪いのか、よく分からない。


 ちなみにコアが博打を打つのはもはや日常。博打はマイフレンドだ。博打野郎と言われようが全く腹が立たない。


 コアはそんな自分自身に苦笑いしながら二人を諫めた。


「まぁ待て。そんな些細な食い違いで熱くなるな。お前たちの忠誠がとても真摯なものであることは疑いようがない。そしてその事を俺はよく理解しているつもりだ。だから余計な心配はするな」


「何と言う慈悲深さ……。私は、レイン様の下に生まれた幸運に感謝しない日はありません!」


「この世のあまねくもの全てが浴びるべきは太陽の光ではなく御方のご威光であるべきでしょう。そのための準備、貴方様の手足である我々にお任せください!」


「……期待してるぞ」


(いちいち大げさなんだよなぁ、二人とも。「ありがとう」だけでいいと思うんだけど。頭の良い奴ほど思い込みが激しいのだろうか……?)


 過剰な反応を示す二人を見ていると、将来悪い奴に騙されないか心配になってしまう。


 二人の牙城を崩すのは困難を極めるだろうが、一度取り込まれてしまったら取り戻せないかもしれない。そうならないように、常に相談出来るような信頼関係を二人には築いてもらいたいと思う。


 親の立場からしてみても我が子同士、仲良くしてほしいので一石二鳥だ。関係がより強固になることで殺人シュートとキラーパスに磨きがかかってしまうのは困るが、まぁその時はその時だ。


 これまでもどうにかしてきた実績がコアにはある。二人を失うくらいなら、追い込まれてアタフタする毎日を送る方がずっとマシだった。それぐらいの苦労なら喜んで背負ってみせる。


 コアはコアなりに、理想のダンジョンライフを送るため全力を尽くす。さしあたって、この楽しいダンジョンツアーで仲を深めてもらおうと、二人に話しかけた。


「しかし、ただ道を行く。それだけの事でも、その先にダンジョン楽しみがあると分かっていれば景色が全く違って見えるな。何事も、準備段階が一番面白いとも言う。お前たちはしっかりと楽しめているか?」


 その問いかけに二人がハッとしたような表情になる。大方、どうしたら自分コアの役に立てるのかと言うことばかり考えていたのだろう。きっと盲点だったはずだ。


 アテンもメイハマーレも、真面目すぎる。自分自身が楽しむと言うことを知らない。


 コアの事ばかり考えていては他の者に対して寛容になれないのも必然。やはり、その辺の認識から変えていってやらねばならないのだ。


 進化の神秘により知識だけは豊富にあるが、圧倒的に経験が足りない我が子たち。そこを補い導いてやることも、リアルでダンジョンコアとなった自分に課せられた使命なのだ。


(あぁ、今の俺、良いこと言ってんなぁ。凄いイケてない? これまでで一番、主っぽいまであるな。そうだよ、頭では勝てないけど俺には立派なアドバンテージがあるじゃないか! ずっと行き当たりばったりだったけど、これを軸に立ち回ればしばらくは時間稼げるかも!)


 二人に生きる楽しさを教えることができ、ダンジョンの強化を図れるばかりか、自分も新たな希望に酔いしれる。


 素晴らしきかな、相乗効果。


 こんな良い発見があっては有頂天にならざるを得ない。気分良く、更に教えを授ける。


「今を楽しめ。楽しみながら目的も達成するのだ。往々にして、その方がより良い結果になる。ならば、楽しまなければ勿体ないだろう? お前たちは、もっと自分の『楽しさ』を求めてもよいのだ。俺に気を遣ってばかりではなく、もっと自由に、もっと大胆に。そのためにはどうすれば良いか、考えてみるといいだろう」


 ドヤ顔で語るコアに、アテンとメイハマーレが息を飲んで瞠目する。




 周囲には馬が立てる蹄と馬車の車輪の音だけが響いていた。茜色の太陽がもうすぐ地平線に沈もうとしている。


 夜が、訪れようとしていた。

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