第60話 歴史の真実 二

「おぉッ!?」


 先を行く冒険者から驚きの声が上がる。自分を差し置いて楽しいことになっていると直感したドリックは、急いで階段を降りていった。


 一瞬何も見えないほどの暗闇がドリックを包んだと思ったのも束の間、一気にその視界が開けた。そして、冒険者たちと同じような声を上げる。


「ほおぉぉぉぉ!?」


 階段を囲んでいた黒い壁が消えていた。ドリックは自分の状況を把握しかねてあっけにとられる。


 階段が、宙に浮いていた。何の支えもない階段の上に、自分は立っている。下を見やれば地面が見え、壁があったはずの場所に手を伸ばすも、何の感触も得られない。これにはさすがのドリックにも冷や汗が見られた。


「ハ、ハハハ。これは、落ちたらどうなるのかね? いや、それよりもどういう原理で……」


 独り言を言いながら周りを見渡すドリックだったが、自分が来た道、階段の上を見た時に言葉が途切れた。階段が途中で無くなっていたのだ。


 閉じ込められたのかと一瞬焦ったドリックだったが、その直後、階段の先から冒険者が現れたことで、少しの落ち着きを取り戻す。


「失礼するよ!」


 いてもたってもいられずドリックは階段を駆け上がる。そして予想通り、階段の一番上まで登った時に洞窟内に景色が切り替わった事で、ドリックを興奮が包み込んだ。


「ぅ、く、くっくくく。はっはっはっは! まさかこの私が、階段だけでこうも驚かされるとはね! いい! やはりこのダンジョンはいい! 驚きに満ち溢れている!」


 狭い階段の通路で大声を出した事で、周りにいた冒険者たちが迷惑そうな顔をしていたが、そんなの関係ない。そんな常識的な事を気にする人間は研究員にはなれない。ドリックは思うがままに行動する。


「いきなり外に出る階層など文献でしか見たことがない! そんなダンジョンがあるならばいつか私も、などと思っていたが、まさかそれがここで叶うとは! ああ、私は今、猛烈に感動している!」


 まだ階段を降りている途中だった何人かの研究員が、壮絶なネタバレを食らって絶望したような顔をしていた。


「こうしてはいられない! 早く未知なる階層の探求に努めなければ!」


 自らの知的好奇心を満たすため、そして研究員たちからの抗議を躱すため。ドリックは素早く階段を降りていった。






 第二階層の始まりの地点に降り立ったドリックは、そこから一望できる景色を見て絶句した。


 アンバランス。ドリックの第一印象がそれだった。


 空には外と変わらないような美しい青空と白い雲が流れているのに、大地を見下ろせば、そこにはあまりにも色味が少ない崖や植物。それは子供が色鉛筆で書き記したように作り物めいていて、現実と童話の世界が融合したような、非現実的な階層になっていた。


 ドリックを始め、研究員の全員がこの景色を見て絶句していたのだが、それには訳がある。


「ド、ドリック氏……。これが、かつての世界だというのでしょうか……?」


 ダンジョン階層に関して有力視されている一つの説。それが『世界の記憶の断片説』だ。ダンジョンの階層は過去から現在に至るまで、かつて世界に実際にあった景色を切り取って構成されていると言われている。それは、とあるダンジョンで、滅びたはずの街が発見されたり、現代でも特徴的な景色と酷似している場所が見つかっている事などからも、ほぼ間違いないだろうと言われている。


 この説に当てはめると、目の前の光景はもはや研究員たちにとって埒外だった。信じられない。そんな気持ちを表すように一人の研究員がワナワナと声を上げる。


「世界の記憶の断片説は、間違っていたのでしょうか……? こんなの、考えられない!」


 比較的まだ若いその研究員は、自分の常識を破壊してくる目の前の景色を受け入れる事に耐えられなかったのか、半ば発狂し出す。


 この、外の世界とは一変を隔する階層は、これまでの日常と、生きているという感覚を曖昧にする。この階層に辿り着いたと言う冒険者たちの情報が支離滅裂だった、と言うのもわかる話だった。


「落ち着きたまえ」


 その中で、ドリックはさすが研究者と言ったところか。彼は長年の研究の中で、自分の常識と言うのがどれだけ狭いものなのかをよく知っていた。どれだけ信じられないものでも、ありのままを受け止めるだけの器を持ち合わせている。


 研究機関のトップと言う存在でありながら、自分の考えが正しいとは限らないと思える事。それが探求者としてのドリックの強みだった。


「我々の生きてきた時間など、世界の歩みに比べれば微々たるものだ。この世の中には、まだ我々の知らない事がたくさんあるのだよ。それら一つひとつを多角的に見る視野の広さを持つことだね」


 ドリックは組織の長として、一応言うべき事は言っておく。後は彼の問題だ。ドリックも自分の考察で忙しい。これ以上は構っていられない。


(まずは世界の記憶の断片説を基に進めるかどうか、からだね。これについては、覆されたわけではないと思うのだよ)


 ドリックの鋭くなった目の先には、かつてこの時代に生きていた者がいる証、文明の残り香とも言える遺跡群が残されていた。


 ダンジョンが写し取る世界の断片は、少なくとも現在よりは過去のものになる。ただし、その過去の範囲には制限があるのかどうかわかっていない。この星が誕生してから今に至るまで、どれだけの歳月が経っているかわからないのだ。たとえどれだけ非常識な時代があったとしても、それを証拠もなく否定できるものではない。


 むしろ目の前のこの景色は、ドリックに強い納得を与えていた。それは、彼が長年追い続けているとあるテーマに起因する。


(もし本当に、このような時代があったのならば。このようにならざるを得ない原因があったのならば……! やはりこのダンジョンは、あの謎を解明する一助になってくれるかもしれない!)


 ドリックは横顔に一筋の汗を流しながらも笑みを浮かべていた。ドリックがこれからの調査に期待を寄せ、胸を躍らせていると、冒険者たちが崖の方を見て騒ぎだす。何かを発見したようだ。


「おい、見ろ! モンスターだ! あれは……ゴート系、か?」


「そうだろうが、見たことないな。誰か心当たりはあるか?」


「マウンテンゴートに似てはいるが……やっぱり違うな。あんなに大きな角はしてない」


 そこには、長い脚を駆使して崖を軽快に走り抜ける一匹の山羊モンスターがいた。冒険者たちが言う通り、歪曲しながら後ろに伸びる大きな角が生えている。


「君! あのモンスターは珍しいのかね?」


 ドリックは近くにいた冒険者のリーダーに尋ねる。研究員たちもある程度モンスターについての知識は持ち合わせているが、本職はダンジョンについてだ。モンスターだけに関して言えばやはり冒険者には敵わない。だが、その冒険者をしても、あのモンスターについてはわからなかったらしい。


「はい、珍しいと思います。少なくとも私は見た事がありません。他の冒険者が言っているようにマウンテンゴートと言うモンスターに似てはいますが、所々違いますね」


 体の大きさ、角、毛量、目の色など、既存のモンスターとは一致しないらしい。それを聞いてドリックにはある予感が走り抜ける。


(まさか……。しかし、この周囲の景色と冒険者たちも知らないモンスター。可能性は十分にあるのだよ!)


「原種かもしれないね」


「新種っ!? アレがですか!?」


 ドリックが小さく呟いた言葉を聞き間違え、過剰に反応する冒険者のリーダー。それを聞いた冒険者たちの目の色が変わる。冒険者にとっては色々と価値あるものなのだろう。研究員にしてみれば、モンスターはあくまでもダンジョン調査のついでであり、そこまで関心を寄せるものではない。その程度の事なので、彼らは未だに目の前に広がる光景の衝撃から立ち直れないでいた。


 しかしドリックにとっては違う。あのモンスターも重要な研究対象の一つだ。


(何か勘違いしているようだね。まぁ構わないだろう。現代では、今までいなかったと言う事に変わりは無い。それよりも、できれば確保して調べたいところだが)


 思案するドリックだったが、その山羊モンスターはダンジョンの奥に向かって走って行ってしまった。残念に思いながら次の機会を待つ事にする。


 なんにせよ、ドリックにとってこの階層の重要性は高まった。早く調査を行うため、手を叩いて研究員たちを正気に戻す。


「いつまで呆けているのかね!? この階層について解き明かせば、君たちはこの世の真理に大きく近づくだろう! その研究結果を持って、学会に名を残したくはないのかね!?」


 学会に名を残す。その言葉に研究員たちは目を覚ました。彼らはダンジョンに興味を持って研究員になった者たちだが、貴族として家の事と無関係とはいられない。国に貢献するような研究結果を持って、初めて後顧の憂いなく研究員としての道に没頭できるのだ。


 その目標となるのがダンジョン学会。国の上位貴族のみで構成されるこの学会に名を残す事だった。それが達成できれば、貴族として、研究員として、十分な名誉を手にする事ができる。彼らの事情を把握しているドリックの、効果的な鼓舞により再び忙しなく動き出した研究員たちを連れて、第二階層の調査が始まった。


 降りられる場所を探して慎重に崖を下っていく。この崖を自由自在に動き回れるモンスターを既に確認しているので冒険者たちは周囲に細心の注意を払っていた。


 だがその心配も杞憂に終わり全員が大地に立つ。研究員たちは早速地面に生えている草に興味津々だ。


「何だこれは。葉っぱしかない植物だと? やはり有り得ない階層だ」


「しかも、見渡す限り全てこの植物なのでは? こんなの考えられません」


「土は……黒土か。これも持ち帰って調査しなければ」


 何をどう調べればいいのかわからないのか、研究員たちにしては短い時間で調査を終え、一行は遺跡と思われるものがある場所に進んで行く。高低差がある階層なので冒険者たちは常に周りを警戒しているが、最初に見た山羊モンスター以降、一匹もモンスターが出て来ない。非現実的な空間も相まって、まるで忘れ去られてしまった世界のようだった。


 遺跡群がしっかり確認できる距離まで来ると周囲の環境にも若干の変化が見られた。植物には違う種類が混ざっていたし、周囲の岩の崖にも少しだけ色味が出ている。その変化が少しだけ現実感を齎し、調査隊に安心感を与えた。


 一行が周りをキョロキョロしながら歩いていると、ドリックがいきなり脇道に逸れて、岩山の陰になっている場所でしゃがみ出した。そこで、ある種類の植物をじっと見つめ出すと大きく目を開き、その植物に震える手を伸ばす。


 ドリックは慎重に、慎重に、その植物を引き抜く。その植物にはしっかり根っこがあり、黒土がくっついていた。


「こ……これは……」


 ドリックが引き抜いた植物は、よく湿り気のある日陰に群生しているシダ植物に似ていた。しかし、ただの植物にドリックがここまで動揺するはずがない。


 一人離れたところをモンスターに襲われては堪らないと、ドリックのすぐ後ろをついてきていた冒険者のリーダーは、ドリックが手に持つ植物について何気なく尋ねてみた。だが、今は質問してはいけないタイミングだったらしい。リーダーはすぐに後悔する事になる。


「ドリック様。その植物が何か……?」


「何か……だと!?」


 ドリックは植物を持ったまま幽鬼のようにゆらりと振り返る。その目は瞳孔が開いており、まるでアンデッドモンスターを相手にしているような迫力があった。


「君はまさか、この植物が、その辺にあるものと同じだと思っているのかね?」


 そうです、とは気軽に言えない雰囲気だ。リーダーは曖昧に否定する。


「い、いえ……」


「まあそうだろうとも。所詮、モンスターを倒す事しか能の無い君たちには、これの価値などわからないだろうね! 仕方ないから教えておくのだよ! 何かの拍子に調査の邪魔をされたら堪らないからね! だからしっかりと! 頭に叩き込んでおきたまえ!」


 歴史的価値を有する植物をその辺のゴミと一緒くたにする、その無知さに無性に腹が立ったドリックは感情のままに叫び出す。


 唾を飛ばしながら激しく言い募るドリックに、調査隊全員の視線が集まった。ドリックの普段見ない姿に、研究員たちも驚いた顔をしている。


「私がかつてこの植物を見たのは六年前。それも石の状態、つまり、化石でだ! ここまで言えばもうわかるだろう!?」


 ドリックは興奮のあまり説明を大幅に省く。その口調からは説明するのも面倒くさいと思っているのがありありとわかった。その事に文句を言えるはずもない冒険者のリーダーは、自分なりに必死に考えるも良い答えが思い浮かばない。


「えーと、その植物が古いと言う事でしょうか?」


「馬鹿が! もっと脳みそを使いたまえ! 他に考えるべき事があるだろう!?」


 質問を振った自分が馬鹿だったとでも言うようにドリックの演説会が始まる。


「化石で発見された植物が、生きている状態で見つかるほど古い時代の世界を切り取った階層という事だ! 知り合いの考古学者の話では、この植物が群生していたのはおよそ数千万年前。もしかすると、億までいくかもしれないと言っていた! かつてここまで時を遡ったダンジョンは無いッ! わかるかね!? この階層は、世界の成り立ちを解き明かす、極めて重要な要素を秘めているのだよ!!」


 世界の成り立ちとか、何億年前とか、そんな事を言われても冒険者たちにはピンとこない。驚いた顔で反応しているのは研究員たちだけだ。


 自分の言っている事が、この階層の発見が如何に偉大な事なのかが伝わっていないとわかると、ドリックの表情は憤怒に変わる。この世紀の大発見をわからせるために、ドリックは少々言い方を変える。


「揃いも揃って阿呆面を晒して! 現在ではもはや採取不可能な素材がこの階層にはある! 今では失伝してしまった幻の秘薬などがあるだろう!? もしかするとそれの再現だってできるかもしれないと言う事だ!! この階層にあるもの全てが宝の山だ! どうだ、これならわかるであろう!?」


 その言葉にようやく理解がいったのか冒険者たちが色めき立つ。だがこれでは冒険者たちが護衛の任務を放り出して暴走しかねない。頭の片隅に残っている冷静な部分でそう判断したドリックは釘を刺しておく事を忘れない。


「五月蝿いのだよ! まだ私の話は終わっていない! この階層が如何に重要であるかは理解したね! 採取できるものには最新の注意を払う必要があるのだよ! だから、何か変わったものを発見したらまず私に報告するのだ! 勝手な真似をしたら冒険者として生きていけなくするのだよ! それを肝に銘じておきたまえ!」


 お宝を前にして『待て』を指示された冒険者の何人かが不満そうな顔をするが、そんなものは知ったことではない。馬鹿のせいで貴重な素材を台無しにされたら堪ったものではない。


 ドリックはマジックバッグから袋を取り出すとその中に植物を収め、またマジックバッグに戻した。第二階層の調査はまだ始まったばかり。一行は、既に目前に迫っている遺跡に向けて再び歩き出したのだった。

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