第29話 喧嘩をするほど?

 言葉は話せないようだが意思疎通に問題はないようで、オフィーリアは脱いだ上着を預かってもらい、手土産のお菓子を渡して下がらせた。

 注文の品は直接マリアンナに渡すつもりなので、自分で持ったままにする。


 それからエイミーの先導の元廊下をまっすぐ進み、リビングの戸が開けられ――


「マリアンナ! あんたのお客だよ!」

「うるさい! 言われなくても聞こえてるわよ!」


 前触れなく始まった喧嘩腰の応酬にびっくりしつつも、手招きされるままリビングに入ると、キッチンで生クリームたっぷりのケーキを切り分ける姉の姿が見えた。


 失恋のせいか反省を示すためか、長かった巻き髪はあごのラインで切りそろえられ、オシャレ好きな彼女にしてはやけに質素な装いをしてはいるが、リボン付きのカチューシャや爪の先まで磨かれた美貌はそのままで、異郷での生活でやつれた様子はない。


 マリアンナは作業を止めてオフィーリアを一瞥し、何か逡巡するような素振りで視線を彷徨わせたあと、ぽつりと告げた。


「頼んてたハーブティー、ここで淹れて」

「え、今? 私が?」

「そうよ。この通り、わたくしは忙しいの」


 それだけ言ってプイッとそっぽを向き、作業を再開するマリアンナ。

 その態度に物言いたげな様子のディルクを先に席につかせ、エイミーを見やる。


 他人のキッチンを勝手に使うのは気が引けるが、「好きに使いな」と快諾してくれたので、近くにあったヤカンで湯を沸かすことにした。


 作業台の上で荷物を開封し、どれを淹れようか考える。

 甘いお菓子に合わせるなら、ダイエット効果のあるお茶がいいと思うが……自分では決めかねるので、マリアンナの意見もうかがってみる。


「あの、どれを淹れる? いろいろと効果はあるけど」

「そうね……冷えに効くのがいいわ。おばさん、冷え性なの」


 近くにいるオフィーリアでも、聞こえるか聞こえないかの声量で返事が来た。


 エイミーの体調を気遣っているが、それを彼女に悟られたくないらしい。

 さっきの感じではあまり仲がよくないのかと思ったが、あれは気の置けない者同士だからこそのやり取りだったのかもしれない。


 異郷に身を置くことで心境の変化があったのか、それともあの傲慢さの裏にあった彼女本来の性格なのか……どちらにしてもいい傾向だ。


 母にも教えてあげなくてはと思いながら、冷え性に効果のあるハーブディーをポットに投入し、ゆっくりと湯を注いだ。どれだけ工夫しても薬草の性質上苦みの残るお茶だが、甘い物と合わせるならちょうどいいだろう。

 蒸らし終えたハーブティーをテーブルに運び、ティーカップに注ぐ。透明度の高い若草色の液体が白磁のカップに映える。


「悪いね。お客に給仕なんかさせて。あたしはこの通りガサツな性格だからさ、お茶の淹れ方なんてさっぱりなんだよ」

「淹れ方を教えるために、お客様のお宅で実演させていただくことも多いので、いつものことですよ」


 マナテリアルだからといって特別な淹れ方は必要ないが、お茶を美味しく飲んでもらうために守ってほしい一定のルールがある。

 それを知っているか知っていないかで味に差が出るので、お茶に造詣の深くない人には一通り実演で教えることにしているのだ。


 念のために荷物に淹れ方のメモは入れてあるが、マリアンナはよく気の合う魔女を招いてお茶会をしていたから心配ないだろう。少なくとも彼女の使い魔は慣れているいるはずだ。


 姉妹共にキッチンから出て席につき、お茶会が始まった。

 カップに注がれたハーブティーを一口飲み、エイミーが口角を上げる。


「へぇ、ハーブティーって意外と美味いんだね。薬代わりのイメージだから、もっと不味いかと思ったんだよ。ちょいと苦いけど、思ったよりすっきりした後味で飲みやすいし」

「ありがとうございます。こうしてお茶の時間に飲んでいただくのもいいですが、寝る前に飲むとより体が温まるので、これからの季節にお勧めです」


「あはは、あんたはセールスが上手だね。可愛げのないマリアンナとは大違いだよ」

「失礼なこと言わないでよね」

「おや、本当のことじゃないか」


 突然話の流れが変わり、軽い口論に発展する。

 こういう場面を見慣れないオフィーリアはついハラハラしてしまうが、ああだこうだと言い合いながらも適当なところで矛先を収めるようなので、これも日常的な光景なのだろう。

 人間関係に正解はないというが、そのいい例かもしれない。


 彼女たちのくだらないようで微笑ましいやり取りを眺めつつ、出されたお菓子を堪能する。


 マリアンナが手ずから用意しただろうそれらは、どれも美味しかった。甘すぎず、くどすぎず、いくらでも食べてしまえそうだった。

 そのせいか、ディルクは話そっちのけで子供みたいな顔でお菓子を頬張り、マリアンナに呆れられていた。


「こ、これがドラゴンなの……?」

「あはは……」


 主であるオフィーリアは笑うしかない。


「ふん、こんなドラゴンを使い魔にしなくて正解ね。意地汚い男は趣味じゃないの」

「なんだと――ぐむっ」


 反論しようとした口を塞ぐつもりはなかったが、生クリームがついたままでは格好悪いので、有無を言わさず横からナプキンで拭き取った。


「あはは、あんたたち仲がいいんだね。夫婦みたいじゃないか」


 カラカラと笑いながら爆弾発言を投下するエイミーに、オフィーリアは真っ赤になって縮こまる。それに追い打ちをかけるように、マリアンナが口を開いた。


「そういえば。あなた、そこのドラゴンに求婚されてたらしいじゃない?」

「おやおや! 美男美女でお似合いじゃないか!」

「そ、そう思うか?」


 外堀から埋められていく感覚に、ただただ赤い顔のまま押し黙るしかなかった。

 異性として意識する機会も増えたし、彼が女性の熱視線を受けていれば嫉妬もするし、今抱いている好感が恋愛感情であることも自覚している。いつまでも魔女と使い魔という関係に甘んじることなく、彼の気持ちを受け入れるべきだとも思っている。


 でも、その一歩を踏み出すことができないでいる。


 自分の中で育った感情も、ディルクが向けてくれる愛情も、間違いなく本物だと分かっているのに、冷静かつ意気地なしの部分から制止がかかる。


 ――自分では、永遠にディルクの傍にいられない。


 魔女の寿命が長いとはいえ、確実に彼よりも早く死ぬ。

 自分の死後も彼は生き続け、いずれ別の女性と所帯を持つだろう。そんな様子を想像するだけでつらくなり、嫉妬に狂いそうだ。


 だから、このふわふわとしたどっちつかずのままでいるのが、一番心地いい。

 逃げだと分かっていても、醜い感情を暴かれるよりよっぽどマシだった。

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