魔女たちの征く道 (3)

 竜は、大地へ、空へと咆哮を轟かせる。

「やっと目覚めてくれたのね。嬉しいわ」

 ローザンは手を叩きながら、恍惚とした表情を浮かべた。

 アシュレイは竜を目の当たりにすると、母ローザンと共に竜の化石の探索に向かったこと、ダリルと共にデビッド王子と邪竜の物語を読んだこと、その両方を思い出していた。

 そして、目の前の竜は、現実に生きる魔物なのだと、まざまざと感じていた。

「竜ははるか昔に滅んだはずです。何故、復活したのです?」

「この子は、死んでいなかった。魔法によって、長い眠りについていたの。竜ほどの魔物は魔法を行使できたのではないかと、私は考えているわ」

 竜を撫でながら、ローザンは答えた。

「何故、この竜の存在を知ったのです」

「私が小さいころから、この子は夢で私に語りかけていたからよ」

「そんなことが……」

 それは義娘であるアシュレイですら知らなかった、ローザンの秘密であった。

「この子の魔力と私の魔力は、波長が合っていたんでしょうね。だから、私にはこの子の声が聞こえたのだと思うわ。けれど、誰もそれを信じてくれなかったから、この子だけが私の友達だった。この子のために、私はこれまで生きてきたの」

「その気持ちはわかります。ですが、そのためだけに私やダリル様を利用したことは、許せることではありません」

「そう。なら、さよならね」

 竜が尻尾を一振りするだけで、風圧が身体にかかる。

「なんて力……!」

 アシュレイはどうにか踏みとどまりながら、目の前の敵を睨みつけた。

「さあ、行きましょう。あなたが、この地の新たな王になるのよ」

 義娘に目もくれず、ローザンが竜の背に乗ると、一人と一匹は王都の方角へと去っていった。

「宮殿を、王都を破壊させるわけにはいかない」

 アシュレイはよろめきながら、馬をくくりつけた場所へと向かうと、怯えたように馬が待っていた。大きな怪我はないようだ。アシュレイは馬にまたがると、ローザンが去っていった方角に向けて駆けた。


 アシュレイが王都の門にたどり着くと、そこは逃げる人々でごった返していた。

 逃げ惑う人々と反対の方向に、アシュレイは痛みをこらえながら進んでゆく。宮殿前の広場にやっとの思いでたどり着いた所で、彼女は巨大な竜を目の当たりにした。

 ソルシア騎士団の弓兵たちは竜に向けて矢を放ち、魔法士たちも魔法を飛ばしている。けれども、竜は空高くを飛翔しているが故、彼らの攻撃はあまり当たっていなかった。

「お母様! もうおやめになって!」

 アシュレイは馬から降りて、竜の真下へと駆けると、ばっと両手を広げた。

「ふうん。しつこい子ね」

 ローザンは竜の背の上で、退屈そうな表情をしながら、魔法陣を描く。

 アシュレイも魔法陣を描き、対抗しようとしたものの。

 光がアシュレイの上半身を縛り、膝からがくりと、彼女は崩れ落ちた。

「私に刃向かうとこういうことになるのよ」

「お母様……どうして」

「あなたには、魔物の国を見届けて欲しいもの。可愛い娘は、そう簡単に殺せないわ」

「魔物の国……もしかして、あの村を襲ったのはお母様……?」

「ええ。あの時は失敗したけれど、今はこの子が目覚めてくれた。だからね、アシュレイ」

 ローザンは娘のもとに近付き、手を差し伸べようとする。

 悪い予感が当たってしまった。母は、魔物のためならば、他人が苦しもうが、どうだっていいのだ。

 アシュレイは、朦朧とした意識の中で、確信した。

 ならば、絶対にだめだ。お母様の元に行ってしまったら――。

 気をしっかり持とうと、アシュレイは母から後退したところ。

「待て!」

 背後から、耳によく馴染んだ声がした。アシュレイが振り返ると、そこには紛れもない、ダリル本人の姿があった。


「ダリル様!? 大丈夫なのですか……?」

 アシュレイは驚きのあまり、目を白黒させる。

「ライラさんがダリルに魔力を渡してくれた。全力とはいかないだろうが、これでしばらくは大丈夫だろう」

「あたしに感謝することだよ」

 ダリルの側についていたパットは顔をほころばせ、ライラは自信ありげに親指を立てた。

「パットさん、ライラさん……!」

 感極まって、アシュレイは一筋の涙を流していた。

「アシュレイちゃん、ひどい怪我じゃないか。ダリル様、パット君、彼女の分まで、あのでかぶつをどうにかするんだよ!」

「はい!」

 ライラはアシュレイを縛った光の帯を断ち、ダリルとパットは竜に目を向けた。

 ダリルの姿を見るなり、竜はダリルたちに向かって突進する。

「危ない!」

 パットはダリルをかばうように、地に伏せた。

 その上空すれすれを、竜は通り過ぎていった。

「何故あなたは、僕らを攻撃するの?」

 ダリルは顔を上げて、竜に問う。

 竜は咆哮をあげたが、その後、羽をばたつかせた。

「ダリル。あの竜が何を言っていたか、わかるか?」

「わからないけど……僕らに敵意があることは確かだ」

「この子に話をしても、無駄よ」

 竜の背に跨ったローザンは、笑いながら地に伏せるダリルたちを見下す。

「ローザンさん。僕らは、戦うしかないんだね?」

「ええ、そうよ。かかってきなさい、王子様」

 ダリルは本調子ではないものの、ローザンの威圧に怯むつもりはなかった。

 この竜を倒さない限りは、アシュレイも、王都の皆も、危機に瀕するばかりだ。それがダリルを立ち上げる力となっていた。

「援護なら、お任せください!」

 アシュレイは命からがら、魔法をダリルとパットにかけた。風の加護により、身体能力が向上する魔法だ。

「ありがとう、アシュレイ。でも無理はしないで。……行こう、パット」

「おう」

 騎士たちの前に、ダリルとパットは駆ける。

 ダリルは彼らの目の前に立つと、剣を掲げて、口を開いた。

「みんな、よくやってくれた! 僕とパトリックも応戦する! この悪しき竜を倒し、ソルシアに平和を取り戻すのだ!」

 ダリルが声高らかに宣言すると、わっと歓声が上がった。

「ダリル様、ありがとうございます!」

「俺たちも、やってやりますよ!」

「必ず、生きてまた会おう!」

 ダリルは騎士や魔法士たちとハイタッチを交わす。それから、空に羽ばたく竜の姿を観察した。

 竜はばさりと、羽を広げ、飛んでくる矢や魔法をかわしながら、宮殿の周りを飛び回っている。やがて、騎士たちが集まる場所に狙いを定めると、竜は口を開いた。

「みんな逃げて!」

 ダリルは騎士たちを先導し、竜の吐く息から遠く、遠くへと離れた。

 息は、ただの風ではない。衝撃を伴い、広場の木を倒し、宮殿の壁にひびを入れていった。

 正攻法では竜の威力になすすべもない――ダリルが悩んだところ。

「何だありゃ!?」

 パットの叫びに、ダリルが天を仰ぐと、もう一体の魔物が空を翔ける姿が見えた。

「きいい!」

 魔物はダリルに気が付くと、鳴き声をあげて、ばさりと翼をはためかせて駆け寄ってきた。

「君は……」

 魔物の正体は、魔法の籠の材料を集める時に出会った、山の守護者ガディフだった。この危機を察して、駆け付けてくれたのだろう。

「こんな時に来てくれて、ありがとう」

 ダリルがガディフを撫でると、彼は竜へとまっすぐに滑空していった。

 竜の吐息をかわしながら、ガディフはぐんぐんと空高くへと舞い上がってゆく。

 そして、背後から竜に乗ったローザンを口に咥えると、地上へと降下していった。

「あんた、何をするのよ!」

 ローザンは美貌の片鱗もない形相で、ガディフを罵り、腕を自由にしようともがいたが、ガディフの力には、叶わなかった。

 地上で待ち構えていたライラは、魔法陣を描くと、ローザンを草のつるで縛り上げた。

「これで終わりだ、ローザン。前からあんたは気に食わないと思ってたが、まっさかこんなことをやらかすなんてな!」

「ライラ、あんた……!」

 ローザンは手首だけを動かし、魔法陣を描こうとしたその時、ライラは彼女に電撃を加え、気絶させた。

「しばらく寝てな、ローザン。はい、これがあんたの魔力だ」

 ライラはぐったりとするローザンの指から指輪を取り出すと、ダリルに向けて渡した。

「助かったよ」

 ダリルが指輪を握り締めると、たちまち魔力は彼の中へと戻っていった。

「ぎぎぃ」

 ガディフは胸を張り、誇らしげだ。そして、ダリルに向けて背中を見せた。

「乗れって?」

「きぃ」

 ダリルがガディフの背にまたがろうとしたその時。

「ダリル!」

 バリトンの声が空に響いた。

「よかった、間に合ったか」

 ダリルの元に駆け付けたのは、兄オスカーだった。

「兄上!?」

「どうか、これを使ってほしい」

 目を見開くダリルにオスカーが差し出したのは、ソルシアの剣そのものだった。

 銀色の刃に、鍔には金の細かな彫刻。目前の輝きに、ダリルは圧倒されていた。

「どうして僕に?」

 ソルシアの剣は、国王か第一王子しか手にとれないとされている。何故兄は第二王子の自分に託すのか。ダリルは疑問で仕方がなかった。

「あの縛りは、偽りだ。お前が物心つく前、この剣はお前の魔力に反応したから、お前が剣技の実力をつけるまでは下手に近付けてはならないと、父上が考えてのことだった。けれど、今は緊急事態。お前の力だけが、頼りだ」

「……なら、僕が竜を討ちます」

 竜を討とうが討つまいが、死と隣り合わせであることは間違いない。ならば、ソルシアに未来がある選択をしたい。ダリルの橙の瞳に、迷いはなかった。

「私たちは正面から対抗する。その隙をついてこい」

「わかりました」

 ダリルは頷き、オスカーから剣を受け取ると、ガディフの背に乗り込もうとする。

「ダリル様! 私も、連れて行っていただけますか?」

 その時駆けつけたのは、アシュレイだった。満身創痍で息を切らしながらも、彼女は背筋を伸ばし、凛と立ち上がっていた。

「嫌だ、休んでいて……って言いたい所だけど、あなたの魔法を見てきたら、そうも言えないな。一緒に行こう、アシュレイ」

「ありがたき幸せ」

 アシュレイもまたガディフの背、ダリルの前方に乗り、二人と一匹は再び天空を目指した。


「ソルシア第一王子オスカーが命じる。皆の者、総力を尽くせ!」

 地上に残ったオスカーは手を広げ、力の限り叫ぶ。

 彼の合図を元に、パットは弓を構え、ライラは魔法陣を描いた。

 弓矢と魔法が、地上から続々と飛んでゆく。この戦場にいる騎士と魔法士の誰もが、目の前の敵に攻撃を当てることに注力していた。


 一方のガディフは、両勢力の攻撃を高速でかわしながら、竜へと向かっていった。

 縦横無尽に空を滑空するガディフの背に、ダリルはアシュレイを守るように、しっかりと捕まっていた。

 竜に近づくと、アシュレイは、命からがら魔法陣を描き、風で以て竜の羽ばたきと息の風圧、味方の弓矢と魔法を防いでいた。目前の恋人は大規模な魔法を行使して、攻撃の隙を作ってくれている。なら、僕が決める番だ。

 ソルシアの剣よ、アシュレイと、パットと、父上に兄上に義姉上。そして国の皆を守ってくれたまえ!

 ダリルは身近な人々を思い描きながら剣に誓い、竜の胸部へと狙いを定めた。

 目の前でアシュレイが、騎士や魔法士たちが守ってくれている。

 ならば、剣を振るうことに集中するのみ――。

「ソルシアに仇なす竜よ、これで終わりだ!」

 竜の心臓を狙って、一撃。ダリルはすべての魔力を込めて、ソルシアの剣を突き刺した。剣は光を纏って鱗を貫き、竜の心臓に近い位置を穿っていた。

 ダリルが剣を引き抜くと、竜は断末魔の叫びをあげ、力を失い、また、意識を失った。

 そして竜は地に向けて、墜ちてゆくばかりだったが。

「ガディフ、まずいよ! このままだと竜は宮殿に落ちる!」

 ダリルは顔面蒼白で叫ぶ。

「お願いです、ガディフさん。あなたの力を、貸してください」

 アシュレイは、冷静に、ガディフへと懇願した。

「きぃー、ぎぎっ!」

「わかった」

 ダリルが頷くと、ガディフは、全速力で竜を追った。

 そして、墜ちてゆく竜に向けて、突進。岩の身体を、加速して竜へとぶつけた。

 衝撃が、二人を襲う。ダリルは、体力と魔力が消耗しきっているアシュレイを庇いながら、落ちないように、ガディフの背にしっかりしがみついていた。

 そして衝撃が収まってから、ダリルは人気のない森へと墜ちてゆく竜の姿を目のあたりにしていた。


 その後、二人と一匹は宮殿へと向かい、ガディフはゆっくりと降下し、竜との戦闘が行われていた広場に足をつけた。

「ダリル。よくやってくれた」

 待ち構えていたオスカーは、笑みを浮かべつつ、ダリルに向けて右手を伸ばした。

「兄上が笑うなんて、珍しいですね」

 ダリルはオスカーの手を取り、地上へと降り立った。

「お前の魔力と優しさがガディフを惹きつけ、ソルシアの剣の真価を発揮させたのだろう。彼らの助力なくして、この危機には太刀打ちできなかった。ありがとう、ダリル」

「兄上こそ、騎士や魔法士の皆さんと力を尽くしてくれて、助かりました」

 二人の王子は所々壊れた宮殿と広場を眺める。

 今は小言を言っている場合ではない。何も変わり映えのない、青く澄んだ空が、二人の心に染みていた。


 一方のアシュレイは、ライラと魔法士たちに介抱されて、地上へと降りた。

「ひどい怪我じゃないか、アシュレイちゃん」

「ソルシア、それにダリル様が助かったのだから、いいのです。お母様はどちらに?」

「ここだ」

 ライラが指し示した場所には、つるで縛られ、ぼんやりと虚空を見つめるローザンの姿があった。

「ああ、あの方はもういないのね。私たちの完敗だわ」

 アシュレイの姿を見ると、虚ろな目をしたまま、ローザンはつぶやいた。

「お母様」

 アシュレイは、ローザンの手を残った力で掴む。

「アシュレイ?」

「私に魔法を教えてくれて、ありがとうございました」

「今更何言ってるのよ」

「ソルシアを、ダリル様を危機に陥れたことは許していませんし、制約を不自由だとも思っていました。それでも、最後にこれだけは、伝えたかったのです。今の私が魔法士として在るのは、あなたのおかげでもあると。あの時私を拾ってくれて、ありがとうございました」

「バカな娘……私はあんたを利用していたというのにね」

 目を閉じて、ローザンは口角を上げた。

 アシュレイは彼女の顔色をちらりと窺う。こんなに清々しい表情の義母を目にしたのははじめてだと感じながら、意識は遠のいていった。

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