第10話奈落の底②
歩き始めて10分くらいだろうか。大気の流れから徐々に出口に近づきつつあることを確信している。
道を進むごとに、床に人の足跡が散見されるようになった。真新しいものが幾つもあったので、この建物に頻繁にやってくる訪問者が多くいるのだろう。
だが、その目的が読めない。なんのために、こんな空虚な場所にやってくるのか。
ピラミッドという観点から考えると墓荒らしかと思ったが、死体の安置所や、そもそも別室すら見かけない。ずっと、仄暗い通路を歩いているだけだ。
「一体、誰がなんのためにこんな……」
益体のない言葉を独りごちた瞬間、微かな音が耳朶に届いた。
軽く足を踏みしめるような音が後方から、少しずつ近づいてきている。
音はそう遠くない。
身体が強張る。ここが外国だったとして、僕はまともにコミュニケーションさえ取れないだろう。文化の隔たりもあるし、そもそもまとも道徳観念が通用するかさえ怪しい。殺される、なんてこともありうるかもしれないのだ。
震えを押し殺して、どこか隠れられそうな場所を探すが伽藍洞の通路にそんなものはない。
意を決して、背後を睨む。いつでも逃げられるように、態勢だけは整える。
――薄闇の中、それは現れた。
黒の中に淡く光るような白色。硬く、しかしそれでいて軽そうな体格。針金細工のような痩身に鋭利な指先。
そして、無窮の闇を内包した眼窩。全身骨格だらけのシースルー。
学校の理科室に置いてある骨格標本そのもの。洋名でいうところの、スケルトンがそこにいた。
カラカラと音を立て、一歩また一歩と近づいてきて……。
――黒色の瞳と、目があった。
瞬間、死を直感する。
気が付いたときには駆けだしていた。
分けも分からず、出口に向かってひた走る。
あんなものが現世に存在して良い筈がない。ならばあれはCGやアトラクションの類だと一笑に付せる筈なのに……。
全身が総毛立ち、恐怖に肌が粟立つ。感じた恐怖は紛れもなく本物だ。僕にはあれが、偽物だと断ずる気にはなれない。
忙しない足音が後方から迫る。カラカラという無機質で、どこか間抜けな音が今は何よりも恐ろしい。追ってきている。確実に。
後方を振り返らず、全力で闇の中を疾走する。いや、振り返る気にはなれなかった。万が一にでも距離を詰められていたら、僕は発狂しかねないという確信がある。
ふと、前方に人影が差した。重量のありそうな鉄槌を背に下げている。どこか欧風っぽい顔立ちをした外国人が、不思議そうにこちらを見遣っていた。
「す、すみません! 助けてください!」
恥も外聞もなく、悲鳴じみた絶叫を上げた。
言葉が通じているかは分からなかった。いや、通じる筈がない。それでも、こちらの必死の形相に状況を察したのか、男が鉄槌を構えてやってきた。
大上段に鉄槌を構える男目掛けて、ラストスパートとばかりに全力で疾駆する。背後の足音は近い。這い上がる恐怖が足を空回りさせる。
無様な走りで、男の脇を駆け抜ける。
すれ違い様に、何かが空を切る音がした。次いで、軽いものが壊れたような小気味の良い音が鳴り響く。
振り返ると、男が鉄槌を振り切った構えのまま静止していた。その足元には砕け散った骨が散乱している。
僕を追っていて骨の怪物は、その面影を足元に残して消えた。
その事実を認識したと同時に、安堵感から床にへたり込んでしまう。
男の方を見ると、彼は怪物の残骸を真面目な顔つきで掻き分けていた。
白色の中から鈍く光る石のようなものを取り出すと、それが呼び水だったかのように骨の山が跡形もなく消え去った。
物質が何の理由もなく消失する筈がない。男の装いも革鎧と、どこか現実味を欠いたようなものだ。恐らくこれは、先の魔物? を狩るアトラクションのようなものなのだろう。そうに違いない。
僕は息も切れ切れに立ち上がり、男に歩み寄った。
「あ、ありがとうございます。助かりました……」
遊びだとしても、助かったことには違いない。一礼する。
「なんで頭下げてるんだ、お前……? まあ、いい。お前、駆け出しの探索者か?」
「探索者……? いえ……」
幸いにも言葉は通じている。
探索者……アトラクションに参加しているプレイヤーの総称だろうか。
「武装は?」
「しているわけないじゃないですか」
「探索者でもないなら、何故こんなところに……?」
訝しむような視線が顔を這う。
あまり怪しまれるのは得策ではない。こちらの身を明かすのは危険かもしれないが、一度助けてもらった以上敵ではない筈だ。事情を説明して、協力を要請するのが無難だろう。
素直に身の上を打ち明ける。
「すみません……、どうにも迷い込んでしまったらしくて。ここがどこかも分からない有様なんです」
「……その珍妙な出で立ちに、ここがどこだが分からないときたか。まさか……」
何か、思い当たる節でもあるのか男はしきりに頷いていた。
「まあ、何はともあれ。また魔物が出るかもしれんし、近くの町までは送っていってやるよ」
「ありがとうございます」
警戒しつつも、その厚意に甘えることにした。
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