精霊マリンの加護を賜りし、飛沫屋(しぶきや)カンデ

十夜永ソフィア零

第1話

 職人気質クラフトシップが根付いた地として知られる、リヒタイン侯国。


 侯国の先人たちは、世の法則に干渉し事象を改変する力を発揮できる精霊の加護を合わせて精緻な工芸品を生み出す協技きょうぎを体系化した。今は精霊工芸職人と呼ばれるようになった彼らは朝早くから協技きょうぎに勤しみ幾多の工芸品を生み出している。一品物が多いそれら工芸品は、西方の魔法先進国からの魔石や東方の太極国から勾玉などと共に諸国で盛んに交易されており、候国の収益源となっている。

 候国南西のアルピーヌ山脈から流れる川と近隣の湖から通じる地下水脈が交わる要衝の都市ルチェネには、実用工芸品を生み出す職人を養成することを旨としたリヒタイン侯国立精霊工芸院ルチェネ校が設立されている。漆喰しっくい煉瓦れんが造りの家々や通りの石畳から、街の要所に設けられた石壁に至るルチェネの街並みは、精霊工芸職人たちの協技きょうぎが生み出したものである。特に、精霊工芸職人たちが力量を競い合うように美麗な造形を施した噴水は、随所で都市ルチェネの街並みに華を与えている。

 

 ☆

 

 精霊工芸院ルチェネ校の演習庭に、朝早く、一人の男が佇む。大精霊マリンの加護を賜る、飛沫屋しぶきやのカンデ・ラディールである。リヒタイン侯国での飛沫屋しぶきやの仕事は水の加護ある精霊であるマリンの力を引き出し、さまざまな造形物に水や潮や泡などの飛沫をまとわせることにある。

 

 今日の仕事は、後輩にあたる精霊工芸院の学生たちが創り出す噴水の造形に、水の飛沫を与えること。

 カンデは、演習庭のはずれにお手本として設置されている油絵を眺めていた。とある貴族様のお屋敷の渡り廊下に設置されている、造成美あふれる小さな噴水の絵なのだという。油の加護ある精霊の力により、絵には噴水が置かれた空間そのものが切り取られている。その加護のもと、カンデは上下左右から噴水の造形に視線を巡らしていた。

 

 そのカンデに、背の方から声がかかる。

 「イメトレかい? マスター。」

 「マスターって……。僕は噴水が組み上がった後の最後のひと押しをするだけさ。」 

 確かにカンデは、噴水から飛び出す飛沫をイメージはしていた。さておき、精霊工芸の街ルチェネでは、マスターとは、一般に精霊職人たちをまとめ上げる親方のことを意味している。基本的に単独労ソロワークである飛沫屋の自分には縁遠い言葉、と、カンデは思う。

 

 「今日のお題は、噴水なんだろ。せっかく学生たちが頑張って作った噴水造形は、きれいに水が噴き飛沫って仕上げなんだから、水のパーティクルたちに加護を与える、まとめ役をするカンデは、マスターだよ。」

 「それを言うなら、風のパーティクルを操るフラージアだって、マスターということになるだろ。」

 「メーヴァやリーファを作るような課題が与えられることがあるのなら、そうなるかもね。」

 

 フラージアはルチェネの南の森にいるらしい。風の加護ある精霊アジーリカを賜っている彼女は、へだたったところからの声のやり取りをすることができる。加えて、お互いが今いる場の臨場感も風の加護の仲立ちにより、ある程度共有することができる。

 そして、フラージアが賜る風の加護の真骨頂は、万物を重力のくびきから解き放つことにある。人々を空に運ぶメーヴァやリーファを浮遊させることなど、風の加護の活用範囲は広い。

 

 南の森にある大岩に立つ今の彼女は、、風の加護を受け、周りに多数の楔石チタナイトを浮かべている。

 「フラージアは、これから精霊彫刻かい。」

 「そうだね。今まで、楔石チタナイトをうまく操れるよう、アジーリカと交感していたところよ。」

 

 楔石チタナイトが動き出し、カツーン、カツーン、と、大岩を打ち始める音が聞こえてきた。精霊彫刻家を目指す彼女は、今日の作品造りは森の中で挑むらしい。彼女の取り組みもまた単独労ソロワークだ。


 指導にあたる先生が学生たちを引き連れ、挨拶をしながら演習庭に入ってきた。フラージアとの声のやり取りを終え、かつての恩師でもある先生に挨拶を返す。

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