第二話 沈黙の彼女

2001年8月27日、月曜日


 今日、滅多に目を通す事がない新聞の事故の欄を見ていた。

 どうしてかは昨日のあの事故がどんな風に載っているか知りたかったからだ。

 あれだけの惨劇だ!さぞや大々的に書かれているだろうと思っていた。しかし現実はそうじゃなかった。

 地方記事が書かれているページを隅々まで探した。そしてやっとの思いで見つけたその事故は数行だけでしか記載されていなかった。

 俺がどんなに馬鹿でも、その記事のおかしさに疑問が湧かない筈がなかった。

「あんな大惨事なのにたったこれだけのコメントかよ、ぜってぇおかしいって」

 新聞に載っていた記事を読みながら独り言のようにそう呟いていた。

 その記事を読み終えると後はいつもの様にスポーツ欄、それと必要な情報、最後にテレビ欄を見て読み終えるとそれを閉じテーブルの上に投げ捨てていた。

 新聞を読み終えたあとはカップラーメンを食って朝食を終える。

 現在の時刻は午前10時ちょい前。

〈今から春香の所に行ったらアイツ目、覚ましてるかな?〉

 そんな事を思いながら出かける準備をしていた。

 準備が出来た俺は玄関で靴を履き、その場を後にし、マンションの表へと出て行った。

「あぁ~~~、今日もくそ暑いぜ」

 今、口に出した言葉と同じ事をどれだけの奴らが思っているだろうか?って今の俺には関係ないな、そんなことは。そんな事を思いながら駅へと向かっていた。

 俺の住んでいる所から春香がいる病院までの手順は立那珂駅から電車に乗って南へ下り慎治や隼瀬、そして藤宮が住んでいる国塚駅で降りてそこでバスに乗る事、合計約一時間と二〇分。

 待ち時間とかなかったらもっと早く着く。

 他にもローカル線を使って立教大と言う場所で降りた方が早いと言う方法があったけど、その事を知らなかった。


            *   *   *

 春香の事だけを考えていたらいつの間にか病院へと到着していた。

 こんなクソ暑い外に立っているのも嫌だったから直ぐに病院内へと体を移動させていた。

 昨日、秋人から電話があったから春香のいる病室は知っていた。・・・、病室の番号を知っているのは良いが何せこの病院、でかすぎるからどこにその番号の病室があるか判らなかった。だから、忙しく人の間を行き交う看護婦を捕まえその場所を聞いた。

 その人から教えてもらった道順通り進みながらやっと春香がいる病室の前に到着。

〈春香の奴もう起きてるかな?彼女は俺と違って寝ボスケじゃないからそんな心配は要らないと思うけど〉と自分に苦笑しながら病室のドアを叩き、

「春香!見舞いに来てやったぞ」と言葉を出しその中へと入って行った。

「あっ、柏木さんこんにちはですぅ」

 初めに春香が声を掛けてくると思ったがその声は彼女のものではなく、彼女の妹の翠だった。

「ウッス、翠、こんちは。なんだぁ?まだ春香の奴、起きてないのか?幾ら今が夏休みだからって遅すぎるぞ」

「ははっ、柏木さんもそう思うんですネェ」

 彼女は可愛らしく笑いながらそう返して来た。

「ほらぁ、お姉ちゃん!柏木さんが来たのよ。いつまで眠ってるのぉ」

 翠は春香の額を数回軽く叩きながら、姉に言葉を投げかける。だが彼女は何の反応も示さなかった。

「眠っているなら態々起こす必要ないさ」

「そうなんですかぁ?」

「そうだよ。春香が起きていないならここにいてもしょうがない」

「また明日顔見せにくる、じゃ~な」

「また来てくださいネェ」

「うんじゃな、翠」

 寝ている春香とその妹に挨拶をすると用事がなくなった病院を後にした。

 帰りがけに新しい参考書を常盤書店で買うために三戸駅で降りていた。

 その場所に行くには昨日事故があった場所を通らなくちゃならなかった。なんだか嫌だな。そんな思いにふけているとその場所に辿り着いていた。

 どうしてか昨日お世話になった刑事がそこに居た。

 俺は昨日のお礼が言いたかった、だから刑事さんの所へ駆け寄って声を掛けていた。

「刑事さん、昨日はマジで有難うございます」

「おぅ、おお、昨日の坊主じゃネェか?嬢ちゃんは無事だったかい?」

「俺の事覚えていてくれたんですね・・・、春香の奴、余りたいした怪我してなかったみただったぜ」

「これでモノの覚えはいい方でよ・・・。ソッカ、そっか、あれだけの事故で大した事無かったならそりゃぁ~~~よかったな、坊主」

「俺には柏木宏之ってちゃんとした名前があるんだからその坊主ってのやめてくれよ刑事さん」

「だったらおめぇさんも刑事さんってのはよせよ、わしは永蔵源造だ」

「永蔵さんで良いのか?」

「宏之って言ったなぁ、すきに呼べば良いさ、敬称なんぞも別に気にせんで良いぞ」

「そうっすか」

 その後、永蔵刑事に何でここに居たのか聞いてみたけど〝おしえられねぇ〟とはっきり言われた。

 それと〝余計なことには首を突っ込むなよ〟とも忠告された。

 俺は面倒ごとが嫌いだ、そんなことに首を突っ込むはずが無い。だが、今朝の新聞記事の異様さが気になって彼にその事を尋ねていた。すると永蔵刑事はハッキリとした声で要求を拒否してきた。

「本当はデカのわしがこんな事をいちゃぁ~~~いけねぇんだけどよ。世の中にゃ、明るみに出来ネェ事故や事件何ってものが腐るほどあるんだ」

「そうっすか」

「だから宏之の嬢ちゃんが無事なら変なこと首突っ込むなよ、わかったな」

「永蔵のおっさん忠告ありがとよ」

 その刑事はそんな言葉を口にしているがこれから先、そんなことなど気にしていられない状況になってしまう。


2001年8月28日、火曜日

 今日、たった二日目にして自分の心の弱さを俺は知る。

 昨日より一時間くらい早めに家を出て春香の所に向かっていた。

 移動中思う事はヤッパリ春香の事だった。

 一瞬だけ貴斗が病院に居た時にしていた表情が思い浮かんだ。

 すごく辛そうな表情をしていた。だがそんな事を直ぐに忘れて春香の事を考えていた。

 やがて長い道のりを経てやっとの事で春香の居る病院へと到着していた。

 体の動きを止める事なくそのまま春香の病室へと向かう。

 今日も昨日と似たような言葉を作り春香の病室へと入って行った。しかし、今日は誰からの返事も無い・・・・・・。

「若しかして春香、オマエまだ目、覚ましていないのか?なんだぁ、若しかして春香、一昨日、俺が遅刻した事ですねてんのかぁ?」

 春香と俺以外いないこの空間に人が聞き取れるぐらいの大きさの声でそんな事を彼女に語りかけていた。しかし、春香は何の反応も示してくれなかった。

 不意にある種の感覚に俺はとらわれる。

 春香が事故っちまったのは誰の所為だ?

 大した怪我しちゃいないが彼女を入院させる原因を作った奴は誰だ?

 春香が目覚めない、こんな状態にした奴って誰だ?・・・、判りきっている答えだ。

 俺だよ、俺、柏木宏之って言う俺だ!俺が遅刻しなけりゃ春香はこんな目に遭わずに済んだ。

 あの時遅刻した事にすごく後悔し始めた。

 自分が潰れそうなくらいにある種の感覚に支配され始めた。・・・、それは罪悪感。・・・・・、それと後悔。

「春香、俺をこんな気持ちにさせんなよ、だから早く目を覚まして俺にオマエ無事だって事を教えてくれよ。頼むよ、は・る・かぁーーーーーーー」

 いつしか声を張り上げて恋人、春香の名前を叫んでいた。

 俺のその言葉は何の意味も成さずその場に霧散して行くだけだった。

 その後、暫く春香の前に座り彼女の手を握っていた。

 春香の手から彼女の温もりを感じる。

 彼女が寝息を立てる度に春香の可愛らしく形の良い胸が上下する。

 春香が生きている事が判るのに彼女は目を覚まさない。

 ある事故とかで助かっても何日か患者の目がさめないって事は良くあるらしい。

 それが他人事なら、いざ知らず自分の身内、しかも俺の彼女、平気でいられるはずが無い。しかもその原因を作ったのが俺であるならば尚更だ。心の中で心配と不安がひしめき合う。それが耐え難い悲しみと言う苦痛が俺の精神を蝕む。

「春香、頼むよ目を覚ませよ」

 今度は静かな声で彼女に向かってそう言っていた。


*   *   *


 どれだけの時間、春香の手を握っていたのだろうか?

 彼女の妹、翠が現れた事によりそれは中断させられる。

「柏木さん、今日もオネェちゃんのお見舞いに来てくれたんですネェ」

「あっ、あぁ」

「あれぇ~、なんだか覇気が無いですよぉ?」

 彼女が口にしたとおり、今の俺に元気なんて無かった。

 春香の眠り続ける姿を見て元気でいられるはずがなかった。・・・、何となく彼女、翠と一緒にいるのが辛く感じたから俺はここから消えることにした。

「俺、結構ここにいたからもうかえるわ、じゃぁな、翠またくるぜ」

「えぇぇ~~~っ、もうかえっちゃうんですかぁ~?」

「ああ、勉強しないと・・・、それにここでじっとしているのは辛いからな・・・」と最後の方の言葉は呟くように答えを返していた。

 それだけ言い残すと彼女の返事も聞かず、即行で病室を出てきてしまった。

 病院を出た後は何も考えたくなかった。

 いや違うんだ、考えてしまうと余計に駄目になっちまうのが判っていたから何も考えないようにしたんだ。どこをどう辿って来たのか分からなかったが自分の住む場所へと戻っていた。そして、そのまま倒れるようにリヴィングに寝っ転がって眠ってしまった。


2001年8月29日、水曜日

 昨日、床にぶっ倒れてそのまま今日の昼過ぎくらいまで眠っていたようだった。

 起きた後、遅くなった朝食を兼ねた昼食を食っていた。

 カップラーメンとインスタント焼きそば。

 自慢じゃないけど俺は料理が出来ない。なぜなら包丁使うの得意じゃない。・・・、でも、本当は火を見るのが怖いからなんだ。どうし、てそれに恐怖するのか分からないんだけど。だから俺の所の台所は都市ガスじゃなくて電気式の奴になっている。しかも特殊な奴でよくあるトグロが真っ赤になるもんじゃない。HIとかの先駆けになった技術の奴。

 両親が海外出張に出て行く前にそれに変えてくれた。そんなのが取り付けてあるんだけど、それの用途は湯沸しくらい。ああ、そういえば出来るとすればご飯を炊くことくらい。

 春香がいなかったころは専らコンビニやスーパーで買う出来合いのおかずと自分で炊いたご飯でめしを食っていた。

 面倒臭い時は今のようにカップ麺だ。

 朝食兼昼食をとり終えると身支度を整え今日も春香の所へと向かった。

 春香のいる場所へと辿り着き彼女に会うことはできた。だけど、彼女は今日も眠ったまま。

 今、俺以外にここには翠がいた。

 彼女に話しかける事なくジッと春香の手を握りながら春香のことだけを見詰めていた。そして、今日も昨日と同じ感覚に支配されていた。

〈なぁ、春香、早く目を覚ましてくれよ。俺お前がいないと駄目なんだよ。俺にはお前が必要なんだ、だから目を覚ましてくれ〉

 彼女に届くはず無い俺の想いを胸の中で叫んでいた。

 知らない内にまた時間だけが過ぎていく。

 この場にいる意味を感じなくなった俺はこの場所から出ようとした。

 その際、窓際にいた翠が俺の名前を呼んでいたが振り向きもせずそのまま出てきてしまった。

〈ハァー、今日も春香の奴は目覚めなかった。一体いつまでこんな日々が続くんだ?俺はそれに耐えられるのか?〉

 心の内でそう自分に言ってみるがその答えを出す気力など俺にはなかった。

 この日の後も毎日のようにいつ目覚めるか分からない春香の所へ、自分の精神を擦り減らすかのように見舞いに行っていた。

 更に人との接触を絶とうともしていた。

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