Where is "Musashino"? ーとある古代地図編者の探訪ー

佐伯僚佑

Where is "Musashino"? ーとある古代地図編者の探訪ー

「これが『武蔵野』ですか」

「そう、これが『武蔵野』だ、メッサー君」

 教授が僕の目の前に差し出したディスプレイには、直線と曲線を複雑に組み合わせた、三つの紋様が映し出されていた。

「たった一単語を表記するために、随分と手が疲れそうです」

「古代日本語の漢字は、一文字ごとに意味を持つ、象形文字の発展型だからな。それぞれの文字に意味があるのだ」

 教授は端末をしまい、僕たちは休憩を終えて再び歩き出した。川沿いの獣道を、草木を掻き分けて進む。

 夏休み中、いつも通り時間を持て余していた僕が教授に連れ出されたのは昨日のこと。「泊りがけの調査に行くぞ」という、こちらの都合おかまいなしの誘いだったが、暇よりはましかと思って乗った。何より、いい意味で嫌な予感がした。この教授が楽しそうに何かを思い付くときは、たいてい退屈しない。

 しかし、まさか海を渡って、現在巨大な無人島群である日本列島に連れて来られるとは思わなかった。

「武蔵野の位置は、現在でもよくわかっていない。古くから多くの文献にその名が出現するのだが、どうにも曖昧なのだ」

「曖昧とは?」

 軽く息が切れる。こんな原生林を歩くのは久しぶりだ。

「文献によって表記がまちまちなのだよ。また、荒川、多摩川に囲まれた広大な平原という言い方もされるが、川の流れは変化してしまって推測を難しくしている」

「そもそも、川に囲まれる広大な平原が想像できませんね。それは中州地形では?」

「おかしいだろう。だから、新しい視点が必要なのだ。この調査はそのための、おっと」

 教授が足を止め、顔を上げて止まった。目線を追うと、空が開けて明るくなっていた。その向こうに左右対称な山が見える。

「あれはまさか、富士山ですか」

「そうだ。古代日本の最高峰。あれだけは変わるまい」

「初めて見ました」

 かつて世界遺産と呼ばれた名所の一つ、富士山。記録は世界中に残っているが、実物を見たのは初めてだった。

「待てよ、富士山。まさか」

 教授は鞄を漁り、手帳を引っ張り出した。猛烈な勢いで捲っていく。

「どうしました」

「これを見たまえ」

 手帳には、これまた古代日本語で四文字書かれていた。

「これは、富士見台と読む。意味は、富士山を見る盛り上がった地形だ。これがここにあるということは……いいぞ、仮説通りだ」

 どうも古代の地名らしい。たしかに、ここからは非常に良く見える。でも、あれだけ立派な山なら、どこからでも見えるのではなかろうか。

「ようし、順調だ。このまま西に進もう」

 意気揚々と歩き出す教授は、四十歳を越えた中年に見えない。近所の探検を楽しむ子供みたいだ。

「武蔵野の位置で確からしいのは、江戸の西に広がった平原であること。これは各文献で共通している」

「江戸って、たしか東京の古い呼び名ですよね」

 僕は電子ペーパーの地形図を広げた。人工衛星が作成した詳細な地形図とGPS情報を合わせれば、自分の現在地も示してくれる。

「東京の範囲をプロット」

 声に出すと、東京のエリアが線で囲まれた。僕たちは東京の真ん中よりも、かなり東にいる。

「東京の西というと、海沿いに平地が広がっていますね。ええと、カナガワケン、という名前なのかな。現在地からはかなり離れていますけど」

「そこは古くから相模原、または小田原と呼ばれてきたエリアだ」

「時代が変わって、呼び名が変わったのでは」

「その考えが現在の主流だな。そうかもしれない。だが、私は別の考えを持っている」

 そこで、教授は足を止めて大きく呼吸した。話しながらの踏破は辛いのかもしれない。

「江戸城をプロット」

 教授の声に反応し、現在地の東に赤い点が灯った。

「古代日本人が江戸城周辺を江戸と定義していたのなら……わかるな」

「ええと、まさか、ここが武蔵野である、と?」

 教授は満足げに頷いた。

 どうやら僕は、学会を覆す新説の検証に駆り出されたらしい。




「武蔵野は、馬に乗った人間が隠れるほど草が茂る草原だったと古文書に記載されている」

「はあ。見渡す限り森なのですが」

 川沿いを歩きながら、僕は講義を受けていた。

「メッサー君、先入観は研究の天敵だぞ。草原というものは安定しないのだ。すぐに森林化してしまう。草原があったということは、人の手で維持されていた証左だ」

「そんなものですか。ではサバンナはなぜ草原なのですか」

「……」

「教授?」

「ま、まあ、例外はある」

 どうも、それほど根拠が明白な論ではないらしい。まあ、過程を間違えたくせになぜか正しい結論に至るのが、この教授の得意技だったりする。

「むむ、あれは住居跡か」

 露骨に話を逸らされたが、確かに視線の先には崩れかけの骨組みと屋根があった。

「残っているなんて珍しいですね」

 古代とはいえ、建築技術が高い時代のものならば、ごく稀に住居跡に出会える。石塀の跡は当たり前みたいに残っているのだが、今回のように住居部分の構造が残っているのは貴重だ。

「中を見てみよう」

 僕たちは慎重に踏み込んだ。かろうじて、ここが家だったと推測できるほどの荒廃ぶりだ。手分けして撮影していく。

 一通りデータに収めたら、AIの自動検出でPCに手掛かりを探させる。教授は自分の目でもデータを確認していた。

 どんな人が住んでいたのだろう。さっきの話では馬がいたらしいから、この家でも馬を育てていたのかもしれない。馬がいれば、きっと騎兵もいただろう。江戸城を守る騎士たちだ。

「それは坂東武者だ。それと、疲れたら考えていることが口に出る癖は、直した方がいいかもしれないぞ」

「すいません」

「いや、構わんよ。メッサー君の言う通り、坂東武者がこの辺りで馬を育て、走らせていたと考えられている。広大な草原は畜産にうってつけだからな」

 ぐるりと茂った木々を見渡す。かつては風が吹き抜ける開けた場所だったのか。上手く想像できなかった。

「元々、この列島は全体が森林だったはずなのだ。人類は火を使うことで開拓し、草原を作った。つまり我々が見ているものは、案外、最初に到達した人類が見た光景かもしれんぞ。一周回って、一度は失われた武蔵野原初の姿というわけだ」

 唐突に、ピーピーとアラート音が響いた。ギョッとして音源を見ると、データを解析していたPCが一枚の画像を開いていた。

「なんだ、どうした」

 教授がアラートを止め、画面を覗き込んだ。

「これは紙だったのか。解読できる文書があったようだ」

 元の画像は茶と黒の汚れた板に見えたが、画像解析が実行されて現れたのは文字だった。

「武蔵……プン、キャ……。欠けていて上手く読めないな。古代日本語は右から読んだり左から読んだり、時代によって変わるから、AIが解読失敗しやすいんだ」

「そんな根本的な部分が変わる文化だったのですか」

 驚いた。文章を読む方向を変えられては、当時の庶民も難儀なことだっただろう。

「だが、推測できないことはない。おそらく武蔵野キャンプ。つまり、アウトドアレジャーのチラシだな。素晴らしい!やはりここは武蔵野だった!」

 僕も画面を覗き込む。文字以外にも、薄っすらと建物の写真のようなものが復元されていた。

「キャンプ場らしくありませんね。大きい建物の写真が背景に描かれているようですよ」

「む、たしかに」

 教授は顎に手を当て、しばらく髭を撫でた。

「特殊なキャンプ場というわけか。逆に言えば、他の土地にはない、武蔵野独自のものかもしれない。よし、この建物を探そう」

「嘘でしょう、とっくに跡形もありませんよ」

 この時代から、どれだけ時が経ったと思っているのだ。

「諦めるのが早いぞ。写り込んでいる背景や地形から、推測できることはある」

 ふんふんと、教授は鼻息荒く画面に食いついている。僕はさすがに呆れた。古代日本の末期、開発と取り壊しは頻繁に行われていた。日本人の手で壊されていれば残りようがない。そもそも、いつの時代の建物かすら定かではないのだ。

 勢いづいて歩みを再開した教授を、ため息交じりに追う。

「この先には石の神の池があるはず……む、止まれ、メッサー君」

 教授が後ろの僕に手のひらを向け、小声で指示した。

「どうしました」

「シッ」

 険しい表情でどこかを見ている。僕も気持ちを切り替えて周囲を見渡した。そして、すぐに肝を冷やした。

「イノシシですね。でかい」

 体長二メートルはあろうかというイノシシが、少し先の池で水を飲んでいた。牙は僕の体を貫けそうなくらい大きい。

 息を殺していると、イノシシはこちらを一瞥し、去っていった。

「ばれていましたね。敵だと思われなかったのかな」

「イノシシは雑食だが、大型哺乳類を積極的に狩る動物ではないからな。ライオンじゃなくて残念だ」

「え、ライオンがいるのですか」

 大陸には虎がいるが、列島にライオンがいるとは初耳だ。

「この辺りでな、戯画風の白いライオンの絵が多く見つかるのだ。また、ライオンを身につけた男たちの宗教儀式の記録も多く残っている。神格化され、崇められていたのだろう。見つけたらすぐに言え」

「そんなの聞いていませんよ」

「あれ、そうだったか」

 これが竜や天使だったならば、空想の存在を崇めていたと言い切れるが、ライオンは実在してしまう。

 来たことを後悔した。最低限の自衛装備はあるが、群れで襲われたら死んでしまう。

「その宗教儀式って、どういうものですか」

「球を投げて棒で打ち返し、飛距離を競うのだ。多分な」

「どこか、ベースボールっぽいですね」

「何?」




 世間知らずの教授と見つけた古文書は、後に、武蔵大学の見学イベント案内だとわかった。跡地は西へ向かう僕らの背後にあったらしい。

 その後紆余曲折を経て、僕たちがマイナーな領域の学説を引っ繰り返すのは、数年先の話である。

 学生の前で「武蔵野をプロット」と言うとき、少し誇らしい気持ちとライオンに怯えた思い出が、僕の心をくすぐるのだ。

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