第104話 危機一髪
「きたよ……。ついに……!」
今や国中の人間たちに魔人がいるダンジョンとしてマークされていることなどこれっぽっちも知らないコアは、今日も今日とてダンジョンライフを満喫していた。そんなコアは今、猛烈に感動し、声を震わせている。
「やっぱり俺の考えは間違いじゃなかった……。ここまで来るのにかなりの時間とダンジョンエネルギーを使ったけど、それに見合う、いや、それ以上の素晴らしい成果だ!! よくやった。本当によくやったぞ! ウォーター……じゃなくて、ミズガルズオルム!!」
コアの視点に映っているのは第二階層のとある岩山の天辺。コアができるだけ頑張って整えた聖域の手前にある湖地帯だった。
そこは、かつてウォーターワームに委任を付与した場所。そう、あれから少しずつ湖は成長し、ついに名称変更するに至ったのだ。
「鳥とか魚とか植物とか、色々生まれてきてそろそろかなぁって思ってたけど、まさかここまで立派な出来栄えになるとは思ってなかったよ!」
コアの興奮が示すように、そこはもう自然と何ら変わりない。過去に実在したものが蘇ったような、そんな印象を受けた。
その湖はコアが最初に造った時よりも明らかに大きい。水深も増しており、以前ドリックが訪れた時にそこまで見る余裕のなかった水の底にはロマンを感じさせる廃墟が立ち並ぶ。明らかに中世のものとは思えないその建築様式は、かつて発達した文明が存在したのだと匂わせるには充分なものだった。
静謐を湛える建物の間にはたくさんの魚たちが行き来し、自由を謳歌している。水中に光が差し込むその幻想的な風景は、コアの前の世界にもあった伝説の地を彷仏とさせた。
空想古代遺跡から切り離され、ダンジョンによって特別に名を与えられたこの一帯の名は『忘却の秘跡湖』。外に出られないコアが知る由もないことだが、この湖に生息する生き物は全て、この世界では絶滅して久しいものばかりであった。
「俺の能力ではここまでのリアリティーは出せないからなあ。なんか普通に生き物たちもいるし、これぞまさしくもう一つの世界って感じだな! 我が子たちとの合作によって創り上げる世界……。感無量です!」
自分一人でこつこつと作り上げる「俺の考える最高の世界!」で達成感を得るのもいいが、合作によって予想だにしないものを見せ付けられるサプライズも堪らない。
自分の狭い世界を壊し、インスピレーションを齎してくれる他人の存在はいつだってコアを成長させてくれた。これまでの全ての経験が今の自分を形作っているのだ。コアは、自分をダンジョニストに押し上げてくれた全ての者たちへの感謝の分まで、まとめてダンジョンに捧げ終えると、考察に戻った。
「そういえばミズガルズオルムの方は変化したけどメイハマーレの方はまだだな。どうしてだ? 別に成長を急いでるわけじゃないけど、こういう考察って楽しいからね。うん、仕方ないね。……とは言ってもメイハマーレとミズガルズオルムでは条件が全然違うから特定は難しいな。委任を付与した範囲も違うしメイハマーレはちょいちょいダンジョンから出て行っている。その時に逆流してくるエネルギー的にたぶん委任は付与されたままなんだろうけど、それが何の影響もないとは言い切れないからな。それに引き換え、ミズガルズオろム、ミズガズル。……。ミズカズっ、……。…………ミーちゃんは範囲内からずっと動かなかったし、特に指示出しもしていない。そういうことも関係しているのかもしれないな」
言い終わる時には何故かハードボイルドな口調になっていたコアは、大人の事情により考察を中断する。
そして何事もなかったかのように鋼の精神でハードボイルドごっこを続けた。
「何はともあれ、これほどの偉業。直接褒めてやらねばならんだろう。とは言え、ミーちゃんは自由に移動することができないからな。ここはメイハ……」
「お呼びでしょうか、御方」
「ッッ!!???」
ごっこ遊びに夢中になりながら視点を切り替えていたこともあり、メイハマーレの接近に全く気づいていなかったコアは急に声を掛けられて死ぬほどびっくりする。
その後すぐに、心理的冷や汗が滝のように流れ出した。
(い、いつからいた、メイハマーレッ!? やっちまったか……? やっちゃったのか、ついに!? 威厳の無い、素の口調を聞かれたか……!? いや! いや、待つんだ。最初の頃は確かにいなかった。ハードボイルドごっこが始まってからメイハマーレが来たのであれば、まだワンチャン残って…………ないッ!! ワンチャンなんか残ってないよ!! ミーちゃん言っちゃってるじゃん! ハードボイルドにミーちゃんってなんだよ、ただの馬鹿だよ!? あぁぁ、致命的だ、これは全然神っぽくない……。お、終わったぁ……)
神コア、崩壊。
ちょっとしたうっかりミスによって、これまで築き上げてきた全てが泡沫の泡となって消えてしまった。
なんと儚きことか。
コアはこの世の非条理を恨む。しかし、それがひどいことだとは思わない。
ダンジョンゲームでも少しの油断がゲームオーバーに繋がることはよくあった。それに比べれば、この世界でのゲームオーバーに比べれば、今回のことなんて何でもない。コアはそう自分に言い聞かせる。
まだダンジョンライフは継続することができるのだ。それで充分じゃないか。
だからこれから先、愛する我が子たちからの信頼が失墜し、蔑まれ、言うことを聞いてくれなくなったとしても、コアは別に全然構わないのだ。
(…………つれぇぇ。ごめんなさい、嘘つきました。つれぇよ、そんなの……)
我が子たちが自分の相手をしてくれなくなったところを想像し、ブワっと涙が溢れる。
失意のどん底に叩き落とされ、真っ白になって行動停止してしまうコア。そんなコアにメイハマーレから声が掛けられる。
「……御方?」
それは自分の呼び掛けに反応しないコアを不思議に思うものだった。その声音はいつものものと変わりない。コアの勘違いでなければ、そこには蔑みや侮蔑といった悪い感情は含まれていないように思えた。
コアはそこに一筋の光を見出だす。
(……おや? これはどうしたことか……。俺の勘違いじゃないよな? 一体どうなっている……? いや……待てよ? もしかして……)
コアは思考の末、ある結論を出した。
ここまでの考えは全て、あくまでもコア個人のものだ。自分が考えとメイハマーレの考えが同じとは限らない。と言うよりも、その考えには隔たりがあると仮定するのが妥当だろう。
メイハマーレの考えがコアに理解できないのはいつもの事なのだから。
自分で言っていて少し悲しくなってくるが、つまり、だ。ここから導き出される大事なことは――。
(メイハマーレの謎思考によって、まだワンチャン残ってる可能性あり!?)
コアの胸に希望の灯火が点火する。
その炎は急速に大きくなり、今まで暗く閉ざされていた道を照らし出す。
進むべき道が見えたコアは、導きの光に従って力強くその一歩踏み出した!
「……ハ、ハックショーン。うむ、誰かが俺のことを噂しているようだ。噂をされるとくしゃみが出ると言うからな。そうに違いない。……さて、待たせたなメイハマーレ。お前に頼みたいことがある、のだが、その前にだな……。つかぬことを聞くが、いつからそこにいた? 少し考え事をしていてな、気付くのが遅れてしまったのだよ」
「噂をされるとくしゃみが……? そのような事があるのですね。それならばきっと人間共でしょう。今頃は御方の名で持ちきりでしょうから。そして、お忙しいところをお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。アタシがここに参りましたのは、……恐れ多くも、御方がミズガルズオルムのお名前をお決めになっている時でございます」
サラッと不吉なことを言われた気がするが、都合良く誤魔化せたようなので今はもう一つのことに集中する。この問題に比べたら人間たちのことなんぞどうでもいい。
(うーわ。よりによってそこかい……)
コアがミズガルズオルムの言いづらさに噛み噛みになっていた時だ。聞かれたくなかったところをバッチリ聞かれていたと知って、コアに灯っている炎が一気に小さくなる。
しかも、微妙な間の後にただ単に噛んでいたところを、名前を考えていたという気遣いまでされる始末。
もはや会話を放棄して第三階層に引きこもりたいぐらいの恥ずかしさだった。
しかし、ここまできてもメイハマーレに態度の変化は見られない。致命的なところを聞いていたはずなのに変わらぬ忠誠を示し続けるメイハマーレ。
もう何がどうなっているのか全く分からないが、とにかくコアは進み続ける。
「そ、そうか。いや、別に気にすることは無いぞ。何も邪魔になどなっていないからな。うむ、分かった。……ああ、それで、頼みだったな。少し空間を繋げてほしいところがあるのだが、引き受けてくれるか?」
「……それは、ミーちゃんのところでしょうか?」
(ブフォッ!!?)
メイハマーレの無意識による会心の一撃がコアを襲う! 更にその後もメイハマーレの猛攻は止まらない。
「御方、ミーちゃんの『ちゃん』とは愛称でしょうか、それともミーちゃんで正式な名前なのでしょうか。どうかお答えいただきたく存じます」
(なんか妙に突っ込んでくるじゃん!?)
今のメイハマーレには、えも言われぬ迫力があった。やはりあれだけの失態、今まで通りとはいかないのだろう。その圧力はコアから、提示された二択以外の選択肢を奪うほどだった。
そしてメイハマーレからのセンシティブな質問に、コアは己の尊厳とミズガルズオルムの将来を天秤に掛ける。
(くっ、どうする!? 愛称か、否か……! 神っぽくない振る舞いをしていたと素直に認め、メイハマーレからの評価を下げるか、はたまたミズガルズオルムにミーちゃんとして生きてもらい難を逃れるか。……ミーちゃん、か。自分で言っといてなんだけど、似合わねぇ……。今はまだギリギリ大丈夫な範囲だと思うけど、あと一回進化したら絶対合わなくなる。俺が正式な名前だと言い張れば皆はきっと何も言わずに従ってくれると思うけど、やっぱりイメージってあるからな……。心の中で「あいつの名前って変だよねー」って思われるのはマジでキツイって、かつての同士、『エクストリーム普通』さんも言ってたし、それを分かっていながらミズガルズオルムに辛い思いをさせるわけには……いかないよな。……自分で蒔いた種だ。覚悟を決めろ、コア……!!)
ミーならまだ何とかなる! と、コアは決然と言い切った。
「愛称だ」
ドン、と効果音が出そうなほど堂々と言い放つと、再び若干の間ができる。
不安になりながらメイハマーレの反応を待った。
「そう、ですか……」
コアの答えに、どよんとした空気を纏い始めるメイハマーレ。
やはり今まで崇拝していただけあって、コアの見せた残念な姿に幻滅してしまったのだろう。覚悟していたとは言え、コアはハートにチクチクしたものを感じるのだった。
それはそうと、ミズガルズオルムに対する褒美の話だ。コアは無理やり気分を変えて話を進めるために口を開こうとするも、その前にメイハマーレから切り出してきた。
「御方。ミーにお褒めの言葉を授けるため、空間を繋げよとの事ですが、恐れながら申し上げます。この度の件、御方から直接お褒めの言葉を言い渡すほどのことではないかと。ダンジョンを成長させることができるのは全て御方に付与していただいた委任のおかげであり、付与された者が特別何かをしているわけではございません。それに、ミーは非常に図に乗りやすい性格をしております。これしきの事でお褒めになられていては、今後ミーのためにならないかと愚考いたします」
「お、おお。そうなのか?」
(何かミズガルズオルムのことをディスってるように聞こえるのは気のせいだろうか……?)
落ち込んでいたと思ったら怒涛の如く喋りだしたメイハマーレに押され続けるコア。コアが自分の意見を言う時間すら与えず、尚もメイハマーレは続ける。
「それでも此度の件でミーをお褒めになりたいと仰るのであれば、私が代わりに伝えて参りましょう。そのくらいで丁度良いと考える次第でございます」
「そ、そうか。分かった。それではメイハマーレに任せよう」
メイハマーレの言葉に考えを改めるコア。
委任を付与されているモンスターは非常に少ない。それを褒めていては、付与されていないモンスターたちが不満を覚えるかもしれないと考えたのだ。それに、元々ワーム系モンスターはメイハマーレが統括しているような形になっている。
それぞれの性格を熟知しているであろうメイハマーレがそのように言うのであれば、コアがあれこれと口を挟むこともないだろう。
「承知いたしました。それでは早速使命を果たして参ります」
コアの答えを聞いたメイハマーレは心なしか無機質な声で答えて聖域から出て行った。その遠のく背中を見ながらコアはポツリと呟くのだった。
「……セーフ?」
ミズガルズオルムがいる湖までは聖域からすぐだ。メイハマーレはその短い間を移動する間にぐるぐると高速で考えを巡らせる。
(……ミーちゃん。ちゃん付け。あのミズガルズオルムに……。ミズガルズオルムだけ、ちゃん付けっ。羨ましい! どうして!?)
手が空いたのでいつも通り聖域に向かっていたところ、間が良いのか悪いのか、名づけを考えていらっしゃるタイミングで来てしまった。
ミズガルズオルムの名を考えているのはすぐに分かった。あれも丁度二回目の進化を迎えたところだ。タイミング的にもおかしくない。
だが、まさか愛称をつけて名を呼ばれるとは思っていなかった。
(二回目の進化を迎えてからすぐに目立った功績を立てたから!? それが御方のお気に召してちゃん付けで呼ばれた!? そんなのただの偶然! ミズガルズオルムは何もしてないに等しい! そんなので愛称をつけて呼ばれるなんて……許せない!!)
謎の衝動がメイハマーレを突き動かす。湧き上がる感情を制御できない。というよりも、制御する気にならなかった。
片や弄ばれるように焦らされて名付けられたメイハマーレ。
片や何もしていないのにちゃん付けで呼ばれるミズガルズオルム。
どうにも不公平に感じられた。
(アタシだって呼ばれたい! アタシだって、タイミングさえ違えばメイちゃんって呼んでもらえた! 御方から、メイちゃんて呼んでもらえたんだ! ……そういえば初めて付与をしてもらったのもミズガルズオルムだった。ミズガルズオルムは御方のお気に入り……? いやそんなわけない。ミズガルズオルムより私の方が絶対可愛い。……駄目だ。一回、絞める)
ぐるぐると定まらない思考のままメイハマーレが湖に辿り着くと、気配を察したミズガルズオルムが湖から顔を出す。
進化したことでようやくメイハマーレと訓練ができるようになったので、ミズガルズオルムはまた続きをしに来たものだと思ったのだ。
だが今回はスパンが短い。不審に思いながらミズガルズオルムが質問するも、メイハマーレから返ってきたのは冷たい答えだった。
『……随分と来るのが早いじゃない。ワタクシ、まだ魔力が回復してないんだけど?』
「ミー」
『は……? ミー? アンタ何言って……』
「殺す」
『ちょっと!?』
いきなり四方八方に空間系術式を展開され焦るミズガルズオルム。有無を言わさず強制的に訓練が開始されてしまうのだった。
荒ぶるメイハマーレによってめちゃくちゃにされてしまう美しい湖。
その様相は、今のメイハマーレの心と見事にシンクロしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます