第16話 少年ディルク
パチンッ……と、ひときわ大きく薪が爆ぜる音に、真っ暗だった意識が白んでくる。
「んん……」
重いまぶたをこじ開け、かすんだ視界の中まばたきを繰り返すと、暖炉の火が照らす薄闇の中に見慣れない……いや、正確には懐かしい天井が見えた。
この人の顔のように見えるシミは、実家の自分の部屋の天井だ。
幼い頃はこれがオバケに見え、怖くて目を合わさないよう布団にくるまっていたが、今はじっと見ていても、少し不気味なだけのただのシミにしか見えない。
過去の自分に苦笑しつつ、だるい体をゆっくりと起こすと、ぽとりと濡れタオルが落ちてきた。額がほんのり湿っているし、そこに乗っていたのだろう。
タオルを手に取ると、すっかり温くなっている。熱があったのか。
額に手を当ててみるが、冷やされていたためかすでに下がっているのか、特に発熱は感じない。
熱で汗をかいたのか、眠っている間に着替えさせられたようで、サイズの合ってない寝間着を着ている。これはマリアンナのものだろうか。リボンとフリルがたっぷりで可愛いが、自分には似合わない気がする。
一体どれくらい眠っていたのか。薬草園は大丈夫なのか。
気がかりなことはいろいろ浮かぶが、この暗さだからきっと夜か明け方だろう。
体の調子もまだ戻っていないようだし、もうひと眠りすべきかと考えた時、静かに戸が開く音がした。
水の張った桶を持った、小柄な子供が部屋に入ってくる。母の使い魔だろうか。
でも、炎の光に浮かび上がる姿に、そこはかとない既視感を覚える。
上半身を起こしたオフィーリアと目が合った子供は、びっくりしたように肩を震わせ、桶をベッド脇のローチェストの上に置くと、オフィーリアの傍に駆け寄った。
「オフィーリア! よかった、起きたのか? 熱は……下がってるみたいだな。ちょっと脈は速いが、まあ許容範囲だろう。他に頭痛や吐き気なんか感じないか?」
「え、えっと、ディルクさん、ですよね?」
甲斐甲斐しく熱や脈を計る少年に、おずおずと問う。
金色の瞳も銀髪も褐色の肌も、意識を失う前に見た人化したディルクの特徴そのものだ。
でも、あの時は二十を超えていそうな青年に見えたが、目の前にいるのはどう高く見積もっても、十歳くらいの子供にしか見えない。
問いかけられた少年は、バツ悪そうに目を伏せる。
「あー……うん。ディルクだ。その、魔力が戻った直後は元の姿だったんだが、時間が経つとこの有様で……ほら、この通り」
人化を解いたディルクは、前と同じぬいぐるみサイズのドラゴンになり、再び少年の姿になって近くの椅子に腰かける。
「君からもらってる魔力が不十分というわけではない。元の姿を維持するには、ちゃんと自分の中に魔力を蓄積する必要があるんだ。君と釣り合いが取れるようになるのに、どれくらいかかることか」
憂鬱で重いため息をつくディルク。
つまりしばらくの間は、ドラゴンでも人化しても子供のままということか。
ディルクは悲観的に捉えているようだが、あの美青年が四六時中傍にいるとなると、ただでさえ男性に免疫のないオフィーリアの心臓がもたなかった可能性もある。いつかああなるのだとしても、徐々に変化していけば慣れるかもしれない……とは、外見を気にしているディルクには直接言えないが。
「だが、子供の姿でよかったかもしれない。元の姿だったら、君の心が定まる前に、その……いろいろとすっ飛ばして、やらかしてしまったかもしれないし」
「へ?」
ぼかしてはいたが、なんとなく彼が意味するところを察して顔が赤くなる。
使い魔は魔女の命令に対し服従する仕様なので、オフィーリアが拒否すればそんなことは起こらないと思うのだが……あの美青年に迫られて拒絶できるだろうか。場の空気に流されてしまうかもしれない。
無論、それがディルクだからという前提ありきだが。
ディルクも気まずそうに視線を明後日の方向に向けつつ、咳払いをした。
「あ、あくまで仮定の話で、決して俺の理性が脆弱というわけではなく……いや、失言だった。忘れてくれ」
「え、あ、はい……それでその……全然関係ない質問なんですけど」
「なんだ?」
どうにかして話題を変えたいのか、妙に前のめりになるディルク。
「えっと、人化する時の服って、どういう仕組みになってるのかなって……体の大きさが違うのに同じ服を着てますし」
「使い魔と同じように、魔力を衣類に変換していることもあるが、だいたいは気に入った服を自身の魔力と同化させて出し入れしている。サイズ調整もこれくらいなら問題ない。まあ、どっちにしろ脱げなくて困るということはないんだが――って、話が戻ってるじゃないか!」
そこまでは訊いてないし、人と交わることが前提のドラゴンなら当たり前のことだが……知らなくていい情報まで仕入れてしまった。
ちなみに、魔女と使い魔の恋愛が特に禁じられていないのは、ひとえに『脱げない』からだ。
人の姿に見えても、服の下の部位がすべて形成されているわけではないし、そもそも服と体が一体化しているので脱げない。
精神的な愛はともかく、肉体的な愛は遂げられない仕様なのだ。
「そ、その話はともかく、食欲があるなら何か腹に入れた方がいい。君は三日も意識がなかったんだ。食わないと体が持たないぞ」
「三日も?」
眠っている間夢らしい夢も見た覚えもなく、時間の感覚はまったくないが、まさか三日も眠り続けていたなんて。
魔力が戻った反動は思ったより大きかったようだ。言われてみれば、胃が空っぽな感じがする。
「ごめんなさい、心配をかけて。じゃあ、少しいただきます」
「分かった。すぐに作ってくるから、横になって待っててくれ」
そう言ってディルクは椅子から立ち上がると、さりげなくオフィーリアの前髪をかき上げて額に唇を寄せ、はにかんだ笑顔を浮かべて部屋を出ていった。
最初は何が起きたのかポカンとするだけだったが、戸が閉まる音と同時に脳が状況を認識し、心臓が激しく脈打って沸騰したみたいに顔が熱くなった。
適切なスキンシップの範疇に入るものだが、親からもそういうことをされた記憶のないオフィーリアからすれば、異性からキスされたというだけで十分衝撃的だった。
たとえ見た目が年端のいかない少年であっても、本性は大人だと分かっているから、子供のしたことだからと受け流せない。
誰が見ているわけでもないが、羞恥に染まった顔を隠したくて頭から布団を被って丸まり、唇が触れたところを指先で撫でる。
愛も恋も経験のないオフィーリアだが、今感じている胸の高鳴りや熱がそういうものだとしたら……考えただけで落ち着かないし、無性にジタバタしたくなる。
暴れるのはよくないと思い、一旦考えるのを止めてじっと布団にくるまっていた。
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