第82話 脆い力

 ギルド内に二人の斬り結ぶ音が鳴り響く。本気でないとは言え、クリステルはまだ一太刀もガトーに入れられていなかった。


 予想外に長引く戦闘にクリステルは疑念を抱く。


(こいつ、何故こんなにも対人戦に慣れている? フェイントにほとんど引っかからない)


 冒険者と言えば普段相手にするのは力推ししか能のないモンスターだ。必然的に冒険者の方も武器の扱いは愚直なものになるはずだった。なのに、ガトーは騎士として対人戦に特化した訓練を行っているクリステルの剣が通じない。『オーラ纏い』を使える実力者とは言え、ここまで苦戦するとは思っていなかった。


「お前、どこかで剣術を習ったことがあるのか? 冒険者の癖に、何故こんなにも対人戦に慣れているのだ」


「そんなお上品なもんは習ってねーよ。ただ、冒険者の癖にっていうのは心外だな。モンスターの中にはな、この程度の剣捌きぐらい出来なきゃ勝てない奴だっているんだよ!」


 ガトーは余裕を装って軽く返してくるが、その額には汗が滲んできていた。惜しいところまで行くことはあるが、あと一歩が届かない。そんな攻防が続いた。


 だが長引く戦闘にとある男が痺れを切らす。


 自分が危害を加えられることなど有り得ないと信じ込んでいるトルマリンは、二人の戦闘に巻き込まれないように一人で離れたところに待機していた。


「何をぐずぐずしているクリステル! さっさと殺せ! 戦いが長引けば長引くほど他の猿共が調子に乗るんだぞ! それが分からんのか!?」


「チッ」


 距離が離れていることをいいことに、クリステルは小さく舌打ちする。自分のことしか考えていないスケベデブ油でテカテカ臭ジジイには内心うんざりしていた。


 舌打ちが聞こえたことである程度こちらの背景を推察したのであろうガトーが、構えを解いて話しかけてくる。


「なあ嬢ちゃん。そろそろ止めねーか? お互いの力量も大体わかったはずだ。本気でやり合ったってどうにもならないことはもう分かっただろ?」


 ガトーの言葉に剣を構えたまま考え込む。確かにこのまま戦いを続けても無駄だった。


 ガトーは思っていた以上に強い。このままでは埒が明かない。かといって、本気を出して冒険者ギルドを破壊してしまっては元も子もない。しかも、ガトーにはピンチになった時に加担する味方がいるが、こちらには誰もいない。


 クリステルはこの建物内にもう一つ感じるオーラの気配に目を向ける。ゆったりしたローブに穏やかそうな顔をした中年の男。見た感じでは戦いを生業にしている者には見えないが、この者もれっきとした『オーラ纏い』の使い手だった。


 分が悪い。それどころかはっきりとした劣勢だ。冒険者側はこちらを追い出そうと思えばいつでもできた。なのにこうしてダラダラと剣を合わせている理由がわからない。


 冒険者側の狙い。ここから良い塩梅に事を収めるための落ちどころ。トルマリンを言いくるめるための説明。


 クリステルがそこそこ出来が良いと自負する頭を回転させていると、苦笑いをしたガトーがこちらを憐れむように忠告する。


「何だかいろいろ考え込んでるみてえだが、一つだけ嬢ちゃんに良いことを教えてやるよ。嬢ちゃんが本当に気にかけるべきは俺やゲーリィ、さっき嬢ちゃんが警戒した魔法使いじゃあない。ここに、もう一人いる『オーラ纏い』使いだ。その存在に気づけないようじゃ、どのみちそっちに勝ち目はねーよ。悪いことは言わねぇから、今の内にあのデブ貴族と縁を切る方法でも考えておくんだな」


「なに……?」


 クリステルはその言葉を訝しむ。そんなはずはないと。


 『オーラ纏い』に目覚めた者は体内の魔力が活性化する影響で強い気配を放つようになる。『オーラ纏い』使いが他の『オーラ纏い』使いのことを感知できるのは、この強い気配同士、波動のようなものが反発し合うためだ。つまり、波動の反発を感じない者は『オーラ纏い』を使えないと言うことになる。


 一応、その波動を隠すための手段として<ハイド>系スキルなどがあるが、『オーラ纏い』を使えて、なおかつ<ハイド>系スキルを覚えている者など、超一流の中でも一握りの暗殺者くらいだ。間違っても冒険者なんかではない。


「……ハッタリか。それに、そんなあからさまにトルマリン様を馬鹿にするような発言をして、命が惜しくないのか?」


「ま、信じられねぇよな。そりゃそうだ。命は、そりゃあ惜しいさ。だが、俺が死ぬことは決定事項なんだろ? なら別に何言ったっていいじゃねぇか」


 笑い声をあげてそんなことをのたまうガトー。その姿は自分が死ぬことなど欠片も考えていないように見えた。


「……もう一度聞くぞ。何が狙いだ?」


 ここまで貴族に反発しておきながら不安の色が全く見えない。その事にクリステルは妙な焦りを感じていた。


「何度聞かれようが答えは同じだ。分からねえよ。俺にはさっぱりだ。今の俺はな、嬢ちゃんと同じで使いっ走りにされてる立場なんだよ」


 どこか投げやりな感じでそう言い切るガトーは嘘をついているようには見えなかった。貴族の端くれとして、クリステルも相手の嘘を見抜くための訓練などは積んでいる。ガトーの言っていることが本当なら、それが何を意味するのかが分からず困惑してしまう。


「ギルド長が使いっ走り……? まさか、ヘクター・ヘルカン子爵からの指示でも受けているのか?」


 その可能性も無くはなかった。あの知略に優れる老君であれば、ここから再び舞い戻ることもできるのではと勘繰ってしまう。クリステルは貴族の一員として、街をここまで大きく発展させたヘクターのことを尊敬していた。


 これにガトーは手を横に振る。


「あぁ、違う違う。そうじゃねえ。ヘルカン様じゃなくて、嬢ちゃんが存在を信じてねえ、もう一人の『オーラ纏い』使いだよ」


「またそれか……」


 繰り返される馬鹿げた話にクリステルは呆れる。だが相変わらずガトーには嘘をついている様子がない。相反する状態にクリステルは情報を整理する。


 この街にいる『オーラ纏い』使いは、あとミスリル級冒険者パーティー『魔導の盾』に一人いるだけだ。ヘルカン家の執事もそうだったらしいが、先のスタンピード戦で負傷した上に、ヘルカン子爵と共に辺境の地に移り住んだと聞いている。そのため除外だ。


 では、その『魔導の盾』の一人がガトーの言う『オーラ纏い』使いかというとそれは違う。ミスリル級とは言え、たかが一冒険者がギルド長に指図できる立場にはないはずだ。


 答えが出ないまま結局振り出しに戻ったクリステルだったが、そこで一つの情報を思い出した。あまりにも荒唐無稽だったために初めから切り捨てていた情報。それは――。


「……光の柱の冒険者」


「おぅ。それだそれ。なんだ知ってるじゃねーか」


「馬鹿馬鹿しい。天を突き刺すような巨大なオーラの柱を発生させたなど、そんなのもはや人間じゃない」


 他にも、他国の貴族という話だったり、その気になれば一人でスタンピードを抑えられたという話であったり。まともに報告する気があるのかと密偵を叱りつけたくなる情報のオンパレードだった。


 しかしどんなに阿呆らしくても情報は情報。クリステルはこれを、こちらの勢力を牽制、あるいは撹乱するためにヘルカン子爵が仕組んだブラフだと処理した。だがそれと同時に、ヘルカン子爵がこんな杜撰な情報を流すだろうかと疑問に思ったのも事実。


(確かめるか。自分で)


 幸い、このガトーと言う男は腹芸が得意なタイプには見えない。というよりも、そもそも情報を隠す気がないように見える。もらえるものはもらっておくことにした。


「……お前はさっきから、どうしてそうも大事な情報をペラペラ喋っているのだ? それも光の柱の冒険者の指示か?」


「いや? 嬢ちゃんになら話しても問題ねーかと思っただけだ。まあ、俺にこんな役回りをやらせるくらいだから、俺がこうしてベラベラくっちゃべるのも想定の範囲内なんだろうよ」


「……お前たちはその気になればこの戦いをすぐに終わらせることができたはずだ。どうしてわざわざ長引かせた?」


 この質問にガトーは肩を竦めると親指で一つの方向を指し示した。


「戦ってんのはただの成り行きだが、そういう細かいことは俺には何もわからねーよ。どうしても気になるってんなら、本人に聞いてみたらどうだ?」


 クリステルがガトーの示す先、酒場の方に視線を向けると、そこには一人だけ場にそぐわない者がいた。


 一緒にテーブルを囲むのはクリステルよりも若そうな冒険者たち。若いとは言え油断ならない実力を感じさせるその冒険者たちがこちらを見ながら何やら話し合っている中、その者は一人、腕と足を組んで黙りこくっていた。


 安物そうなローブで身を纏い、フードも深く被っているのでその表情は見えない。一見して特徴の無い冒険者のようだが、クリステルはその冒険者を認識した途端、謎の違和感と焦燥感に襲われた。


 それは、本能が鳴らす警鐘だったのかもしれない。だがそこまで考える余裕が無かったクリステルは、どこか引っかかるような違和感の究明だけに集中する。


 クリステルは改めてその冒険者を見るがやはり特別なところは何もない。同様にオーラの気配も感じ取れなかった。


(こいつ、適当なことを言ったんじゃないだろうな)


 クリステルは一旦その冒険者から目を切って、疑いの目でガトーを伺う。もしや貴族を騙せるだけの芸達者な奴なのかと思考が逸れた時だった。


「っ!?」


 クリステルの<気配察知>の範囲内からあの冒険者の反応が消えた。それに気づいたクリステルはすぐさま視線を戻す。すると、そこには変わらぬ姿勢で椅子に座り続けるあの冒険者の姿があった。


(え……なに、どういうこと……?)


 消えたと思った。いなくなったと思った。事実、<気配察知>はそのような情報をクリステルに齎している。


 だが、クリステル自身の目は、そこに冒険者がいることをしっかりと確認していた。


 矛盾する感覚。その事に気づいた時、クリステルの身体は知らずに震えていた。


(違う……。オーラの気配を感じ取れないんじゃない。そもそも、こいつ自体の気配を感じることができてないんだ!)


 生まれてからこれまで遭遇したことの無い未知の感覚。これがスキルによる効果だと言うのなら納得できた。しかしこれはスキルによるものではない。


 <ハイド>系などのスキルは見た目にも作用する。見た目はそのままで気配だけが無くなるスキルなど聞いたことがなかった。


「あー、嬢ちゃん。深く考えるのは止めとけ。頭がパンクしまうぞ」


 いきなり横からガトーがクリステルの身を案ずるような言葉をかけてくる。何を、と思うクリステルだったが、その時になってようやく自分の顔が汗でびっしょりになっていることに気づいた。


 クリステルは、恐怖していた。


 実際に戦ったわけではない。相手の実力が分かったわけではない。しかしだ。竜を見て、その実力が分からないと言う人間がいるだろうか。戦ってみないと分からないと、竜に突撃する人間がいるだろうか。


 クリステルは今、はっきりと自覚する。自分の生存本能が、あれと敵対することに全力で反対していると。事ここに至ってクリステルは密偵たちの情報があまりにお粗末だった理由を知る。


 自分でさえ全く底が見えない相手を、密偵程度が見極められるはずがなかったのだ。ただ、今だけは、密偵たちが必死にかき集めてきた情報に縋りたいと思う。


 推測を交えた不確かな情報も多かったが、それらが示していたのは実力が確かなのは間違いないらしいということ。ならば迷うことなど何もない。


 クリステルは剣を鞘に収めると踵を返した。


「おい!? 何をしているクリステル! 早く殺さんかッ!」


「トルマリン様、ここは一旦引きましょう。これ以上力を出すとなると、トルマリン様の施設であるこの冒険者ギルドが崩壊するばかりか、トルマリン様の身に危険が及びます。何も力ずくで制することだけが方法ではありません。我々は我々のやり方で。尊き貴族たるトルマリン様だからこそできるやり方で、力の差を思い知らせてやればいいのです。その寛大な御心で、奴らに遺書を書く時間くらいお与えになっては如何ですか?」


「クッ、……くくく。そうか、遺書か。確かに、それぐらいの時間は与えてやってもいいかもしれんな。仕方がない。今だけは見逃してやろう!」


 結局、トルマリンは自分が不利な状況で逃げ出したと思われるのが嫌なのだ。ならば、そうではないのだと理由付けをしてやれば簡単に引き下がる。


 クリステルにしても、この判断は密偵たちの情報も鑑みて総合的に決めたと言えば、トルマリンの裏にいる貴族から責任を取らされることもない。とにかく今はここから離れたいクリステルであった。


 勝ち誇ったような顔で出入り口へと向かおうとしたトルマリンだったが、何かを思い出したかのように立ち止まると冒険者たちに振り返り、声高らかに宣言した。


「おい猿共! 命拾いしたな! だが去る前にこれだけは言っておくぞ! これから貴様ら冒険者の税率は七割にする! これも決定事項だぞ! それと、この冒険者ギルドにはミスリル級冒険者パーティーがいるだろう! そいつらは特別に私の専属にしてやるから、そのように取り計らっ……」


「お断りだッ!!」


 傍若無人なことを好き放題言い続けるトルマリンだったが、突如鋭い声がそれを遮った。


 ギョッと驚くトルマリンが再び出入り口の方に振り向くと、そこには五人の冒険者たちと、その前に転がされる男の騎士の姿があった。


 見間違えようがない。その騎士は、トルマリンがお気に入りの娘を捕らえに行かせた護衛の男だった。


「就任早々好き勝手やっているようだな、このクソ貴族がッ!! 誰がお前の専属になんかなるもんか! 冒険者に依頼をしたかったら、正当な報酬を用意した上で正規の手続きを踏んでからにするんだなッ!!」


 先頭にいる小太りの男が堂々とトルマリンに言い放つ。平民に怒鳴られるという、常軌を逸した状態に陥ったトルマリンは、現状を理解するよりも先にクリステルに命令を下していた。


「クリステル! 殺せ!」


「お言葉ですがトルマリン様。あれがこの街のミスリル級冒険者パーティー『魔導の盾』です。そして先頭にいる男は『オーラ纏い』の使い手でもあります。それは得策ではないかと」


 しかし当然、一刻も早くこの場から離れたいクリステルは命令を拒否する。眠れる竜の前でチャンバラごっこをするなど、得策どころか愚策でしかない。


 何も思い通りにならないことに、血管が切れそうなほど顔を赤くし歯ぎしりするトルマリンを、小太りの男、エルゼクスは更に煽る。


「ふん! どうしたクソ貴族! 護衛がいないと何もできないのか!? 力で思い通りにいかない気分はどうだ? 悔しかったら、お前がゴマをすっている貴族に頭でも下げて増援を送ってもらうんだな! おい! 貴族様がお帰りだ! 道を開けてやれ!」


 エルゼクスがそう言うと『魔導の盾』は酒場の方へと歩いて行った。あとに残されたのは出入り口の前に放置された騎士の男だけ。貴族にとって屈辱と言う言葉では生ぬるい仕打ちだった。


「……殺してやる。殺してやるぞ! 貴様ら全員! 必ずだ!  一人残さず! 殺してやるからな! 覚えていろ!!」


 怒りで半狂乱になったトルマリンはズカズカと足早に出入り口へと歩いて行く。騎士の男が転がっている場所まで来ると、感情のままに頭を蹴り上げた。


「ぐっ!」


「いつまで寝ているこの無能が! 貴様はクビだ! 二度と私の前に姿を見せるな!!」


 怒りが収まらないトルマリンはそのままドアの前に行くと、足でスイングドアを蹴り開く。


 勢い良く開かれたスイングドアは、一度限界まで開いた後、反動で勢い良く戻る。蹴りの状態で体勢が崩れていたトルマリンは、スイングドアからの反撃を受けてひっくり返ってしまった。


「プッ……」


 ギルド内から聞こえる、堪えるような笑い声。トルマリンにはもうこれらに言い返すだけの余裕が無かった。


 自分でスイングドアを押し開くとそのまま馬車に乗り込み、領主館へと戻って行くのだった。

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