第67話 珍獣 二

「はい。何でしょうか」


 ドリックの返事には全く躊躇が無かった。この状況でモンスターである自分から半ば強制的にやらされる事だ。少しは警戒感を出すだろうと思っていたが、予想よりもこのダンジョンに対する傾倒ぶりは大きいらしい。メイハマーレは目を細める。


「近々、またこの第二階層に人間たちがやって来る。おそらくこのダンジョンは、現在冒険者ギルドによって入場が規制されているだろうけど、お前を連れ戻すと言う大義名分の下、この階層にある貴重な素材を手に入れようとしてくるはず。お前にはその人間たちを誘導して罠に嵌めてもらいたい。できる?」


 既にドリックの心はダンジョン側に固まっている。でもそれだけじゃ弱い。実際に行動させて自分が人間を害す側であると言う事をはっきりと自覚させる。そこまですればもう戻れない。これは、一種の踏み絵だった。


 メイハマーレの覚悟を試してくるような言葉に、ドリックは顔を強張らせるどころか、薄く笑みさえ浮かべてはっきりと口にした。


「お安い御用です、メイハマーレ様。そもそも奴らにはこの階層の貴重な素材を手にする資格などありませんので」


「そう。資格がない。如何に貴重なものであるかを理解もせず、目に入ったものを手当たり次第に漁って、壊して、荒らしていく。そんなの許せる?」


「許せませんな!! えぇ、許せませんとも! 考えただけで腸が煮えくり返ってきましたぞ! メイハマーレ様、その際は私自身が直接手を下しても!?」


 ドリックは思った以上に乗り気だった。既に人としての心は壊れているのかもしれない。


「好きにしていい。でも冒険者には勝てないだろうから気をつけるように」


 ドリックの戦闘能力は一般的な人間に比べればいくらか高いだろうが、戦いを専門とする者には勝てるわけもない。ヘマをして死んでもらっては困る。


 当日は自分もサポートをするのでそんな事態にはならないだろうが、無謀な戦いに挑まないように言いくるめておく。


「人間。お前が怒りに我を忘れて死にに行くような真似をしないために、一つだけ良い事を教えておく」


「ハッ、何でしょう?」


 意外な事を言われたとでも言いたそうな顔だった。まぁそうだろう。メイハマーレも周りのモンスター同様、ドリックに対して好感を抱いていないのはドリック自身わかっているからだ。それに、ドリックが殺されてもいいと思っていたのはモンスターであって人間ではない。この階層に住めるという、理想の人生がこれから待っているのに死ぬ気など毛頭無いだろう。


 だが感情と言うものは時にどういう行動を取らせるかわからない。だからメイハマーレはドリックに餌をちらつかせる。


「お前がこのダンジョンに貢献し続けていれば、いつかその努力が認められ、我らが御方にお目通りする機会が与えられるかもしれない。この世で最も尊きお方を一目見たいと願うなら、死なない程度に頑張るといい」


「なッ! なんと……なんと……! 私などにも、そのようなチャンスがあると!?」


 メイハマーレの狙い通り、ドリックは凄い勢いで食いついた。餌が極上である以上は狙いも何もなく、わかっていた事ではあるのだが。メイハマーレでさえそれが罠だとわかっていても、その餌に抗えるかどうかわからない程なのだ。知性と理性に劣る人間に耐えられるはずがない。


(予測可能、回避不可能。御方の効果は凄まじい……)


 餌のあまりの豪華さに気が急いたドリックが興奮気味に質問してくる。荒い鼻息が気持ち悪かった。


「メ、メイハマーレ様! その時に失礼の無いよう、お聞きしておきたい事があるのですが!」


「もう会える気になってる? おめでたい奴。まあいい、何?」


「はい! その御方とはウィルムの王。超古代文明を築いたお方なのでしょうか!?」


「ん……?」


 ドリックが何故そういう思考に至ったのか一瞬考えを巡らせる。


(ウィルムの王はウィルムであるアタシが従っていると言ったから。ウィルムを統べるのはウィルムだけという考え方。超古代文明を築いたと言うのは……? あー、そういう事)


 メイハマーレの目に入ったのはドリックの背後にある壁画だった。


 そこに描いてあるのは竜と人型の生き物。そしてその絵を見ればどちらの方が立場が上なのかはすぐにわかる。この壁画が超古代文明に近い時代に存在したものと仮定するならば、時の支配者は竜――ウィルムだったと推測できるだろう。そこから超古代文明を築きあげ、支えてきたのがウィルムだと言う結論を出したのだと思われる。


(成る程。現状、この人間が把握している情報の限りではそういう答えに行き着くのも納得できる。でも、全然違う……)


 この壁に描かれているいくつかの壁画。戦いを記したものや崇めている様子などが描かれており、そこには何らかのメッセージが込められているように思えるが、実はそこに深い意味など何も無い。


 しかしこの壁画は、メイハマーレが委任の階層成長の能力に気づいた理由であり、御方に対して不敬紛いの抗議をした理由でもあった。


 最初、メイハマーレがこの壁を見つけた時は、単純に御方が新たに作り出したものかなと思った。そしてそこに描かれている壁画を見た時、メイハマーレはこんな感想を抱いたのだ。


 ――まるでゴブリンが竜に屈しているようだな、と。


 自分がアテンに勝利を収めた様子が描かれているようで、メイハマーレには小気味よく感じた。しかしすぐに疑問が浮かんだのだ。


 あの御方が、片方を優遇し、片方を卑下するようなものを作るだろうかと。むしろ目の前の絵は、まるで自分の願望を映し出したかのようではないかと。


 そこまで至った時、メイハマーレの全身に焦燥感が走った。前々から違和感は感じていたのだ。自分の体に注がれる大量のダンジョンエネルギーに。明らかに自分の体の維持、成長に必要な量を超えていた。しかし、不思議と無駄に使われている感じはしなかったのだ。


 御方に限ってミスなどするはずがないし、きっと何かに必要なものなのだろうと、一度結論をつけてから考える事は無かったのだが、ここにきてそれが繋がった。メイハマーレはすぐに御方に確認を取った。すると案の定、委任には自分の知らない能力が存在したのだ。


 無意識で作られたものでさえ、見る者が見ればすぐにその意味がわかるほど鮮明に反映されてしまう成長能力。大事な階層を預かる身としては恐怖しか感じない。


 御方が大切に造り上げたこの階層を、自分の醜い潜在意識で汚すわけにはいかない。メイハマーレは懸命に説得したのだが、結局は面白がる御方に折衷案を持ち出され頷くしかなかったのだ。


 だからこの壁画はメイハマーレのただの自己満足の産物。御方に確認もしたが、別に壊さなくてもいいと言われたのでそのままにしてあったものだ。今回は超古代文明の件も重なり、意味深なものになってしまったと言うだけの話。しかし、それをわざわざこの人間に説明してやる義理は無い。


 というか、説明するのは恥ずかしかった。


 自分の質問にメイハマーレが疑問の声を上げたことで、何か見当違いの事を聞いてしまったかとドリックが焦り出す。


「あ、あの、違いましたでしょうか?」


「ん、違う。御方は言ってみれば万物の王。一つの種族の王に収まる器ではなく、いずれはこの世の全てを支配する絶対者」


 スケールの大きすぎる答えが返ってきてドリックは一瞬言葉を詰まらせる。


「この世の全てを……それは、凄まじい事ですな。まるで神のようです」


 何気なく言ったのだろう。何か凄い存在を指す時、神という言葉は使い勝手が良い。しかしメイハマーレはそれを否定しない。


「その認識で良い。神と言うのはあながち間違いでもない」


「……え。……えぇぇ!?? ま、間違いでもないって、神、いや、神と同等の存在!? 一体、御方とは何者なんですか!??」


 御方が何者であるか。それはメイハマーレにも確証は無い。ウィルムとなり、太古の叡智を手に入れた今のメイハマーレの知識の中にも該当するものは無かった。


 しかし知識は無くともメイハマーレには卓越した考える力がある。今まではただ単に、自分を創造した絶対者であり、忠義を尽くすべき主としか考えていなかったが、この姿になった時、初めて御方の正体に深く切り込んでいた。


 その時は答えが出なかったが、新たな手掛かりを得た今、再びその続きを行う。


(そもそもダンジョンコアに自我がある時点でおかしいけど、とりあえずそれは置いとく。ヒントとなるのは、委任の事で御方に相談した時の事。この階層の成長のさせ方を超古代文明に決めてもらった時の事だ)


 成長の方針を超古代文明にすると言われた時はほっとしたものだ。この色味の少ない、特殊にすぎる非現実的な階層をどのようにしていくのか、メイハマーレには想像もつかなかったからだ。


 自分の知っているものでよかったと。御方のご期待を裏切らずに済むと安心した。しかし、一応確認のためにと、超古代文明と言うものがどういうものか、御方に説明して頂いている内に段々と違和感が出てきたのだ。


 これは、自分の知っている超古代文明ではないと。


 御方に説明して頂いたものの中には、超古代文明の時代でですら、明らかにと言えるものがあった。


 理解できずに困惑するメイハマーレに残念そうな雰囲気を出しながらも、取りあえずやってみろと流されてしまったのでその詳細を知る事はできなかったが、ここからわかる事がある。


(それは、かつて超古代文明すら超える時代があったと言う事。私の知識の中には欠片も無いそれを、御方は知っている。御方は、あのダンジョンコアを依り代にしているお方は、『存在しないはずの時代』を知っている……!!)


 この世界で一番の隆盛を誇っていたのは超古代文明時代で間違いないはずだった。進化時に得た知識ではそうなっている。つまり、メイハマーレに理解できない事など、もうほぼほぼ無いと言うことだ。だが、御方と軽くお話ししただけで知らない仕組み、言葉がポンポンと出てきた。これでは矛盾している。


 どこかに、嘘が混じっていた。


(御方は絶対と言う大前提で考えれば、自ずと間違っているのは世界から与えられた知識と言うことになる。どういう事か。世界が隠している歴史がある。知られると不都合がある? だから消された? ……今は答えが出ない。もしくは、考えられるもう一つの方向性。世界から与えられた知識も間違っていないとするならば……。存在しない時代の、存在しない知識を、唯一有することができる者。それは……)


 メイハマーレはここからでも見える、この階層で一番高い岩山を見る。聖域にいらっしゃるはずの、御方がおわす方向を。


(時代を設定した創造主。世界を創りたもうた、『神』に他ならない……!)


 メイハマーレは絶賛混乱中のドリックの方に向き直ると静かに問う。


「人間。お前にとって神とは何? どういう存在?」


「は、どういう……ですか。神と言えば、世界を創り、始まりの生命を生んだ存在と言われますが……」


「そう」


 その答えが聞ければ満足だった。それは今、御方がやっている事と同じだから。


「人間、お前は運が良い」


 コロコロと話の内容が変わる会話に、ドリックはついていくので必死だ。だが、自分の運が良いと言う事については疑いようが無い。


「そうですな。このダンジョンに出会う事ができました。ここに住む許可も頂いて、超古代文明時代の解明に従事できる事は、研究者として……」


 一つ頷いてから感慨深く思いを語るドリックだったが、言葉の合間にするりと、メイハマーレの致命的な問いかけが入り込む。


「それで満足?」


「え? ええ、私は満足……」


「本当に? 超古代文明を超える世界、見たくない?」


 その言葉を聞いた時、ドリックに流れる時間が確かに止まった。


「……」


 言葉が出てこない。考えた事もなかった。超古代文明で精一杯だったドリックには、あまりにも刺激が強すぎる言葉だった。それでも何とか言葉を吐き出せたのは、彼の強い知的欲求の賜物だろう。


「ど、どういう……」


 震える声で何とか言ったその短い質問をメイハマーレはちゃんと拾ってやる。人間にしてはよくついてきていた。


「私は言った。このダンジョンを治めている御方は神であると。超古代文明は所詮、地上の生き物が築き上げたものでしかない。じゃあ、それを神、御自らが創り上げたらどうなる? 御方は、アタシでさえ知らない事を星の数ほど知ってる! 超古代文明を軽く凌駕する、神だけに許された独自の理。神の、神による、神のための古の超文明。神々が存在した幻の時代『神代』が、ここに復活する!!」


 メイハマーレはいつの間にか両手を横いっぱいに拡げて力説していた。これほど熱く語る彼女を見る事は滅多に無い。


 冷静さを旨とする彼女には珍しく、興奮を隠す事なく表していた。


「じ、神代……ッ!?」


 特大級の規模の話に頭の理解が追いついていなかったドリックにも、徐々にその内容が染み込んでくる。それに比例するように目は血走り、呼吸は駆けずり回った後の犬のように乱れていた。


 興奮する二人を中心に熱気が渦巻く。ヒートアップは止まらない。


「そして、その計画は既に始まっている」


「ッ!?」


「お前たち人間は何も知らない。ヘルカンの街。あの街が、アタシたちの仲間によって既に堕ちかけていることを」


「な、なんですと!?」


 ドリックの顔が驚愕に染まる。人間の街にモンスターが入り込んでいると言われたのだ。青天の霹靂。驚くのも当然と言えた。


(アテンはむかつくけど職務遂行能力は高い。むかつくけど。計画は順調に進んでる……むかつくけどっ!)


 この間、経過報告と表して自慢話をしてきたのだ。きっと本人は済ました顔して言っていたのだろうが、ピアス越しにも嬉しそうな感情が伝わってきた。それがメイハマーレの神経を逆なでした。


(ピアスの空間を繋げるのはアタシ! どうでもいい報告に無駄な力を使わせて! このツケはオーク肉で払わせなければならない……)


 メイハマーレがアテンにメラメラと復讐を誓っていると、いつの間にかドリックの顔が驚愕から納得に変わっていた。


「成る程、わかりましたぞ。今、ヘルカンの街ではスタンピードの話で持ち切りです。それを利用するのですな? 騒ぎに乗じて目ぼしい冒険者たちを殺し、街の戦力を低下させる。様々な派閥の間者たちが蔓延っている今の状態なら、犯人を見つけるのも容易ではないでしょう。そして頃合いを計りヘルカンの街を侵略し占拠する。その後、住人たちをこのダンジョンに連れてきて殺し、ダンジョンに吸収させて成長させる。と、言う方法ではないでしょうか?」


「確かにスタンピードは利用する。でもそれ以外は間違い。御方は限りある資源を大切にするお方。そんな無駄な殺しはしない。これから御方の冴えたやり方と言うものを学んでいくと良い。きっと惚れ惚れする」


「ハッ! 学ばせて頂きます!」


「ん。それじゃ、だいぶ話が逸れたけど、お前の初仕事の話に戻る。しっかりと聞く」


「何なりとお申し付けください。必ずやお役に立ちましょう!」


 餌の効果が十二分に出ているのか、今のドリックは裏切りの心配をするよりも、むしろ逸って殺されてしまう心配をするほどだった。


 救助対象に罠に嵌められる気持ちはどんなものだろうか。


 自らも疑似餌を使うメイハマーレは、その時の人間たちの顔を想像して楽しそうに嗤うのだった。

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