挑戦の限界-1《10》
朝、固いベッドの上で目が覚める。
「……走るか」
まだ太陽も昇り切っておらず、窓の外を見ると薄暗い空が見えた。
ダンジョンに一人で入ったあの日から、俺は毎日一人訓練をしている。朝の時間に走りこみ、体を鍛える。次の時、もっと動ける様になるためにだ。
あの時から俺の中で何かが変わっている気がする。それは多分、強さに対する貪欲さだ。
戦いの中で、恐怖の中で、孤独の中で。あの時下した決断を、俺は忘れる事ができない。俺が変わったあの瞬間が、日が経つごとに俺の心を燃やしている。
冷たい水で顔を洗うと、薄い服のまま外に出た。走っていればその内熱くなるだろう。けど、今はまだ寒くて体が震える。
「よし」
緩い走り出しから始まり、次第に速くしていく。スキルの勉強をしている時に走り方や体力の付け方、冒険者が必要とする筋肉の鍛え方などを頭の中に叩きこんだ。その時の知識を思い出しながら、一つ一つ体にそれを教え込むように、【アルビス】の街中を走っていく。
まだ人の出てきていない都市は、ダンジョンの中を思い出させる。そうすると体の感覚が研ぎ澄まされ、全ての意識が体を鍛える為だけに働きだした。
「はっ、はっ」
呼吸のリズムを整えながら視界に映る前髪が揺れる。
体の痛みはもう完全に治っていて、装備さえ整えば俺はまた冒険者としての活動ができる。
パーティにはまだ入れない。だから俺はまた一人でダンジョンに入る事になる。思い出せばあの場所で戦った記憶はいつでも俺の胸を高鳴らせた。
運がよかった事もある。俺が生きて帰ってれたのは、自分の実力よりも運の力かもしれない。毎回あの時のように力を発揮する事ができるわけではないし、ダンジョンでは何が起こるかなんて誰にも予想ができないのだ。下級の魔物が多いとされる第三区画でも、中級の魔物が出現する事だってある。助けてもらったのも運がよかった。
だから出来る限りの準備をしようと思ったのだ。体を鍛えて装備を整え、その上でまたあの場所へもう一度。
以前までの俺とは違う。仲間の才能と自分の才能に絶望して足を止めたあの時とは……
『君はもう駄目だ。僕達と一緒にいたら、駄目なんだよ』
過去の声が聞こえてきた。あの白銀の剣士の声が。過去に言われた言葉も、その時の表情もよく覚えている。あれからまだ三ヵ月。そう簡単には忘れられないぐらいには、俺の中では衝撃のあった出来事だった。
今では納得しているし、過去の自分の不甲斐なさも自覚している。だけど当時の俺はこう思っていたんだ。
仲間なら手を差し伸べてくれる筈だと。
「……あほくさ」
走りながら小さな声で呟く。
今思ってみるとあほらしい。というか恥ずかしい。仲間だからという理由で無条件に背中を押してくれると、自分を諦めないでいてくれると、そう思っていたのだから。そんな都合のいい存在がいるわけがない。彼等は自分の家族ではないんだ。一方的に頼られれば、代わりを探す事もあるだろう。お互いを支え合っての仲間だ。一歩的によりかかっていた俺は、仲間とは呼べない存在だった。
自分は頑張っているのに結果は出せず、才能がないから追い付けない可哀想な存在だとアピールし、弱者である事を次第に受け入れそれを武器としてつかっていた情けない過去。思い出すだけで自分を殴り飛ばしたくなる。だから俺は拘っていた。今の自分から変わる事を。
「もう、違う」
俺は変わった。変わった事を証明した。証明したのが、あの時だ。
過去の自分と今の自分。比較してみればその違いがよくわかる。他の人からすれば変わってないと思われるかもしれない。だけど、情けない時も変わりたいと願ったときも恐怖に心が折れそうになった時も、そこから立ち上がった時も。俺は全部知っている。自分が歩んできた道を、他の誰も知らなくても、俺だけは全部知っている。
走っていると体がだんだん温まってきていて、もう寒さは感じなかった。景色が次々と流れていく。火照った体に当たる冷たい風が、心地いい。
気が付いた時には保管庫の近くまで来ていた。少し顔を出した日の光に照らされるゲートを閉じ込めている黒い箱を見ると足が止まった。
「……はぁっ……はぁ」
心臓がドクドク激しく脈打っている。魔物を両断した時も、俺の心臓は今みたいに音を鳴らしていた。
何も握っていない右手に力が入り、ぎゅっと拳を握り締めていた。魔物を切り裂いた感覚を思い出し、魔物の攻撃を防いだ時の左手の衝撃を感じ取る。
あの時の事は、俺は一生忘れる事は無いのだろうと、そう思った。
これからもっと俺は変わるんだ。その想いで保管庫から視線を外し走り出そうとした。
だが、俺の足は動かない。視線を外したその先に、白銀の剣士が、そこに立っていたから。
「……カルロ」
俺が元いたパーティ。そのリーダだった、カルロ・ナイン。白銀の剣士。その少年は俺を見て嬉しそうに笑う。
「久しぶりだね、ハイド」
馴染みのあるその声は、俺の表情を、歪ませた。
「久しぶりだね」
「……あぁ」
カルロ・ナイン。俺の元パーティのリーダをしている男。その髪、肌は白く、瞳だけが
銀の輝きを持っている。身長は俺より少し低いぐらいか。それでもこいつが持っているオ
ーラというのは、三ヵ月ぶりに見ると随分変わった。以前よりも、確実に輝きが増してい
るのだ。
穏やかな表情を浮かべるカルロと対象に、俺の顔は固くなっている気がする。別にそう
しようと思っているわけではないのだが、自然とその反応を見せてしまっているのだ。
「あんまり、歓迎されてないかな? ……まあ、それもそうか。僕は君をパーティから追
い出したんだから仕方ないね」
その時の事をカルロは遠慮なく触れた。気まずくなるのは分かり切っているから、俺はあの時の事を話題にするつもりはなかったのだが、穏やかなカルロの表情が雲ったのを見ると、こいつも気にしてはいたのだろう。こいつは別に嫌な奴じゃない。
良い奴だからこそ、あの決断をしたのだ。今ではそれを理解できるし受け入れている。だが当初は、随分と取り乱したし、随分な事を言った。
「いや、あの時は俺が悪かった。別にお前のせいだとか、今はもう思ってない。俺が弱かったせいだって分かってる。お前は間違ってなかったよ」
「そうかな。僕は今でもあれが正しかったのか分からないよ」
「けど順調なんだろ。話はよく聞く」
「そうだね。順調……だけど」
「別に俺に気を遣う必要はないよ。上手くやってるならいい事だろ。それに、俺は俺でやれる事見つけたしな」
「……それがソロかい?」
またそこでカルロの顔は歪む。俺と話していると辛そうになっていくのは、それだけ悩んでいたからか。パーティのリーダという役職も考え物だ。
「知ってたんだな」
「そりゃね。噂は君の噂は少しずつ広がってる。良くも悪くも」
「そうか。広がってるのか。……まあ、ここはそういう場所だからな」
「確かにそうだね」
俯むかせていた顔に笑みが見える。こうして話していると、以前の俺達の関係と変わらなかった。
パーティを始めたのは、俺達二人からだった。俺達は同じ時期に冒険者になり、歳が近かった事もあって語る事が多かった。どちらも既存しているパーティに所属する流れだったが、いつからか、俺達は自分達でパーティを作ろうと話をして、そしてあのパーティができたのだ。あの頃からこいつには人を惹きつける魅力があった。
実力も、発言力も、人の才能を見つける才も、俺にはなかった物ばかりを持っている。だからあそこは俺達二人で始めたが、中心にいたのは間違いなくカルロだ。
「随分と、無茶な事をしているよね。僕は話を聞いた時、君の正気を疑ったよ」
「正気、ではないだろうな。間違いなく頭がおかしい」
「自覚はあるんだ」
「そりゃな。これでも三年やってるんだ。常識はもう染みついている」
「だけどやってる事はそれから逸脱しているよ」
「外れないといつまで経っても変われないだろ。才能の無い俺が他の奴と同じ事をしても何も変わらない。──俺は強くなりたかった」
辺りは静かだ。周囲に人の影はなく、太陽に雲がかかったのか、俺達は影の中にいた。
俺の言葉をカルロはどう受け止めているのか。俺を馬鹿だと笑うのか、理解ができないと拒絶するのか。
待った末に聞いたその言葉は、俺が思っていなかった台詞だ。
「ハイド。君は、随分と君らしくなったんだね」
晴れやかな笑みは、俺が久ぶりに見た懐かしいとさえ思えてしまうこいつの本当の笑顔だった。
「どういう意味だよ」
「さあ。いや、けどいいんだ。君がそうなったのなら、僕も僕の決断が間違ってなかったと言える。安心した」
「勝手に納得してんな」
「ごめんね。けど、君のおかげで僕も、いや、僕らも前に進めそうだ」
どこか決意を滲ませた表情をカルロが見せた時、太陽にかかっていた雲がなくなり、俺達は日の光を浴びる。
眩しい。そう思い目を細める。
「僕らは、第二地区に行く」
俺はそれを聞いて目を開いた。
「……あそこはパーティメンバー全員が第二等級推奨領域だろ」
「そうだよ。まだ、レニスは第三等級だけど、彼女以外僕らは全員昇級済みだ。そしてあの子の実力も、僕らと遜色ない」
「……」
「君の話を聞いて火が付いた。僕らも、そろそろ前に進む」
もう進んでるよ、と思ったがそれを口には出さなかった。
一体どこまで進むというのか。一体俺の話のどこに、こいつを滾らせる要因があったのかは分からない。変な所で影響されるが、俺は人に影響を与える事が今できたのかと気が付く。とすれば、俺はやっぱり変わっているのだ。
「精々、死なないようにな」
「死ぬ気はないさ。僕の夢はあの頃から変わっていないからね」
カルロは俺に背中を見せた。これからダンジョンに行くのかもしれない。その背を見て、俺の中でも、またあいつとは違う理由で、きっと同じ感情が燃えている。
「俺だって、もう止まる気はない」
以前と変わった関係で、抱いた想いも変わっていた。
差を比べて、自分の人間性も才能も疑って、諦めかけた。努力をいくらした所で才能がなければ意味がない。努力と工夫は才能を超えられない。考えが硬直していた。そうしないと心が折れてしまいそうだったから。
だけれど、今は違う。対面し以前よりも強くなったあいつに、俺は背を曲げはしなかった。それが俺の自信になる。
走り始める。
日は上り始めていた。一日の始まりが今日も告げられる。都市が目を覚まし始める。俺の好きなこの静寂が終わる事を残念に思いながら、俺は速度を上げた。
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