第83話 知らぬが仏

「言ってやった! 言ってやったぞ、僕は!! あースッキリした! 冒険者貴族! 僕の好きなようにしていいと言うから、思いっきり言ってやったぞ! あれで良かったんだよな!?」


 エルゼクスが興奮しながら捲し立てる。憎き貴族を言い負かすことは非常に爽快感が伴うことだった。


 普通、貴族にあれだけ無礼なことを言えば死は免れない。貴族は国の法律によって強力な権力を約束されている。そのため貴族はトルマリンのように横暴を働くことが常だった。それを思えばヘクターがどれだけ特殊な例だったのか分かると言うものだろう。


 そんな貴族に対し、ミスリル級冒険者と言えどあれほど強気に出れたのはアテンの存在あってこそ。ガトーとゲーリィの、新たな領主からこの街と冒険者ギルドを守るために力を貸してくれという頼みに対し、アテンは二つ返事で引き受けてくれた。


 いつも以上に冷静な、と言うよりも少しテンションが低めのアテンは、全てを説明するのは面倒だと言って最低限の指示しか出さなかったが、彼が冒険者たちのことを考えてくれているのは周知の事実だ。その指示内容は驚くほど大胆不敵なものだったが、アテンに恩を感じている冒険者たちを皮切りに、信頼で応えてみせたのだ。


 本音を言えば少し怖かった。『魔導の盾』の立ち回りは非常に目立つものだったからだ。しかしそれも、街の大通りの意味不明な場所に配置されて待っている間に吹っ切れた。新しい領主は紛れもないゴミ野郎だと確信できてからは、これまでの貴族への鬱憤を晴らすかのように身体がスムーズに動いたのだ。


 エルゼクスは非常にすっきりした顔で酒場に余っていた酒を手に取るとそれを一気飲みした。そして「プハー」と言って口を手で拭うと、そのまま倒れるのだった。


 エルゼクスは下戸だった。


 パーティーメンバーに<アンチポイズン>を掛けてもらっているエルゼクスに、残念なものを見るような目を向けた後、ガトーがアテンに話しかける。


「しかしよアテン。あれはさすがにやりすぎたんじゃねーか?」


 ガトーは去り際のトルマリンの表情を思い出す。怒りに狂うトルマリンの顔は正に鬼の形相という言葉がピッタリだった。殺してやると言っていた通り、目的達成のためなら手段を選ばないような凄みを感じたのだ。


 ガトーはギルド長として冒険者たちに危害が及ぶのを心配していた。


「……問題ない」


 ガトーの問いに答えるアテンにいつもの覇気が無い。酔っ払っちまったのか、いや、ここ最近はこんな調子だったか、とアテンの様子を思い返していると、アテンは一度かぶりを振って顔を上げる。その時にはもういつもの迫力が戻っていた。


「もう一度言うが、問題ない。純粋な力で冒険者を圧倒できない以上、奴にできることは何もない。愚かな男だ。自分が持つ最大戦力を見せびらかすためにわざわざ連れてきて、その戦力も大したことがないものだと自ら証明したのだからな。加えて奴は自分が持つ戦力が足りないからと他の貴族に頼ることもできない。寄り親に泣きつけば平民に侮られる無能だと切り捨てられ、同格の貴族に頼っても、その情報を上の貴族に流され、今の地位を乗っ取られるだろう。力のみに頼る者はその力を封じられた時に何もできなくなる。奴はその典型例だな」


 久しぶりの長い説明に喉が渇いたのか、アテンはまだ一度も口をつけていなかった酒に手を伸ばす。アテンは一口飲むと顔を顰めた。


 いつも良い酒を飲んでいたであろうアテンにはギルドの酒場で出される質の悪い酒は口に合わなかったのだろう。それを見ながらもガトーは感心しきりだった。


「成る程な……。いくら貴族と言っても相手の状況次第では封じる手もあるってことか」


 貴族と言うイメージばかりが先行し、対処のしようなど無いものだと思い込んでいた。それを易々と打ち破るアテンの頭脳に感嘆の溜息が出る。


「では、トルマリン子爵はこのまま大人しくしているのでしょうか」


 ここで会話に入ってきたのはゲーリィだ。ゲーリィにはトルマリン子爵が有効な手を封じられたからといっておめおめと引き下がるような性格には思えなかった。何か、普通では考えられないような強行策を取ってくるのではないかと警戒していた。


「そういうわけにもいかんだろうな、と、本来であればなるところだが、これもやはりほとんど心配いらん。奴にも、自分の兵に階級の低い冒険者を襲わせるぐらいの手段は残っていたんだがな」


 そう言ってアテンは肩を竦める。それはつまり、今のトルマリンはそれすらもできないと言うことだ。それは何故なのか。ここまでヒントをもらえばゲーリィにも答えを導き出せる。


「兵に冒険者を襲わせる……。反逆罪の名のもとに、ですね? 兵の方が強ければそのまま冒険者を殺し、逆に冒険者の方が実力が上で、誤って兵士を殺してしまえばそれは上の貴族に頼るための口実となってしまいます。それが実行できないのは……ストッパーがいるから、ですか」


「ストッパー?」


 それが何のことだか分からずガトーは言葉を繰り返した。


「護衛にいたお嬢さんのことですよ。彼女はなかなか冷静そうに見えました。立ち居振舞いから見ても、トルマリン子爵の方針にも口を出せる存在でしょう。そんな彼女が、我々冒険者側に喧嘩を売るような真似をすると思いますか?」


「ああ、あの嬢ちゃんなあ……。絶対ねえな。断言できる」


 ガトーはアテンの存在に気づいた時のクリステルの顔を思い出していた。


 敵ながら気の毒だった。せっかくの綺麗な顔が汗と驚愕で台無しになるほど狼狽していた。アテンの恐ろしさを感じ取ることができたなら敵対することはしないだろう。


(何たって、自分がアテンと戦わなくちゃならない可能性が高いんだからな。そんなの死んでもごめんだろうよ)


 これからもアテンと敵対する人間は同じような末路を辿るんだろうなぁと、未だ見ぬ者たちに同情するガトーだった。


「それで、これからの方針だが」


 冒険者たちに危険が無いことを理解したところで再びアテンが喋り出す。今までのアテンは短い指示ばかりで、先の事は語らなかった。ガトーとゲーリィは気を引き締め直して耳を傾ける。


「今まで通り運営しろ。税率を変える必要もない。貴族に屈しない姿を見せることで、人口減少を抑制することができるだろう。後は、奴らが自滅するまで待っているだけでよい」


「……自滅? あの貴族が何をやらかすってんだ?」


「冒険者云々の前に、奴らにはやらねばならんことがあるであろう? そのためにこの街まで送りこまれて来たんだからな」


「ゴブリンダンジョンか……!」


 今やただのダンジョンではなく、歴史的価値すら出てきたゴブリンダンジョン。その利権を巡り様々な思惑が交錯していた。現在では失われてしまった何かしらのものが発見できればその価値を計り知れない。


「そうだ。この街の領主に就任させてもらった見返りとして、成果を上の貴族に献上しなければ奴は今の地位に留まっていることができない。冒険者ギルドと明確に敵対した以上は、自分の兵をダンジョンに送り込むしかないだろうな」


「で、その兵たちがダンジョンの餌食になるってか。確かに普段ダンジョンに潜ってねぇ奴がダンジョンを攻略するのは難しいだろうが……。はあ、また馬鹿共のせいでダンジョンの異変が進んじまうのか。一体何人の兵を送り込むんだか知らねえが、あんまり荒らしてくれるんじゃねぇぞ……」


 眉間に皺ができるガトー。冒険者が貴族の命令で動いている兵を止める手立てなど無い。既に覚悟は決めてあるとは言え、事態を悪化させる無責任な行動に気が重くならざるを得ない。


「今更だな。既にゴールド級パーティーが生きて戻れないほどなのだ。心配するだけ時間の無駄だ」


「はあ……」


 今日は溜息が多いなとガトーは自覚する。


 スタンピード作戦の時、一人の研究員の命令によって別行動をさせた一組のパーティーがあった。ダンジョン研究機関のトップを救うためだと言われればギルドとして断ることはできない。そのため、護衛としてゴールド級冒険者パーティーをつけたのだが、それ以降音沙汰無し。おそらく、ダンジョンで死んでしまったのだろう。


 ゴールド級冒険者パーティーがただ逃げることすらできないダンジョン。その危険さはもはや「言うに及ばず」だった。


「それではアテン殿。私たちは成果を上げることができないトルマリン子爵が、上の貴族から切り捨てられるのを待っていればいいのですね? ですがそれでは、領主が変わるだけで同じことの繰り返しになってしまうと思うのですが……」


 確かにこの方法ならいつかトルマリンを追い出すことができるだろう。ゲーリィも有効な手だとは思う。しかし、新しく来る貴族たちにも、これと同じことをし続けていればいずれ対策されるだろうし、何よりも、アテンが提示した案としては少し物足りなさを感じてしまう。


 だが期待通りと言っていいのか、アテンはそんなゲーリィの杞憂を吹き飛ばした。


「言葉を取り違えるなよゲーリィ。私は自滅するといったのだ。決して奴の自業自得でこの街からいなくなると言ったのではない」


 別に褒められたわけでもないのにゲーリィの顔が明るくなる。これだと。この常人には理解できない読みの深さと正確さがあってこそアテンの案なのだと満足する。


 しかしその顔も長くは続かない。何故ならば、アテンが真剣な表情で何かを思い出すように遠くを見始めたからだ。ゲーリィも空気を読んですぐに表情を切り替える。一拍、間をおいた後、アテンは語りだした。


「あのダンジョンは、我が王の国が管理している、とあるダンジョンに似ている。数あるダンジョンの中でも、潜在危険度が特に高い、あのダンジョンにな……」


 ガトーとゲーリィ、ついでに周りで話を聞いている『約束の旗』を始めとした冒険者たちがゴクリと唾を飲み込む。あのアテンが警戒心を露わにするほどのダンジョン。一体どのようなダンジョンか全く想像できない。


「ア、アテン。話の腰を折って悪いが、潜在危険度が高いったって、お前なら数値二百ぐらい何ともねえんじゃねーか?」


 ガトーは高まる緊張の中、咄嗟に口を開いていた。それはもしかしたら、その先の内容を知りたくないと言う防衛本能の表れだったのかもしれない。だが、世の中知らない方が良いことだってあるのだ。ガトーは自分の判断を後悔した。


「限界値が二百と言うのは貴様らの基準であろう。我が王の国ではそもそもの基準が違う。潜在危険度二百など、警戒するに値せん」


 あ、ヤバい、と思った。ガトーは質問したことを詫びて、急いで話の先を促そうと思った。神経細胞が速やかにガトーの意思を汲んで口の筋肉を動かし始める。


 しかし悲しいかな。アテンの座るテーブルには、好奇心旺盛で突っ走り気味な若者が同席していたのだ。


「じゃあ、アテン師匠の言うそのダンジョンって一体、潜在危険度いくつなんですか!?」


(テメェーーッ!! レインッ!! ふざけんなよコラアアアア!!!!)


 テーブルに身を乗り出して目をキラキラさせながら無邪気にアテンに質問するレインは、その先に待ち受ける絶望のことを何も考えていない。


 ガトーの開いた口が言葉を発することもなく無意味に開き続ける中、アテンから非情な答えが齎された。


「八百六十一だ」


 ガトーは静かに天を仰ぐ。そして右手で顔を覆い隠すとフルフルと身体を震わせた。


 他の者は現実離れした数値に、金縛りにあったように動かない。一気に静かになってしまった一部のエリアには、ガトーの心の叫びが聞こえるようだった。




 言わんこっちゃねー、と。

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