殺意日記

下村アンダーソン

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン

 機械による反乱にあっている。

 というと人間の手で創造された知能が自身の存在意義についての哲学的思索を巡らせた末に人類に対して反旗を翻す、といったSF的な物語を想起される方もあるかもしれないが、現在俺が見舞われているのはそうした類の現象ではない。では何かというと、問題はエアコンの温度である。

 どういうことか。俺の部屋は今、これを一度上げると暑く、一度下げると寒い、というきわめて微妙な塩梅で、いまひとつ絶妙な快適性が保持されず、甚だ困り果てている、といった次第なのである。

 ここで「それは貴君、暑ければ服を一枚脱ぐ、寒ければ逆に上着を羽織るなどして体温を調整すればいいだけの話であって、その程度の常識的な振る舞いすら出来ずに機械による反逆などと大層な文句を付けるのは馬鹿者と言うほかなく、これはまったく見下げ果てた能無しの餓鬼であることだ」などといって俺を非難する卑劣漢があるかもしれない。しかしね、ちょっと待ってもらいたい。あなた、エアコンという言葉が何の略称であるのか知っているのか? エアー・コンディショナー。空調。すなわち自分は部屋の空気を快適な温度に調整する使命を負った機械であります、ということを、エアコンそれ自体が明言しているのですよ。

 それをなんですか? 暑ければ服を脱げ? 寒ければ着ろ? 馬鹿にするのもいい加減にしろと言うのだ。俺は自分の部屋を快適にするために機械を導入し、そのぶんの代金を支払っているのだ。この時点でこちらの果たすべき義務は当然完了しているものと見做さねばならず、となれば俺が快適性を享受できぬのは役割を果たさぬエアコン側の非であって、これは機械によるレジスタンスに他ならない、という理屈が理解できぬのか? ぼんくらが。

 そもそも俺は忙しいんだよ。どれどれちょっと寒いから半纏を出してこねばな、どこに仕舞ったかな、なんてな真似をいちいちやっていられないのだ。帰宅する。機械を操作する。ピピ、と即座に反応があって部屋が適正な温度に変化する。この一連の流れが滞りなく発生してもらいたい、そう言っているだけである。これは人間として至極当たり前の欲求であり、当方が非難される謂われは皆無である、と断じて然るべきであろう。

 とはいえ最近は少し涼しくなってきたこともあり、エアコンの稼働が多少なりいい加減でも劇的な支障が生じにくい、という事実もまたある。俺はきわめて寛大な精神の持ち主であるから、「まあ、いいかもしらんね」といって機械からの反逆を許容することもまあ、ありえないことではない。そう鷹揚に構えていた矢先のことである。新たな問題が出来した。スマートフォンである。

 いかなる事態であったか。昨日確かに充電器に接続しておいたはずのスマートフォンがちっとも充電を完了しておらず、バッテリー残量が乏しいことを示す赤色の表示でもって俺を威嚇、非難、叱責その他のプレッシャーをかけるという暴挙に及んできたのである。

 俺は激怒した。うっかりこちらが充電器に繋ぐのを忘れていたから充電されていなかった、ということならば理解できる。しかしそうではなく、電話機は確実に充電器と接続されており、その事実を示すシグナルを他ならぬ電話機自身が発信したのである。俺はそれを確認してから床に就いたのだ。完全に充電されるだけの猶予は確実にあったはずなのに、それが行われていないなどといったふざけた事態が発生するのはどうしたわけなのか。俺を愚弄しているのか? 機械が。舐めやがって。ぼんくらが。

 以上のごとき激情に任せて危うくスマートフォンを粉砕しかけた俺であったが、寸前で考えを改めた。この電話機もそれなりに古いので、もうバッテリーが劣化しているのかもしれぬと思い至ったのである。きわめて文明的、理知的な判断であると言えよう。

 そういったわけで久方ぶりに携帯ショップに出掛けたところ、「修理は可能だが日数がかかる」といった旨の説明がなされたので、俺は即座に「諸事情あってすぐに電話機を使用したい、ここで新たな機種を購入し持ち帰ることを希望する」という意味の返答をした。店員の話、世間の潮流、自身の好み、その他諸々を考慮し、新しいスマートフォンを入手するに至ったのである。

 今のところこの新しいスマートフォンは快適に稼働しているが、なにしろ相手は機械であるので、いつ反逆の牙を剥き出しにしてくるか知れたものではない。いざそうなったときにはどうしようかと、今から怯えっぱなしの日々を過ごしている。殺意。

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