第十六話 崩れユク世界

~ 2004年8月16日、月曜日 ~


 到頭、この日がやって来てしまった。この再会を心のどこかで望んでいなかった。

 そう云えば、昨日、二人の女性から電話があった。二人とも何か嫌な予感がしていると告げていた。

 俺の頭ん中でもワーニングランプが赤々と回転しサイレンをけたたましく鳴らしていた。そして〝警告〟と言う文字がそん中を占拠し様としている。そんなイメージを取り払い、昨日、宏之に頼まれていたので奴と隼瀬を迎えに行く事にした。

 今、その二人を車に乗せ、国立済世総合病院に進路を向けている処だった。

 何故なんだろうか、空気が重苦しい。誰も言葉を一言も発しようとしない。

 宏之は最近、執り憑かれた様に毎日、涼崎の見舞いに行っている。

奴は隼瀬と涼崎の間を行ったり来たりの宙ぶらりんの状態になっている。

 隼瀬が不安になるのもしょうがない。

 宏之のその事を糺してみるが、しかし、ヤツ自身もどうしてか判らないと返してくれやがった。これについては今しばらく様子見だ。

 重苦しい雰囲気のまま、俺たちは病院へと到着した。

「着いたぜ、さっさと降りろよ」

 二人を促した。二人が降りたのを確認するとキーを抜き俺も外に出る。

「ホラッ、何突っ立ってんだ、移動しろよ」

「アァ・・・・・・・・・」

「そうね、ここにいても意味ないわよね」

 そうして、俺達、三人は病棟へと向かって歩みだす。

 涼崎の病室の所へと辿り着く。

 何の予告もなく宏之が一番先に病室へと挨拶をして入って行く。

隼瀬はその後に従うように彼を追う。最後に俺だ。

 病室内を見渡す。藤宮と貴斗はまだ来ていないようだ。若しかして、来ないつもりじゃ?それとも態、遅れてくるつもりなのか?・・・考えていてもしょうがない。

 ヤツも藤宮が一緒なら必ず・・・・・・、来るだろう。

「春香、見舞いに来たぞ。ホラッ、かっ・・・・・・・、隼瀬も慎治も一緒だ」

 奴は一瞬、言葉を詰まらせそう言葉を言いきった。多分、〝かすみ〟って口にしてしまいそうになったんだろうな。

「春香、身体の方、どう?気分は大丈夫?」

「ヨぉッ、元気してたか?」

「ミンナ、来てくれて有難う」

「皆さん、こんにちは、ですぅ」

 異質の空気の中、暫く俺達は五人で談話していた。ここにいない藤宮と貴斗の事を心配してか涼崎は不安な表情を浮かべていた。

「詩織ちゃんと貴斗君、遅いね、まだ来ないのかなぁ」

「こんにちは、春香ちゃん、遅れてごめんなさいね」

 涼崎の想いが通じたのか、それとも人を創りし神の戯れか、悪魔の 悪戯か藤宮と貴斗が現れたのである。

 藤宮の方が何も言葉にしない貴斗に何かをつぶやいている。

 何を言い聞かせているのか予想は出来る。

 昔、三年前の時の様に振舞えとでも言っているんだろうな。

「ウフフッ、二人ともどうしたの?ヒソヒソ何ってして?」

 涼崎は二人のそんなやり取りを見て、嬉しそうにそう尋ねていた。

「ハハッ、なんでもない。遅れてゴメン、涼崎さん」

 遅れてきた藤宮は場を濁さないように上手い演技をして俺達の会話に合わせてくれていた。流石は見識才女。

 貴斗の方はただ相槌を打つ程度でたまに彼女に突付かれ何かを話すくらいだった。

 しばらく高校三年生の頃の会話をして、それから更に前の会話に移ろうとした時に、急に貴斗のヤツが、本当に突然、奇妙、極まりない笑い声を上げる。

 何だ、この不吉な笑いは?

「ワァーーーッハッハッハッハ、アァーーーッハッハッハ、アッハハッ!?」

「如何したのよ、急に大声を出して笑ったりして?」

「気でも狂ったのか?」

「何だ、急に!

 ヤツの目が正気でないと悟った俺は短いけどそんな言葉を発した。

「貴斗さん何か悪い物でも食べたんですか?」

「ハハッ、これが笑わずに居られるか!」

 一体どうしたって言うんだ貴斗?・・・、何だ、俺の胸を締め付けるこの感覚は?

「貴斗!アンタ、いったい何を企んでるの?」

「フッ!とヤツは嘲るように鼻で笑う。そして、更に言葉を出した。

「企む?何も企んでないさ」

 ヤツがそんな見え透いた嘘を言うなんてただ事じゃない、ヤツを止めろっ!

「こんなぁ、茶番、付き合ってられるか!」

「貴斗君っ!」

 藤宮は俺よりも早く、貴斗の行動を制止しようと思ったのだろうヤツの名を叫んだ。

「黙れッ!」

「ヒィッ・・・」

 貴斗の一言で藤宮は怯え竦みになってしまった。その表情は・・・、半泣き状態。

 いつもおどけて見せるときの演技じゃない。本物の涙が確認できてしまった。

「お前なぁーっ!」

 貴斗の行動を止め様とそんな風に無理に言葉に出した。

 怯むなっ、俺。ヤツを止めろ!そして、宏之は言葉にしない。

 その目で貴斗を威嚇している様だった。

「何だ、お前らその目は?」

 奴に倣って貴斗の行動を眼で止め様と思ってヤツを睨みつけたが・・・、無理かもしれない。

 今まで真に人を睨んだ事がないから奴やヤツとは迫力が違いすぎる。

 涼崎は俺達の剣幕に呆然となすがまま、翠ちゃんは怯えて何も云えない。

 そんな状態の中、貴斗は言葉を止めなかった。

「お前ら本当にこれでいいのか?こんな状態の彼女を見て何とも思わないのか?嘘、偽りの中に何があるってんだ!こんなこと、ずっと続けて春香さんは本当に嬉しいと思うのか?」

 お前の言っている事は正しいのかもしれない。

 だが、今の隼瀬と宏之、藤宮とお前の関係を崩したくないんだ。〝だからそれ以上何も言うなっ!何もするなっ〟と!心でそう思ってもどうしても言葉に出せなかった。

 どうして、それが言葉に出せないかなんて俺自身の今の心理なんて、こんな状況の時、直ぐに理解できるはずもなかった。

 貴斗の言葉はことさらに続く、ヤツの感情剥き出しの本音でな。

「俺は・・・、辛い。こんな状態の涼崎さんを目にするのは・・・、潰れそうだ。お前ら、いいのか、本当にこれで・・・、答えろよぉっ」

「タッ、貴斗君、何を言っているの、私には分からないよ!」

 到頭、涼崎の目に涙が浮かび始めた・・・。しかし、何故、彼女は貴斗の事を苗字ではなく名前で呼ぶんだ?高校時代はありえなかったことだぞ。だが、俺のその考えていた事をヤツは口にする。しかも、ヤツの方も眼を飛ばしながら涼崎を名で叫んでいた。呼び捨て、でな。

「春香、お前、今まで俺を〝貴斗君〟なんて呼んだ例あるか?お前も、気付けよ、春香ッ!」

「クッ!ひっ、宏之君、貴斗君が睨むよぉ~っ!」

 涼崎はそう言って宏之の腕を引っ張り、掴んだ。

やがて、不穏な空気が辺りを覆う。

貴斗のヤツはその空気を拭い去るように何かを手にし、ヤツの足は動き出す。

『お前、それまさか!?』

 隼瀬と俺の声が重なった。

 俺の観察者としての声が俺に囁きかける、ヤツが持っている物が何かを・・・、写真!

「二人が察しのとおりの物」

 ヤツは隼瀬と俺の意識を読み取ったのかそんな言葉を吐いた。

「貴斗ぉ、やめて頂戴ッ!」

 ヤツの行動を阻止しようと藤宮はその場を動くが、貴斗に着き飛ばされ気絶してしまった。何とか隼瀬が彼女を抱き止めたお陰で床に叩き付けられる事は事はなかった。


* * * * * * * * *


 結局、俺達全員は何も出来ず貴斗の思惑通りに事が運んでしまった。

もう、戻れない現実の崩壊。

 ヤツの行動により涼崎は苦しみ医療スタッフが駆けつけ、俺達は病室の外へ強制退室させられた。でも何故、貴斗はあんな事を?・・・ヤツの事を判っていてやっていた積りなのに・・・。理解出来ない。

 ここら辺が深友だと思っていても一介の友達としての限界なのか?母さんだったら予想できた事なのか?・・・、駄目だ、わからない。だが、そのわからない理由は、貴斗のその行動が理解してやれなかったその理由はいつしか俺自身の立場を中立から逸脱させてしまった所為だって事に気づいていないから。


+ 病室の外 +


「貴斗っ!」と宏之、此奴は怒りを露にした声で貴斗のヤツを呼んだ。

「フンッ」

 貴斗、 コイツは宏之の奴に一瞥するだけで、俺達を無視し勝手にこの場から移動しようとしていた。

「まって、貴斗どこへ行くのですかっ!」

 藤宮が先に言葉を発しヤツの後を追うような感じでついて行く。

「オッ、おいまてよぉっ!」俺もまた、直ぐにヤツを追った。

 貴斗を追い、俺達全員、病院玄関前の芝生に出ていた。

「病院内では静かに。ここなら、大声を出しても平気だろ」

 ヤツ至って冷静で今までの事など嘘のように俺達にそう言葉にしてきた。

「お前ら俺に言いたいことあるんだろ?」

「説明しろよ、何であんなことしたんだ!」

 コイツの理念を知りたかった。どうしてコイツがこんな行動を取ったか・・・、ここまで来る前に頭ン中を整理して、気が付いた。

 答えを見つけた・・・・・・、しかし、納得がいかなかった。

 貴斗、コイツにとって、涼崎のあの目覚めは偽りだった。

 昔と何も変わっていないと思う彼女の偽りの現実が。

 総ては変わってしまっていたのに涼崎はそれを知らなかった。認識し様としなかった。だから、コイツはそれを見せつけるために〔写真〕を使ったんだ。

「説明?慎治、それなら病室内で言ったはずだが?それとも、もう一度言って欲しいのか?お前なら理解できると思っていたが、俺の勘違いか・・・」

〈言う必要など無い俺にはもう分かっている〉

「ああいう事するにもタイミング、ってのがあるでしょ!」

「タイミング?それはイツだ?それは、明日か、明後日か?1年後?10年後?いつなんだよ、いったい。隼瀬、そんなこと、言う割に俺がとった行動一度も止め様としなかったな。あれか?もしかしたら彼女また意識不明になり、宏之が自分の所に戻ってくれるとでも思ったのか?」

 貴斗と隼瀬への言葉攻め・・・何だ、この感情は?ワナワナと怒りがこみ上げてくる。

「ナッ」

 隼瀬の声が一瞬詰まるが直ぐに言い返すように口を動かした。

「アンタが記憶喪失じゃなかったらこんな風にはならなかった!」

 彼女は何を思ってそう言ったのか?貴斗が記憶喪失でなければ、隼瀬と藤宮に過保護であったヤツはそんな行動を取らなかったかとでも言うのか?・・・そうかも知れない。しかし、それは藤宮と貴斗の今の関係がなかったかもしれない事になる。

「ホォ~自分でやった事を俺の所為にするのか?」

 ヤツは隼瀬と宏之の関係について言っているのだろう。

 ヤツは二人のその関係でも苦悩していたのを知っていた。

 心のどっかで、若しかして、涼崎の目覚めは貴斗の記憶回復に影響するんじゃないかって思っていたが其れはなかった。

 今もってヤツは記憶喪失のままだった。

「俺の記憶に何があるって言うんだぁっ!」

〈大有り、大有りだぞ、貴斗!〉

 だが、しかし、心の中の声を言葉に出しては言えない。

 何故?ヤツと藤宮の関係。それすらも崩れて無くなってしまうかもしれないからだ。

 それに、記憶を取り戻せばヤツ自身、過去の惨劇に苦悩し潰れてしまうだろう。

 これ以上の損傷は認められない。だから、口にすることなど出来るはずがない。

「貴斗っ!いい加減にしてください。香澄の気持ち、考えたことあるのですか?」

 藤宮は幼馴染みの隼瀬を庇う様にヤツを諌める言葉を聞かせていた。

彼女はヤツの心、それに対する心の苦しみを知ってはいない。

「考える余地など無い!」

 貴斗は藤宮のそれにハッキリとそう言葉にする。

 ヤツは宏之とオレに凍てつく鋭い視線を向けてくれやがる。

 俺はそれを返すように睨み付けた。

「何だ、その目は俺と殺り合おうっていうのか?言っておくが、手加減しないぞ」

 言葉に出しながらヤツは構えを取ってきた。

「テメェ~、いい加減にしろよなーーーっ」

 ついに怒りが爆発し俺の体が勝手に動いていた。同時に宏之もだった。

「二人ともやめてぇ~~~っ」

 藤宮の声が耳に届く。しかし、一度動いてしまった俺の体、直ぐには制動を掛けることが出来ず、一発だけ貴斗を殴りつけていた。

 俺はヤツの事を判っていたんじゃないのか?何故、怒りを覚えた?何故?どうして?誰のために?・・・それは隼瀬の為、虐げられた隼瀬のため。ドウシテ・・・・・・・。

「やめて、止めてよ、柏木君!」

 気がつくと宏之は一方的に貴斗を殴っていた。

 貴斗のヤツ、〝手加減しないぞ〟とそんな事を自分で口にしたくせに反撃の色を見せていなかった。

 何故、反撃しないのか不思議に思ってしまう。だが、それも以前ヤツが言葉にしていた事を覚えていれば直ぐに理解できたのだろうけど、それを俺は忘れてしまっていた。

 貴斗の性格に挑発なんて物がありえない事を俺は知っていた筈なのに

 なんでこんな大事な時にそれを理解してやれなかったんだっ。

ヤツは相手の行動を抑止するために威嚇することはあっても、嗾けさせる為の挑発はしないって事を。そもそも、貴斗のヤツは自身、或いはヤツにとって大切な人達に害を為す相手と認識したら、躊躇わずにぶっ飛ばすヤツだしな・・・。

だが、もう・・・。

「宏之ッ!いい加減にしなさいっ!」

 睨みつけ、そんな風に強く声を出す隼瀬の言葉にも奴は止まらない。やがて、我に返って冷静になった俺は宏之を羽交い絞めにする様にマウントポジションの貴斗から引き剥がした。ヤツは倒れたまま身動き一つしない。

「貴斗ッ!」

 藤宮がヤツの名を叫びヤツの所に駆け寄ろうとしたが何故か隼瀬が藤宮の腕を折れてしまいそうなくらい力強く掴む。

「そのままにして置きなさい。そこで少し頭を冷やして貰った方がいいわ、貴斗の今日の行動は唐突過ぎるわ。取り敢えずこの場から離れた方がいいわね、行きましょう」

 隼瀬からあんな言葉が出るとは思わなかった。

 気がつけば、いつの間にか俺以外その場には誰も居なかった。

 貴斗を見下ろし、どうしようか考えていた。

 シカシ、本当に取ろうと思った行動を俺のもう一つの感情により潰されてしまう。

「貴斗、少し頭冷やせ!」

 カノジョノ言葉に従う様にそう告げると俺もその場から立ち去ってしまった。

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