三ばんめの星の王子さま

@shiro_mori_2

第1話


 らしくない舌打ちに、上司がこちらを振り返った。

仕事机の引き出しの隙間から覗き込んだ携帯電話をそのまま取り出し、更衣室へ向かう。

 父親からの着信だ。昨晩遅い時間に鳴った呼び出しには、どうせまた酔ってかけてきた電話だろうと思い、寝たふりをして無視を決めこんだのだ。

 しかし、続けて午前中の電話となると話は別だ。

 「もしもしお父さん?」

 すぐに電話に出た父へ声をかける。

 がさこそという衣擦れと無音の後、思いのほかすっきりとした父の声が聞こえてきた。

 「昨夜は悪かったなあ、遅い時間に」

 「ううん、こっちこそ出られなくて。大丈夫?何かあった?」

 「実はあいちゃんがなあ」

 更衣室の鏡に、険しい表情からきょとんと変わった自分のまの抜けた顔が映っている。

 「へ?あいちゃん?」

 私がまだ幼い頃離婚をした両親はそれぞれ、飲食店をやっている。

 どちらも4度以上の再婚をしており、父も4度目の相手と小さな居酒屋を切り盛りしている(ちなみに母の再婚数は何と5回だ!)。  

 父の話に出てきたあいちゃんはそこのお客だ。

 昨年アラウンドフォーティーになった私の3つ歳下のはずだが、すこぶるつきの大酒のみだ。泥酔した姿を何度か目撃している。

 ただ、彼女が酔っぱらっているときは、大抵私もべろんべろんだ。

 私も負けないうわばみなのだ。

 で、父の話はこうだった。

 昨晩遅くにふらりと店に現れたあいちゃんは手ぶらであった。

 「鍵がないのー」とふらふら揺れる手には、鍵どころか何ひとつ、鞄や財布すらなかったという。

 鞄が、もしくは手掛かりがあるのではと、父の店から歩いてすぐの彼女のアパートまで行ってはみたが、何分部屋番号が分からない。

 戻った頃には当人は店の小上がりでいびきをかいて寝ているので、もしや娘の私が部屋番号を知っているのではと電話を掛けた………それが昨夜遅い時間の着信の理由だった。

 部屋番号はともかく………、

 「何もないって、そんな」

 「携帯電話すらないんだよ。昨夜は店に泊まって、今は店の自転車で探しに出掛けたところなんだけど、昨日の会社の飲み会の後から記憶がないって言うんだ。乗っていた自転車ごと、鞄ごと失くしたようだよ」

 そんなことって…幸せが逃げると困るので普段は避けているため息が思いきり出る。

「とりあえず無事でよかった」

 何か状況が変わったら連絡をもらえること、私は自分の仕事が終わり次第夕方にでも店に顔を出すことを約束して電話を終えた。

 それにしても………職場の席の自分の端末の前に座ってすぐに頭を抱えてしまった。

 同じような大失敗を、数か月前に自分もやらかしているのだ。

 記憶のない自分の失くしものを探す様子を思うだけでまた深いため息が出てしまう。

 すると、とんとんというよりはつんつんという感じで、肩をたたかれた。

 この春からの新しい、同い年で同性の上司が何とも言えない不安げな表情で私を覗きこんだ。

 「大丈夫?ごめんなさいね、さっき更衣室の前を通ったら偶然聞こえてしまって。怪我がなくてよかったとか………大丈夫?無理しないで今日は帰っても構わないのよ」

 まるで菩薩のような優しい美しい顔だった。

 今は春で、私が勤めている区役所は、超がつく繁忙期だ。

 「すみません、ありがとうございます」

 大丈夫ですと言いかけ、見つめ合う格好になった後、

 「すみません、やっぱり今から早退させてください」

 お昼休みに入る数分前だった。

 そのまま私は町が運営しているレンタル自転車で父の店へ向かった。

 お酒の失敗がどれだけ自分を打ちのめすかなんて、嫌というほど分かるのだ。

 だがしかし、父の店に到着した私を迎えたのは、スーパーの寿司折をもりもりと頬張るあいちゃんの姿であった。

 まさかこんなに早く私が現れると思っていなかった父とその再婚相手が何故か彼女をかばうように、

 「午前中はずっとひとりで探しまわっていたんだよ。ひと息ついて寿司でもって、俺がさ」

 ひとりでも何も、これほど自分の問題ってことないだろうにと、唖然としてしまった。

 「藍ちゃん、来てくれたの」

 偶然読み方が同じだった私の名前を呼ぶ彼女の声はとても明るい。

 父の店の近所に越してきて、気難しい客層の常連にふらりと溶け込んだ彼女と、時々手伝いという名目で飲みに来ていた私は、ダブルあいと名付けられみんなにおもしろがられていた。

 「お昼ご飯は?まだでしょう」

 ぴりっとした私に気がつかないふりをして未央子さんが聞く。

 父の再婚相手は、私の母と同い年だ。

 モテた父が今まで、若い女には手を出さずにきたことには何となく一目置いている。

 あいちゃんの前にはまだ数貫あるお寿司と、父たちの前にも一緒に買ったであろうお弁当が。

 「まずは腹ごしらえしようか」

 私もお昼に食べる予定だったお弁当を広げた。

 「小さなお弁当。いつもこれくらいなの?足りるの?」

 のんきな会話にため息をつきそうになる。

 こんな時間、もったいないではないか。

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