魔守がくれた勇気

夕霧ありあ

第1話

魔守まもりは、人に勇気をもたらすお守りだよ。作り手にとっても、使い手にとってもね」

 ある魔守職人が、新人の少女に伝えた言葉があった。

 魔守は、悪しき魔法、暴走した魔法などの効果を弱めて、人を守るためのお守りを指す。

 ある経緯でこの魔守を作る職人を志し、期待と不安を抱く少女は、弟子入りした日、この言葉を胸に、職人としての一歩を進めたのだった。

 それから一年後――。


 夜の、魔法の光が灯る工房。そこで、刻印が刻まれた木製のペンダント――魔守の一種を隅々まで眺めるのは、職人として修業に励む少女・ラシェルだ。刻印に誤りはないか、外観に傷がないかを、彼女は念入りに確かめていく。

「よし、できた」

 目視する限り、問題がないことを確認すると、ラシェルは満足げに微笑んだ。

 これで、今日の仕事は終わりだ。よく作業を終わらせるまで集中したと、彼女は小さな達成感に浸っていた。

 伸びをして、片付けに取りかかろうとしたその時、ラシェルが聞いたのは、扉のノックの音だった。

「ラシェル、調子はどうだい?」

 工房の扉を開けて顔を見せたのは、中年の男性。ラシェルの魔守作りの師匠・マシューだ。

「師匠! 今日の所は、こんな感じです」

 ラシェルは師匠の顔を見るなり、彼へ出来上がったペンダントを渡した。

「まだまだだね」

 マシューはペンダントを一瞥し、笑顔で言い切る。

「そんな……」

「ここの刻印の切り方、ちょっと雑じゃないかな。せっかくの魔力が勿体ないよ」

「そうですね……わかりました。ありがとうございます」

 ラシェルは指摘された部分を虫眼鏡で眺めると、自らの迂闊さに気付くのだった。師匠の言う通り、まだ甘さが残っているらしい。

 魔守は木や金属などに、制作者の魔力を刻印に込めて作る。それ故、魔守職人には魔法の才と手先の器用さ、その両方が求められた。もっとも、一番求められるのは、魔力を込めながら刻印を刻む集中力である。

 魔法はラシェルが五歳の時から学んでいたけれども、マシューらが営む工房エルランドに弟子入りしてからは一年と少し。素人が上級の魔守が作れるようになるには十年かかると言われているなか、ラシェルは彫刻刀を片手に刻印を彫る練習を積み重ね、売り物にできる低級魔守をようやく作れるようになったばかりだった。

「そうだ、君に見せたいものがあってね」

 マシューは思い出したように、手元に持っていた紙をラシェルへ渡す。それは、新人魔守職人に向けた品評会の案内だった。

「品評会、ですか」

 ラシェルは案内を読み込む。参加するのは、品評会未経験の新人魔守職人と、魔守を発動させる魔法使いの二人一組だそうだ。

「よかったら、君とうちのヒースとで参加してみないかい? 彼には後で話をつけておくからさ」

「……考えておきます」

「よろしく頼むよ」

 ラシェルは気が乗らなかったが、師匠の頼みだ、断る訳にはいかなかった。

 ヒースは、マシューの息子にして、ラシェルと同い歳の、十七歳の魔法使いだ。魔守の効果の検証を担当しているため、ラシェルは彼に時折作った魔守を渡し、評価してもらうのだが、どういうわけか彼には距離を置かれていると感じていた。

 その彼が相方であるだけでも不安要素だというのに、更に、ラシェルはもう一つ懸念材料を抱えていた。

 それは、ラシェルが魔守職人を志したきっかけであり、今まで避けて通ってきた過去だ。

 一年半前のこと、ラシェルは魔法学校を卒業する際、魔法の発表をしたのだが、その時に魔力を暴走させ、大失敗してしまった。魔守のおかげで事無きを得たものの、この出来事がきっかけで、ラシェルはすっかり魔法使いとして自信を無くしてしまった。卒業発表の成績は、魔法使いの今後に大きく関わってくるからだ。

 それからというものの、ラシェルはしばらく塞ぎ込んでいたのだが、元々ものづくりが好きだったこともあって、魔法使いが自信を持てるように、魔守職人を志した。様々な工房に見学に行ったが、最終的に弟子入りを受け入れたのは、マシューの一家が経営する、工房エルランドのみだった。

 この話は、弟子入りする際に、マシューは了承していたのだが、それを知った上で、彼はこの提案をしたのだろうとラシェルは感じていた。

(逃げてはダメだよと、師匠は言いたいんじゃないかな……)

 マシューは基本的に温和な気質で、理不尽な要求もないし、工房にも悪い人はいない。それ故、工房エルランドはラシェルが不自由なく修業に励める環境だった。そんな中で、乗り越えるべき障害が目の前に現れたことに戸惑いを感じながら、ラシェルは作業場を片付け、工房を後にした。


 翌日のこと。

「ねえラシェル。今日一緒にお昼しない?」

 昼休み、工房で一仕事終えたラシェルに声をかけたのは、魔守の販売担当の少女・アンジェ。

 彼女もまたマシューの娘にして、ヒースの一つ上の姉だ。銀色の長い巻き毛を高く結んだ姿が目を惹く少女であった。工房に隣接してある店で、母親――すなわちマシューの妻と二人で店を切り盛りしており、屈託のない笑顔と気立ての良さから、看板娘として評判は上々だ。同性で年の近い彼女は、工房の中でラシェルが最も気兼ねなく話せる相手だった。

「大丈夫ですけど……」

 少し迷ったのち、ラシェルは返答する。

「じゃあ決まりだね、さあ行こう!」

 こうしてアンジェに引っ張られる形で、二人は近場の食堂へと向かい、席に着いた。少し早めの時間であるため、席に若干余裕はあった。

「ちょうどいい時間だったね。で、ラシェル、どうしたの?」

 注文を終えると、アンジェは至って真剣に、じっとラシェルを見つめる。

「何ですか?」

 そんなアンジェの様子に、ラシェルは戸惑う。

「ラシェルが元気なさそうだったから、心配だったんだよ。何かあったんじゃないの?」

「アンジェさんには、ばれちゃいましたか」

「当然だよ」

 アンジェは他者の感情の機敏に聡い。そんな彼女には、ラシェルの気分もお見通しだったようだ。

「仕事に熱中して疲れていたのもありますけれど、今度、新人職人の品評会に参加しないかって案内がありまして」

「品評会ねえ……」

「品評会に出て今の実力を知れってことだと思います。けれども、私は人前に出るのが苦手なので、それを克服しろと言われているようにも感じたんです」

「そうだよね……」

 アンジェもまた、ラシェルの過去を知っている一人だ。聞き役に徹していた彼女は、共に悩んでいた。

「それに、相方がヒースくんみたいなんですよね」

「何か悪いことでもあるの?」

 もう一つの事情を知ってか知らずか、アンジェは無邪気に尋ねる。

「私、あの人に避けられてるみたいで」

「あいつは気難しい所あるからなあ。うーん……」

 二人でしばらく悩んでいると、注文した料理が運ばれてきた。

 パンに加えて、野菜がふんだんに入ったスープと、豚肉のソテーだ。出来立ての熱と香りが、湯気から伝わってくる。

「そうだ、食べてるうちになにか思いつくかもしれないし?」

 思いついたように、アンジェは言った。

「そうだといいですけれど……」

「じゃあ、食べよっか。いただきます!」

 アンジェは手を合わせる。料理を目にしたためか、いつもに増して彼女は明るい。

「いただきます」

 ラシェルもまた手を合わせた後、食事に手をつけた。

 ナイフで肉を切り、ソースを絡めて口に運ぶ。ソースと肉そのものの旨みが頬に広がり、ラシェルの心を満たした。

「ラシェル、あのさ」

 二人はしばらく食事に集中していたのだが、半分ほど食べたところで、思い出したようにアンジェが尋ねた。

「何ですか?」

 アンジェの問いかけに、ラシェルは食事の手を止める。

「辛いかもしれないけど、どうか、前を向いて進んでみて。一旦進んでみて、また何かあったら、いつでも相談に乗るからさ」

「そうですよね。頑張らないと……」

 昼食の間、ラシェルの不安は消えなかったのだが、彼女はアンジェと話をして、少しだけ気が楽になったと感じていた。

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