第7話 動き出す
互いに望まぬであろう総力戦を回避できた事実を知らぬまま、ついに冒険者たちはゴブリンと対峙する。しかしそれは戦いとは到底呼べないものだった。
ベックは馬鹿だがその盾捌きは巧みであり、ゴブリンを全く寄せ付けない。逆にゴブリンは必死になって硬い盾に攻撃を加えるたびにダメージを負っていく。それでもなお相手に迫っていくゴブリンの姿勢は賞賛に値するものだが、冒険者たちには関係ない。
やがて用済みとばかりに、ベックが横振りした剣はゴブリンの首に直撃し、その使命を終えた。
「…………ご苦労だった」
コアの心中はいかなるものか。その静かな声音からは推し量ることは出来ない。
「コイツら……ゴブリンを実験に使ったな? モルモットにしたな!? 下等な分際でッ! 高尚なダンジョンに属する高尚なモンスターを! 我が子をッ! データ取りに使ったな!? 勘違いするなよ糞共ッ、貴様らはダンジョンに利用される立場であって、利用する立場じゃねえんだよ!! 世界の真理だろうがッ! 何で知らないわからない!? 街の繁栄がどうこうも言ってたな? おこぼれを! あずかってるだけなんだよ!! 寛大なる、偉大なるダンジョン様からのお恵みなんだよ! 理解しろ! 頭に叩き込めッ! 崇拝しろ! 畏怖しろ! 礼を尽くせ! それが貴様らの正しい姿だろうが!!」
違った。滅茶苦茶キレていた。あまりの怒りの発露に、周囲のゴブリンたちが動揺する。それを見て少し冷静さを取り戻し、乱れた呼吸を整える。
「フーーーー。すまなかった、怖がらせてしまったか。もう大丈夫だ。しかし危なかった。蛮族共のあまりの無礼さに総力戦に移行するところだったな。この世界の糞共は、ダンジョンに対してどういう考えを抱いているのかをちゃんと認識しておかないと、こちらのペースを乱されかねない。考慮しておかねばな。いずれ矯正するが」
未だ怒りは収まりきらないが、そんな中、コアの頭に閃くものがあった。
「正さなければならない。俺が、このダンジョンから、世界に蔓延る糞を浄化するんだ。それが俺に与えられた使命。……そうか、俺がこの世界に来たのは、そういうことだったんだ。ダンジョンの栄光を世に知らしめ、本来あるべき正しき姿に戻すこと。その大役に選ばれたのが、俺だったんだよ!」
あまりにも栄誉あることにコアの身がブルブルと震える。ダンジョンに全てを賭けてきた男として興奮しないわけがなかった。コアの気分は一瞬で最高潮まで高まるが、残念ながらそれを邪魔する存在がダンジョン内にはいた。
『なあなあミンク。このダンジョン、ヒヨッコ共に使わせてやったらどうだ? モンスターと安全に戦える場所なんか限られてるしよ。良い経験積めるんじゃねえか?』
「あ?」
ベックの何気ない発言にコアがピクッと反応する。怒りがまたも再燃するが、そこはコア。同じ失敗はしないのである。
「許されざる発言だが、これは今後エネルギーが獲得できるようになるということ。そして、しばらく攻略する気はないということの裏返しだ。つまり、十分な時間の確保が約束されたわけだ。これを利用しない手はない。そして時が来たら……祭りの始まりだ」
ダンジョンを侮辱するような発言をされてもニヤリとする余裕すらあるコアに最早隙は無い。クックック、と悪者がしそうな笑い方をしていると、ギルから聞き捨てならない単語が発せられた。
「『紅蓮の洞』? ウルフ、バット!? ここ以外のダンジョンか!? 見てえ! どこにあるんだ! 行きてえ! あ、行けねえ!?」
ニヒルな悪者を演じていた癖に一瞬で素に戻ってしまう残念なコア。コアはこのダンジョンからは出られない。現実は残酷だった。
くおーー、と訳のわからない言葉を発しながら悶え苦しむコアを余所に、冒険者たちの会話は進んで行く。
「何? ダンジョンを刺激しないため? どういうことだ、俺が認知していないダンジョンの機能があ…………特化型? 特化型とはなんの、宝箱だと!? って一気に情報ぶち込んでくるんじゃねえー!!」
重要だと思われるセリフをポンポン出してくる冒険者たちに、コアがまたもキレるのであった。
ヘルカンの街に無事に戻った銀の翼とミンクは真っ直ぐ冒険者ギルドに向かって行った。街の中央部に程近い、三階建て石造りの建物は街の中でも大きいもので、出入りする人間の職種も相まってかなり目立つ建物だった。
大通りに面した出入口のスイングドアをベックが開け放ち中に入る。冒険者が引っ切り無しに出入りする朝のピークは過ぎた時間ということもあり、ギルド内は全体的に人がまばらだ。
入って右側は酒場になっており人はほぼいない。そもそもギルド内の酒場は簡易的な食事や質の高くない酒や飲み物しか提供していないため待ち合わせなどに使われることが多く、普段から混むことはあまりない。
建物左側は受付だ。四つの受付カウンターと二つの素材買取カウンターが設置されており、今は客も冒険者もいないため職員は奥の机で仕事をしている。カウンターの奥、出入り口から左奥には2階に上がるための階段があり、建物の角を挟んで右隣には地下訓練場への階段があった。
出入口正面の壁にはボードが設置され、様々な紙が貼りつけてあった。依頼票であり、冒険者たちはここから自分に合った依頼を探し出して糧を得ていく。
依頼完了の報告をしようと銀の翼が受付カウンターに近付いていくと、それに気付いた細身の男が立ち上がり彼らに柔らかく微笑みかけた。
「ご苦労様です、銀の翼の皆さん。それにミンク。首を長くして待っていましたよ」
「副ギルド長!」
本来そこにいることはない人物の登場に四人は驚く。
長身瘦せ型でゆったりとしたラフな格好をしているこの男が、ヘルカンの街の冒険者ギルドで副ギルド長を務めているゲーリィだ。まだ五十歳にもなっていないためフットワークが軽く、外に出ていることも多いのだが、どうやら今日は銀の翼たちを待っていたようだ。
「受付係がいる場所にいたからびっくりしましたよゲーリィさん。もしかして今朝からそこで仕事をしていたんですか?」
「ええ。偶には違う仕事をするのも良いものです」
「アルシェは休みですか?」
ミンクはふと疑問に思った。本来ならここで仕事をしているはずの女の子がいるからだ。
「いえ?」
ゲーリィが奥を指さすと、そこには周りよりもいくらか装飾された、しっかりとした机で仕事をしている若い女の子がいた。少し気弱そうな女の子は慣れない机と場所にソワソワしており、仕事に集中できていないようだ。
女の子が帰って来たミンクに気が付くと、何かを訴えかけるように涙目でミンクを見つめる。
「…………」
「さて、それじゃあ報告は上で聞きますかね。おーいアルシェ君、どっちでも好きな席で仕事をして構いませんよ」
「はっ、ハイ! 戻ります! すぐに!」
「おやおや、お気に召さなかったようだね。それじゃあ行こうか」
ニコニコしながら階段を上がっていくゲーリィについていく四人。二階に上がると手頃な個室に入って各々席に座った。
「今回は急に決まった依頼だったそうですね。改めてご苦労様でした。まずは水でも飲んでください」
ゲーリィがそう言うと、身に着けていた小さなポーチから人数分のコップと水を取り出した。明らかにポーチには入りきらない大きさの物が出てきたのは、このポーチがマジックアイテムだからだ。
見た目の大きさよりも大きな物が出し入れできるのは、空間系魔術で入れ物の容量を増やしているからだと考えられている。元々マジックバッグはダンジョンから発見するしか入手手段がなかったが、その便利すぎる機能に欲する者が後を絶たなかった。
そこに商機を見出した一人の商人が、やがて職人を、魔法使いを巻き込んで、壮絶なる苦労の果てに人工マジックバッグを作り上げたため、今では金さえあれば手に入れることは出来る。
しかし、人工マジックバッグはダンジョン産マジックバッグに劣っている点がある。人工マジックバッグは容量の増大に成功はしたが、マジックバッグの中に入れた物は時間の経過によって劣化してしまうのだ。これは普通のことに思えるが、ダンジョン産マジックバッグは違う。
なんとダンジョン産マジックバッグに入れた物は、時間が経過することなく、入れた時の状態を保ち続けるのだ。容量に関しても、人工マジックバッグは技術的に最大容量が決まっているが、ダンジョン産マジックバッグの見つかっている中で一番大きいものは、人工マジックバッグのそれを大きく超えている。
そして、ゲーリィが所持しているマジックバッグは、ゲーリィが冒険者時代に手に入れたダンジョン産のものだ。容量こそそこまで大きくないが、個人使用する点で不便はないし、それを売るだけで大金が動くほどの一品だ。
ゲーリィがマジックバッグを所持しているのは周知の事実なので、誰も驚くことなく礼を言って受け取った。当然、その水は冷えており、四人の喉を潤した。
「さて、本来なら話を聞くのはギルド長のはずだったんですが、彼は朝から領主館で領主様と会談中なので私が代わりに報告を聞きますね。それではまずミンク君、お願いします」
「はい。今回発見されたのは新しいダンジョンで間違いありませんでした。場所はヘルカンの街からトマス村方向に馬車で一日程度移動した街道付近の洞窟です。本来ならそこの右手側は木々と岩壁がある場所だったはずですが、そこに洞窟ができていたことで発見に到ったようです」
「成程、そこは報告通りだったわけですね。木々の隙間から見慣れない洞窟を発見したという話でした。ではゴブリンの話も?」
「はい。洞窟の中にゴブリンらしき生き物がいた、という報告も確認が取れました。今回の調査では発見した総数三体、全て単独で武器無し。ベックさんが相手をしましたが、何れも似たり寄ったり、レベルは低かったようです」
「ふむ。ベック君、間違いありませんか?」
「えー、はい。前にゴブリンと戦った時と比べても手応え無かったっつーか、弱かったっすね」
「わかりました。ミンク君、開拓の導きを渡されていたはずです。どうでしたか?」
再び会話がミンクに振られたところで、ミンクは腰袋から開拓の導きを取り出し、ゲーリィに渡しながら言った。
「洞窟に入る際にしっかり確認しました。色は青から緑に変色。空間を越えたことで魔素が変化したことを確認できました」
「成程。どうやら新しいダンジョンの発生は間違いないようですね」
一つ息をつくように背もたれに身体を預けるゲーリィ。彼は安堵していた。
「いやよかった。これでダンジョンは発生していませんでした、という話だったなら領主様にぬか喜びさせるところでしたからね。良い報告ができそうで、ギルド長も喜んでくれるでしょう」
ゲーリィが力を抜いて微笑んだことで場の空気が弛緩した。ゲーリィは自らの髪を撫でつけると、今度は詳細を聞き出し始めた。
「さて、出来たばかりのダンジョンというのは僕も興味があるところです。何しろ貴重ですからね。ミンク君には後で資料を作って頂きますが、今は詳しく話を聞かせてもらいましょう。モンスターはゴブリンとのことですが、宵の間のモンスターは確認できなかったのですね?」
「はい。今回はダンジョンの半分まで進み二時間程調査しましたが、発見できたのはゴブリンだけでした。まだ決めつけるのは早いですが、特化型の可能性もあるかと」
「ふむ。それだけダンジョン内にいて出会ったモンスターが三体というのは些か少ないように思えますが……。特化型なら尚更ですし、ダンジョンの大きさ自体もそれなりにあるように感じます。これまでの傾向から、ダンジョン内のモンスターは、ダンジョンの大きさに比例して生息数が増えるとされていますからね。余程できたばかりなのか、ダンジョンがモンスターを生み出す力があまり無いのか。それともダンジョンごとに違いがある? それとも出来たばかりというのは……」
「副ギルド長?」
「おっと、失礼しました。悪い癖ですね」
思考の渦に入りかけていたところをミンクに声掛けされて苦笑いするゲーリィ。ゲーリィは現役時代は魔法使いで活躍していたが、魔法使いの人間というのはこうして考え込む者が多い傾向がある。実際、銀の翼の魔法使いであるカイトも一人で考え込んではギルやベックに正気に戻されている。
こうした対処に慣れているギルが、今度は別の視点から話を投げかけてみる。
「モンスターの数が少ないってとこは俺らも感じましたね。でもそういうもんなんじゃないか、とも思うんすよ。何しろ罠が一つも無かった。罠が一つも無いダンジョンに潜ったのなんか初めてでしたよ」
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