否定と自覚-1《1》

 

「……落ちた」


 手に握った紙。そこに書かれていたのはハイド・ゴーゴルという自分の名前と、不合格という三文字の下にあるお祈りの言葉の羅列。


 三ヵ月前から、幾つものパーティの面接を受け、そして落ちてきた。今回のパーティが、ギルドから紹介してもらった最後のパーティだったが、その面接にも、俺は落ちた。


 黒髪の奥から覗く目は死んでいる。鏡に映る自分は、どうにも自信なんてものは欠片も持ち合わせていない表情をしていた。

 我ながら、こいつは大丈夫なのかと他人事の様に思ったが、大丈夫なわけがない。冒険者として、パーティに加入していなければロクな活動ができやしない。俺は今日、冒険者として終わったも同然だった。


 誰もいない家の中で考える。これからどうすればいいのかを。


 以前は俺も、パーティに所属していた。所属期間は三年。冒険者として俺は三年間活動していたが、つい三ヵ月ほど前にそこを首にされたのだ。


 首になった理由はいたって単純……俺が、弱いから。


「どうしろってんだよ……」


 どうする事もできない現実が、目の前にある。避けては通る事のできない、大きな壁だ。幼い頃や、まだ冒険者になったばかりの頃は、そんな壁なんて気にしなかった。壁があるほど燃えていたというのに、歳を重ねるにつれて、現在十八の俺はその壁を乗り越えるという考えや自信は消えていった。自分の限界を悟ったのは、一体いつだったか。


「……行くか」


 自分一人で考えても大した答えは出せそうになかった。俺がこういう時に頼れる人は、今は一人しかいない。隅に置いてある自分の装備を手に取り、身に付ける。この金属の重みが、俺がまだ冒険者なのだというほんの僅かな確信。


「何かしないと」


 これまでのやり方、これまでの自分では駄目だ。


 変化を望んだ俺は扉を開くと、誰もいない一人きりの家の外へと一歩、足を踏み出した。





 冒険者の多くには共通する価値観がある。それは、強者である事は正義。弱者はである事は悪である、というものだ。


 強いというただそれだけの個性で、金も名声も人も、欲求を満たす事のできる大体の物は手に入る。それが冒険者という仕事だ。命の危険を伴う代わりに冒険者に与えられるのは、多くの夢。


 俺も、そんな夢に憧れて冒険者になった。昔から憧れる男に、冒険者になり続けていれば、いつかはなれるのだと思っていたのだ。


 ……現実は、そんなに甘くはなかったが。


 冒険者の都市【アルビス】。世界に五つ発見されているダンジョンのうち、もっともダンジョン攻略難易度が高いとされるダンジョンを保有する大都市。


 ダンジョンのレベルが高いこの都市にいる冒険者の質は同じく高く、強者と弱者という区別化の価値観もかなり色濃く出ている。


 この都市で活躍すれば名は一気に広がり賞賛され、悪評であったとしても何かを成したという結果はこの都市ではすぐに広まる。ただし噂話に敏感なこの都市で何もできない弱者は、注目すらされずに死んでいくのだ。


「……久しぶりな気がするな」


 目の前に立つ塔を見た。下から上まで、全てが黒い壁で作られた黒塔だ。太陽の光も全て吸収する様な漆黒は、この都市のシンボルと言ってもいいだろう。都市の中央に建築された黒塔にギルドは存在する。塔の中には様々な施設が入っており、鍛冶屋、治療室、アイテムショップと、冒険者には欠かせない存在だ。


 俺も何度もここに来ているが、ここに来るときは大抵ギルドに用事があって来る事が殆ど。今日ここに来たのも、ギルドにいる俺の相談役と話をする事が目的だった。


 ギルドは塔の一階にあり、扉を潜るとすぐ目の前に現れる。


 中に入ると広々とした空間が俺を迎え入れてくれていた。視界には冒険者達の姿が入り込み、俺はそれを横目に正面あるカウンターへ向かう。


 カウンターには女性のギルド職員が並んでおり、俺はその中で一番端に座る女性の元へ足を向けた。他の職員の前には列が並んでいるのに、何故か彼女の前には列がない。


 相変わらず冒険者に不人気の受付嬢、イルマ・カーリルは、同じく冒険者に不人気の無味の栄養スティックを頬張りながら書類仕事を片付けているようだった。


「……どうも」


「ん? あぁ、お前か」


 赤く輝く髪は肩程までの長さで切られており、濁った瞳がチャームポイントとは本人の弁。顔は整っているのにその瞳が全てを台無しにしている。


「その様子だと全滅したみたいだな」


「……分かりますか?」


「当たり前だろ。私が直々に選んで面接の練習まで付き合ってやったのに、その全部を台無しにするなんてな。是非私の時間を返してくれ」


 イルマさんには俺が三ヵ月前にパーティを首になった時から世話になっていた。その時期は冒険者志願者が増え、その対応で職員も忙しくしていた。だけどその中で一人暇にしていたのが、彼女だ。


 机に肘を付きながら俺を見るイルマさんと軽口を交わし合う。


 俺は女が苦手だ。だが、彼女とは気楽に話せた。見た目は美人なのだが、性格的にあまり女らしさを感じない。だから俺はこの人相手だと比較的に本音を話す事ができた。俺は意見を主張するのも自分をアピールするのも下手なのだ。だから面接に何度も落ちているという原因はよく分かっている。


 溜息を吐いて資料を机に置いたイルマさんはそれはそれとしてと一つ間を置くと、目の色を別の物に変えて俺を見つめた。


「まあ冗談はさておき。冒険者、辞めるか?」


「……」


 真面目な表情になるイルマさんの目は変わらず濁っている。この人も、俺が今日何を話に来たのかはもう分かっているのだろう。さっそく本題に踏み込まれた事に動揺は隠せることなく表情に出ていただろうが、彼女の瞳からは後ろに下がる事を良しとはしない気配が滲んでいた。


「分かってんだろ。パーティ募集に受からなかった時点で、ダンジョンでの活動はほぼ不可能。今の冒険者はどこかパーティに入って活動する事が前提だ。それは何故か。でないと冒険者なんて生物はすぐにくたばるからだ」


「……」


「私が選んだパーティはお前のレベルに合わせて選んだ。それで全部落ちたなら、お前は冒険者には向いていない」


「それは、分かってます」


「分かってるんだったらそれらしい顔しろ」


 今俺はどんな顔をしているのか、鏡を見なくても分かる。自分でも分かっていた事だが、それをこうして人に突きつけられるのは心にくるものがあった。


「前に話した通り、できる限り取り計らった。そのチャンスをものにできなかったのはお前の責任だ。お前に紹介できるパーティはもうない」


 三年間。俺は冒険者をしてきたが、大した結果は残せていない。憧れや夢がどれだけ強くても、それだけで冒険者として成功する事ができないのは、もう知っている。


 冒険者には五つの階級があり、俺は第四等級。三年あって一つしか昇級できなかった俺の冒険者としての才能というのは、たかが知れている。


 それでも俺は冒険者を辞めるという選択を、すべてのパーティに落ちたこの状況でも取るつもりはなかった。


 俺の表情から察したのか、イルマさんは呆れたような目で俺を見る。


「……お前、まだ冒険者を続けるつもりか?」


「変、ですか」


 言いにくい話だった。パーティ募集に一つも引っかかる事のなかった俺が言うには、あまりにも烏滸がましいということは理解していたから。弱者の枠組みから三年という時を費やしても抜け出す事ができなかったそんな俺が、冒険者を続けたいなどと意志を見せるとは彼女も思っていなかったのだろう。


「人生、棒に振ってるだろ。私から見てもお前は冒険者に向いてないし、それは自分でも分かってるんじゃないのか。冒険者は確かに夢のある仕事ではある。ただそれは力のある奴にとっての話だ。冒険者になって一年もすれば大半の人間は自分の才能に見切りをつけて辞める事はお前も知ってんだろ。才能のある人間しか必要とされない。それがこの界隈のあり方だ」


「……それ、ギルド職員が言いますか」


「ギルド職員だから言うんだよ。夢見る若者の希望をへし折るのも私達の仕事だ」


 冒険者は儲かる仕事だ。大金を稼ぐような者は一部ではあるが、普通の成果を出している人間でも他の仕事と比較すればかなりの儲けだと思うだろう。だが同時に、この仕事には他の仕事と比較できない程に殉職者が多いのも事実としてある。


 ギルドが推奨する複数人での集団活動、パーティシステムを推奨する動きや、引退した冒険者による指導などによって、過去にあった程殉職者は多くはなくなった。それでもダンジョンという異界に赴き資源を回収するという危険な仕事である以上、予期せぬ事態に襲われダンジョンで命を落とす人もゼロにはならない。


 現在においても冒険者という職業は、最も殉職者が多い職業ナンバーワンをキープしている。


「冒険者にだって転職先はあるし、ギルドからも紹介できる。お前みたいな才能無くて冒険者辞める奴なんて珍しくないからな。危険の多いこの仕事を続けるより、もっと別の仕事をして普通に暮らせ。まだ十八だろ? 若いんだ。才能の芽がないこの仕事を続けるよりも、もっと別の所に視点を向けた方がいい。冒険者として生きるのは、もう諦めろ」


 イルマさんは話終ったとばかりに俺に合わせていた視線を切った。


 正直、ここに来るまで、俺の心には甘い考えがあったのかもしれない。


 冒険者を見る目は確かな彼女であれば、俺の理解していない俺自身の隠れた才能を見つけてくれるんじゃないか、なんていうことを。


 お前には才能がある。諦めるのは勿体ない。


 そんな言葉を、俺はどこかで期待していたのだ。結果は、自分でも分かり切っていた才能なしの烙印。


 知っていた。知っていたけれど、俺にはそのもしかしたらに縋るぐらいしかなかったのだ。

 三年という時間を費やして知ることができたのは、自分でも分かり切っていた冒険者としての才能の無さ。今まで命を削る様な危険と対峙しながらも、踏ん張って努力を重ねてきた時間というのは全て無駄だったのかもしれない。


 俺の所属していたパーティは、冒険者の間でも噂になってきている。俺が抜けたという変化はプラスに働いたのか、順調に冒険者としての王道を歩んでいるようだ。俺は今でも何も変わっていないと言うのに。いや、変わっていないどころか、俺は退化し冒険者としての終わりの道を歩んでいる。


 正反対の俺達。俺は彼等を気にしているが、彼等は俺の事などもう気にしてはいないだろう。冒険者と言う者はそういう生物だ。強者は注目を浴び、弱者は認識もされずに死んでいく。


 彼女の言う通りなのだと思う。命の危険のあるこの仕事よりも、もっと別の普通に暮らす事ができる仕事なんて物はなんていくらでもある。変化を求めているなら、昔からの憧れを捨て別の幸せを見つけるのは変化と言えるし幸せの様にも思える。


 だが、それでも、俺は……


「……簡単に、諦められるなら」


 俺の口から出た言葉は小さく、周りの音にかき消される。目の前にいたイルマさんにも聞こえる事はなかっただろう。


 俺の事はもう見ていない彼女に背を向けた。これからをどう生きるのか、折れかけている心に問いかける。


 諦める事と、諦めない事。二つの答えに縛られながら、俺は自問自答を繰り返し続けた。




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