第四章 魔女たちの征く道

魔女たちの征く道 (1)

「ダリル。……起きてください、ダリル様」

 ふいに、体が揺さぶられる。暖かな日差しが、カーテンの隙間から差していた。

 ダリルは眠気が覚めぬまま起き上がり、周りを見渡す。ベッドの真横には、魔法士の制服に身を包み、髪を結わえたアシュレイが立っていた。

「おはようございます、ダリル様。目覚めはいかがですか?」

 ダリルの覚醒に気付いたアシュレイは、優しく声をかけた。ぼんやりとした頭に、澄んだソプラノの声が心地よい。

「まだちょっと眠いかな。あと、様はいらないし、敬語じゃなくてもいい」

「ですが……」

「また呼んでよ。ダリルって」

「ダリル……ちょっと恥ずかしいですね」

 ダリルが悪戯に頼むと、アシュレイはほんのり顔を赤らめた。

「今更それを言うのかな」

「年上をからかわないで欲しいわ」

 アシュレイは顔を赤らめたまま、口をとがらせる。けれど、彼女が本気で怒っている様子はなかった。

 傍にアシュレイがいる。それがダリルにとって、何よりの幸福だった。

「さて、紅茶を持ってきたのだけど、いかがかしら?」

「ありがとう」

 ダリルがティーカップを受け取り、口に運ぼうとした瞬間。

 がちゃんと。カップが割れる音がした。これはまずい。そうダリルは直感していた。

「なんだか、眠い、し、力が出ない……?」

「ダリル様!? お気を確かに!」

 アシュレイに熱いお茶がかかっていないだろうか。それが気がかりだったけれど、彼女の声を聞くだけで精一杯だった。

「ごめん、アシュレイ。ちょっと寝るね……」

 ダリルは深く深く、まどろみへと落ちてゆく。何故、こんなに眠いのか。理由を探ろうとしても、眠気に勝つことはできなかった。


  ***


 アシュレイは、眠るダリルの様子を確認する。表情は安らかで、呼吸もある。けれども、どんなに声をかけても、揺さぶっても、彼は目覚めなかった。

 何かがおかしい。嫌な予感がしていた。

 一番引っ掛かりを覚えたのは、彼に触れた時に、魔力を感じないことだった。彼が眠り続けているのは、身体の魔力不足が原因だろうとアシュレイは確信していた。

 考えられる要因はふたつ。

ライラが、魔法の籠を作った時に呪いを仕掛けたのか。

ローザンが、呪いの内容を騙していたのか。

 彼女たちを疑いたくなかった。けれども、真実を確かめなければならない。

アシュレイは部屋の扉に手をかける前に、一度だけ振り返る。

「必ず、助けるから」

 穏やかに眠り続ける王子に一言かけて、アシュレイは部屋を後にした。


 アシュレイがはじめに向かったのは、パットの私室だった。ノックをして、返事を聞くと、アシュレイは勢いよく扉を開けた。

「パットさん!」

「アシュレイさん。その表情……どうしたのですか」

「ダリル様が、目覚めないのです」

「何だって!?」

「私は解呪に強い魔法士を呼んできます。ですから、どうか、ダリル様の傍についていてください」

「当然のこと。何のために俺たちがいると思ってるんですか?」

「パットさん……」

「アシュレイさん、気を付けて」

「ありがとう」


 見送るパットを後にして、アシュレイは勢いよく馬を駆け、ライラの住む小屋へと向かった。

「ライラさん!」

「アシュレイちゃんじゃないか? 籠に何かあったのか?」

「籠のおかげで、私の魔力は問題ありません。ですが、ダリル様から、魔力が奪われたのです」

「……なら、あんたには、知らされていない呪いがかけられていたのだな」

「ライラさんも、そう考えますか?」

「ああ。あんたの呪いを診た時に、解析しきれない所があったんだ。そいつが、もう一つの呪いだったってわけか……ローザンの奴め」

「ライラさん、お願いです。ダリル様の魔力を、彼に返していただけませんか?」

「ああ。この一端の責任はダリル様の籠を作らなかったあたしにもある。だから、出来ることはやるさ。あんたは、何処かの誰かが持って行った王子様の魔力を取返してきな!」

「はい!」

 ライラとアシュレイは支度をすると、二手に分かれて駆け出した。彼女の口ぶりは、魔法の籠に細工をしているとは考えられなかった。

 ならば、残る可能性はひとつ。けれども、迷っている場合ではない。アシュレイは、最後の行先だけを見据えて、馬を走らせていた。


 最後にアシュレイが向かったのは、王都の城壁の北の森の、魔物たちが住む小屋を通り過ぎた先にある、自身が育った家だった。

 明かされる真実によっては、義母と対立することになるかもしれない。覚悟を決めて、アシュレイは扉をノックした。

「あら、アシュレイ。待っていたわ」

 ややあって出迎えたローザンは、娘の帰宅を待つ母親そのものだった。

「お母様、一体どういうことですか? 私にもう一つ、恋をした相手の魔力を奪う呪いをかけていたというのですか……?」

 きっと母を睨みつけて、アシュレイは問う。

「ええ、その通りよ。邪魔は入ったみたいだけど、よくやったわね、アシュレイ」

 ローザンは、アシュレイの問いを否定しないどころか、拍手を送っていた。こんなに簡単に手の内を明らかにするなんて、一体何を考えているのか。そして彼女の目的は――。アシュレイは、気を引き締めていた。

「お母様。何故、私と彼の魔力を奪う魔法をかけたのです」

「簡単なこと。あなたとダリル様は、きっと恋に落ちると思っていたからよ」

「誰を好きになるかは、ダリル様と私が決めることです。何故、そのような賭けを?」

「私の望みを果たすためには、ダリル様の、魔物を惹きつける魔力が必要だったからよ。けれど、一介の魔物学者の私が彼に近付いても、怪しいじゃない? そこで、娘のあなたに目を付けたの。十年前、宮殿に入る機会があって本当によかったわ」

「そんな……」

 ダリルと出会い、思い出を作り、やがて恋をしたことが、走馬燈のように蘇る。それが、義母の手のひらの上で仕組まれたことだったなんて。アシュレイは、ただただ呆然とするばかりだった。

 確かに、「恋をしてはいけない」と母は言った。けれども、ダリルの専属護衛を目指すために、背中を押してくれたのも母だった。

 その結果、ダリルは彼女に魔力を奪われ、眠り続けている。

 自分たちの想いを弄ばれたことに対して、アシュレイはふつふつと怒りを抱いていた。

「決して恋をしない、という縛りがあるからこそ、逆に燃えるんじゃないかと思ったけれど、正解だったわ。あなたは律義に誓約を守ってくれていたしね」

 睨みつけるアシュレイに構わず、ローザンは楽しそうに語った。

「……私たちを騙していたのですね。ダリル様を、私を何だと思ってるのですか!」

 アシュレイは声を荒げる。

 それは、はじめて母に放った本音だった。

 ダリルと出会って、専属魔法士を目指して。その過程では辛いこともあったけれど、それでも彼と隣で過ごしてきた日々を否定したくはなかった。

「ごめんなさいね、アシュレイ。でも、あの方を復活させるためには必要なことだったのよ」

「あの方……?」

「もうじき会えると思うわ。紹介してあげる」

「それでダリル様が犠牲になるなら、私はあなたを止めます」

「望むところよ。力づくで、ダリル様の魔力を私から奪ってみることね」

 もう、分かり合えない。お互いに、そんな確信があることだろう。

 アシュレイは、短剣を手に、ローザンと向き合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る