第4話 いつかのあの日
「はい、買ってきたよ」
僕はコンビニ袋を持ち上げながら外で待っていた彼女に声をかけた。彼女の腕には黒い毛の子猫が抱かれている。僕はコンビニ袋からココアを取り出して彼女に渡した。
「あっ、ありがとう。それで、あった?」
「うん、あったよ。いくつかあったからどれがいいのか分からなかったから一番無難なのを選んだけど……」
そう言ってコンビニ袋からキャットフードを取り出す。彼女が見せて、と言うので先に渡したココアと交換した。
「ちょうど良いのを選んだね。君はやっぱり猫好きの才能があるよ」
「猫好きに才能なんてある?」
「……たぶん」
彼女の返事は曖昧だった。まあ、とりあえず僕は間違ったものは選んでなかったらしい。僕は彼女のココアを持ったまま彼女が子猫に餌をあげるのを待つ。けど彼女はそんな素振りは見せず、渡したキャットフードを僕に返そうとした。
「……?」
「……?」
お互いに無言のまま見つめた。そして彼女が首をひねるのに釣られて僕も首をひねる。
「……君があげるんだよ」
「えっ? でも僕だと引っ掻かれるし」
「そうならないようにするためでしょ」
そう言って彼女はやれやれとため息をつきながら僕にキャットフードを渡した。それから子猫を両手で持って僕の目の前につきだした。子猫は明らかに僕を睨んでいる。言葉なんて喋らないけど、『手を出したら引っ掻くぞ』と言っているみたいだ。
「大丈夫だからさ。ね、はやく」
「う、うん」
僕はキャットフードの封をきって子猫の口の辺りに持っていく。子猫は僕の手が近づいたときに一瞬威嚇する素振りを見せたが、手にあるものに気付けばおとなしくなった。爪を隠した前足で抱え込むように子猫はキャットフードをなめていた。
「ほら、大丈夫でしょ。この子相当お腹すいてたんだね」
子猫は夢中で食らいついていた。手を離そうとすれば僕の手を前足で捕まえてくる。少しだけ爪が出されている気もするがさっきよりはましだ。かわいい。
「はい」
「えっ!?」
「ほらほらそこ、動かない!」
彼女はいきなり子猫を僕の膝の上に置いた。不意だったから僕は硬直した。子猫が暴れるのではないかと危惧したが、杞憂だった。子猫はキャットフードに夢中だった。
「首根っこの辺りを撫でてあげて」
「こう?」
彼女が言うとおりに僕は空いている片方の手で子猫の首筋あたりを撫でる。撫でるというよりは掻いてやる感じだ。子猫は拒絶することなく、気持ち良さそうに目を細めた。それでも舌は世話しなくキャットフードをなめている。
「うん、大丈夫そう。これで君が面倒をみても大丈夫だよ」
彼女は嬉しそうにはにかんだ。僕が猫に嫌われることを克服したことに対してではない。子猫がの垂れ死ぬことがなくなったからだろう。それに彼女の気持ちが少しでも楽になったことが僕には嬉しかった。
「あとはそっちだね」
「うん大丈夫、君が猫嫌われを克服したんだから、私もすぐにお母さんと仲直りするよ」
「それがいいと思う。あとさ、僕のことを猫嫌われって言うのはやめようよ。なんか悲しくなる」
「じゃあ猫の天敵、は長いから略して猫敵?」
「それだと僕が猫嫌いみたいだよ。猫は好きなんだよ。ただ好かれないだけで……、自分で言ってると空しくなってきた」
「ふふっ、可笑しいね」
「どこが!?」
「全部だよ猫敵くん」
そんなやり取りを他愛なくする。彼女は『猫敵』が気に入ったのか、僕もことをずっと猫敵くんと呼んでいた。
彼女が買ってきたココアを飲んでしまった頃には電車が何本過ぎてしまっていた。
「ああー! 猫敵くんのせいで喋りすぎてしまったよ」
「いや、僕のせいじゃない」
「いいや、猫敵くんのせいでーす」
「だから猫敵やめ……ってどうしたの?」
いきなり立ち上がった彼女に僕は驚いた。なにも言わず彼女は二歩だけ手前に進んで、そしてくるっと振り返った。右手を腰に当て、左手を、というよりは手に持っている空になったココアの缶を僕に向かって突きつけた。
「というわけで私を駅まで連れていくことっ!」
彼女は宣言した。本当にいきなりだ。くつろいでいた子猫もビックリしたようだ。
「うん、とりあえずその缶、捨ててくるから」
そう言って僕は突きだされた缶を取って近くのゴミ箱に捨てた。彼女はなぜかそのまま固まっている。少し顔が俯いている。たぶん恥ずかしがっている。
「大丈夫?」
「……」
応答はない。彼女が再起動するまで待つしかない。数十秒して彼女はやっと動き出した。大きな深呼吸をしてから僕を睨み付けた。危険を感じて僕は先手を投じた。
「僕は悪くなかったよ」
「いやいやいや、君が……、あんなそっけなく……」
「だってもともと送るつもりだったから。こんな夜遅くはさすがに危ないし」
「卑怯っ!」
そう言い放って彼女はそっぽを向いた。彼女の計画はたぶん、僕を動揺させて、そんな僕を見て楽しむつもりだったのだろう。しかしこれ以上彼女を不機嫌にさせておくのはごめんだ。一応謝っておこう。
「ごめん。送るつもりだったのは確かだけど、まあわざとそっけなく答えた」
無言で足を蹴られた。痛くはなくもないのだけれど、まあ彼女の機嫌もなおったからいいか。彼女に子猫を渡すとすんなりと受け取ってくれた。
「じゃあ自転車取ってくるから……」
彼女は静かに頷いた。僕はそれを確認してから駐輪場に向かおうとした。
「あっ……」
小さな悲鳴が聴こえて僕は振り返った。珍しい光景だった。彼女の腕の中から子猫が逃げ出していた。彼女もビックリしているようだ。少し紅くなって俯いていた彼女は目を大きく開いて子猫を視ている。子猫は……、あっ。
「危ないッ!」
そう叫んだのは彼女だろうか。いや僕かもしれない。どちらにしろ子猫は道路に躍り出た。向こうからは車のライトが……。
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