破滅のミルコ

1

 赤い髪に大きな眼鏡をかけた背の低い女が、ギルドホールに入ってくると、ハンターたちの動きが一瞬止まった。

 一瞬の静寂の後、さざなみのように囁きが広がった。

 女は眼鏡をす、っと上げた。

 周囲の囁きと目線を集めている自覚はある。

 仕方のないことだ、と思う。

「ミルコさん!」

 突如投げつけられた大声に首をすくめる。

「もう大丈夫なんですか?」

「エヴァリス…」

 ミルコはため息をついた。

「こちらのテーブル空いてますよ」

 気にせず声をかけてきた女性は、黒い髪を愛らしく数本の三つ編みにし、首からシンプルな聖印を下げている。

「あの…あのね、エヴァリス」

 声が大きいよ、とひとりごちて、エヴァリスのテーブルに座る。

「先輩はもう充分目立ってるので、どうということはないのです」

 事実だが身も蓋もない一言を投げると、「ウェイター!エールをもう一杯」と叫んだ。

「おごりです」ニコニコしながらエヴァリスは言った。「無事に帰られたこと、エヴァリスはとても嬉しく思っていますのよ。先輩」

「いっ…いいよ…」ミルコは首を振ったが、構わず目の前にエールが運ばれてくる。

 隣のテーブルのハンターたちがこちらを見て、ひそひそと何かを話している。

「三回目じゃなあ…」という声が聞こえた気がする。

「ミルコ先輩」エヴァリスは力強い声で言った。「先輩のパーティーがあんなことになったのは先輩のせいではないです。司祭様もそうおっしゃってました。むしろ、三回も「特異点シンギュラ・ポイント」に出会って帰ってきたなんて、すごいことなんですよ」

「そうかもしれないけどね、エヴァリス」ミルコはエールを啜った。「周りはそうは思ってくれないのだよ…」

 ミルコはいつも身をすくめているので、低い背がなおさら低く見える。見方によっては幼くも見えるが、ミルコがその身にそぐわない物騒なあだ名で呼ばれているのは、ギルドならば知らない者はいない、のだ。

 サンデルの疫病神、とか。

 破滅のミルコ、とか。

「気にしちゃダメですよ」エヴァリスはミルコの手を握った。ミルコは顔を顰める。この馬鹿でかい聖女はやたらめったら力が強いのだ。

「先輩、もし困ってたら私たちのパーティーに来ませんか」

「えっ?」ミルコは慌てて手を振った。「な、なんで?」

「同門じゃないですかあ」聖印を掲げて右手で印を切る。同じ聖印はミルコの胸にもかかっている。カザリス正教会。ジギタニアの国教にして世界最大の宗教であり、数十万の聖騎士と治療士を世界中に派遣している。この迷宮にもまた、例外ではないのだ。

 とはいえミルコが所属していたのはサンデル山地の山奥の村で、父を13歳で亡くしたミルコが5年間世話になったのは、それ以外に生きる方法がなかったからで敬虔な信仰心があったわけではない。技術を学んで迷宮に出稼ぎに行くのに、サンデルの孤児としては修道院で治療術を学ぶ以外の選択肢がなかっただけだ。エヴァリスのように王都で学んだ聖騎士ではない。にもかかわらず、たまたまギルドで最初に会ったカザリス教徒であるというだけで、この大柄な聖女は明らかに格下の田舎の治療士を、先輩と呼んで崇め奉っている。

 それがミルコには心苦しい。

 ただでさえ純粋な子犬のような眼差しで、教義や冒険のことについてあれこれ尋ねてくるエヴァリスのことが、苦手とは言わないがやや敬遠気味のミルコなのだ。

 ましてや敬虔な正教徒のみで構成されたエヴァリスのパーティーに入るなど、考えられない。

 それに。

「大丈夫ですよう」エヴァリスはニコニコと笑った。

「私たちは全滅しません」

 ミルコは頭を抱えた。

「神が守ってくださいますわ」

 そういう問題じゃないんだけどなあ、とミルコは思うが、エールをすすりつつ何も言わずこの聖女の尊敬の眼差しをやり過ごすことにした。

「もう、そうやって…私は真剣にお誘いしてるんですのよ」

「いや…あのね、エヴァリス」ミルコは慌てて言った。

「私もう実は次が」

 言いかけた途端、隣のテーブルからジョッキが飛んできた。

 頭をすくめて避けると、陶のジョッキは壁にぶつかって鈍い音を立てて割れた。

 エヴァリスが慌てて盾を構える。

「それが客に対する態度か!」

 どうやら酔客がウェイトレスに絡んだらしい。

「だからできないものはできないと申し上げているのです!」

「俺たちは仲間を亡くして気が滅入っているんだ」男は喚いた。「十三階層を超える危険な探査任務だ。でかい晶石も持ち帰った。いわばお国に貢献しているんだ」

 ウェイトレスの腕を掴んでねじ上げる。

「それをぬくぬくと地上にいるだけの貴様ら女郎崩れが、酌の一つもせぬとはどういう了見だ」

 ああ、とため息をつく。いるんだ。まだこういうの。

 自分たちが特別な任務についていると勘違いしている連中が。

 立ち上がろうとするエヴァリスを手で制し、ミルコは顔に微笑を張り付けて立ち上がった。

「あの…どうされましたか」

 隣のテーブルに近寄る。

 男はウェイトレスの手をはなし、こちらを向いた。

「なんだテメェは?」

「サンデルの修道士でミルラ・コイと申します。迷宮資格はBの12」

「なんだ格下が」男は吐き捨てるように言った。「俺は Bの7だ。十三階層の踏破を許されている」

 それはさっき聞いた。

「ここはギルドホールです。食事とささやかなお酒を楽しむ場所」ミルコは静かに言った。「女性にお酌をさせたいのならば、それなりの対価をお支払いになって、相応の場所でされるのがよろしいでしょう。そういったお店は外にもあるのですから」

「はぁ?」

 それまで黙って向かいに居た男が口を挟んだ。

「貴様なんの説教だ、治療士が」

「お金をお持ちではないのですか?魔法晶石をお持ち帰りになったと聞きました。それなりのお金をお出しになればお楽しみいただける場所もございましょう。こちらの女性にそれをお求めになるのは筋が違うと思いますが」

「うるせえ!テメェどこのパーティーだ」

 ミルコは首を振った。「パーティーはございません。残念ですが」

「はぁ?貴様、自由契約か?」

「いいえ、私が所属していた隊は全滅しました」ミルコは首を振った。

「悲しいのはあなたたちだけではないのですよ」

「はぁ?そうか、貴様、思い出した。『破滅のミルコ』だな」男の相方がニヤニヤ笑った。

「おうおう、所属する隊所属する隊が全部全滅する、サンデルの疫病神か」

「自分の隊を全滅させた奴が、偉そうに俺たちに意見するのか」

 ため息をつく。

「…さいな」

「はぁ?!」

「うるさいなもう」ミルコは低い声で言った。

「イライラしてるのが自分たちだけだとも?私も頭に来てるんですよ」

 エヴァリスが目を丸くする。

「ちょ、先輩…」

 ミルコの右手が印を結んでいる。

「どうしてもと言うなら」ミルコは唇を結んで、印を結んだ手を挙げた。

 その時、背後のテーブルから何かが飛んだ。

 灰色の塊のようなそれが、正確に男の顔面に衝突した。

 倒れた男を踏みつける。

「人?!」

 灰色の塊だと思ったものは人だった。

 かなり背が低い。一般的に背が低いと言われるミルコよりも、一回り小さい人影だ。

 ぶつかられた男の3分の2ほどの背丈しかない。

 しかし当たられた男はというと、だらしなくホールの床にのびてしまっている。

 その男の顔面を踏みつけて、小さな男はニヤリと笑った。

 灰色のローブに軽装の革鎧、銀色の髪。

 そして左の眼だけが、赤い。

赫眼シャフツ山窩ハロス…?」

「そ」銀髪のハロスは笑った。「よく知ってるじゃん」

「あーテメェ何してくれやがん」

 呆気に取られていたもう一人が我に帰り、怒り狂って掴みかかろうとしたが、

「だ」

 前のめりに倒れる。

 後ろに黒い男が立っていた。

 髪も黒い。マントも黒い。マントの端から見える鎧も黒い。

 そして黒い刀。

「東国…?」

 反り身のその刀は、明らかにジギタニアのものではない。

 黒く束ねた髪のその男は顎髭を撫でて、

「つまらんな」

 と一言言った。

「安心しろ、斬ってない。刀が腐るからな」

 こちらの目は吸い込まれるように黒い。

 優男だ。整った顔は女性のようだが、額に大きな傷があって、禍々しさを醸し出している。

「あんたがミルコ?」

 銀髪が言った。

「はい」

「ああ、そうだと思った。なんとなく」銀髪は足で酔漢の腹を蹴った。

「聞いてると思うけど、俺がハック。で、」黒い男を指さす。

「こっちがスラッシュ」

「はい、聞いています…」

「そ。じゃ、話はわかってるな」

 銀髪−ハックは右手を差し出した。

「よろしくな、リーダー」

「り、リーダー?!」呆然と成り行きを見ていたエヴァリスが叫んだ。「先輩?!」

「俺とハックは今日からこの人のパーティーに入る、ってことだ」黒い男ーースラッシュが言った。

「よろしくな、疫病神さん」ハックが赤い左目をつぶった。




 

 

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