第6話 暗鬱
ふたりきり。
ルエナはサラだけを連れ、他に従者を伴わずに自室への長い廊下を戻っていく。
公爵家と侯爵家。
爵位が一つ違うというだけで、主人と従者という関係になってしまう。
だがルエナはサラが他の公爵家の血族であるということも、身分差という目に見えない段差も、そして知り合うには時間が浅いこともすべて取り払っても、彼女と『親友』と言える間柄になりたいと願っていた。
それなのに──
先ほどは降りた階段を上がって兄や父の部屋がある北棟とは別の東棟への廊下へと角を曲がると、すぐ手前の部屋に父の執事のひとりであるクロヴィスが侍女と共に立っていたが、ルエナの姿が見えた時に軽く頭を下げつつ、その部屋の扉の前から少し離れた。
その行動の意味するところを理解してぐっと唇を噛んだが、ルエナは二度深く呼吸をしてから、その侍女に扉を開けるようにと命じる。
「失礼いたします」
「控えていて」
「畏まりました」
素早く扉を開けてまた視線を床に落とす侍女に命じると、サラとクロヴィスと共にその部屋に入った。
ルエナの応接室と隣接する控室よりやや広めの部屋で、調度品も普通の使用人たちに使わせている物よりも上質なのはわかる。
すでにサラの私物はすべて運び込まれており、狭いながらも専用の浴室が付いているのは、以前の部屋と変わらないから使い勝手に困ることはないはずだ。
「……ここは」
「こちらの廊下を預かる侍女頭の部屋でございます」
サラではなく、クロヴィスがルエナの言葉に応える。
「そう」
ならば不便はないだろう──が、ルエナは納得がいかなかった。
男性の部屋がある階には従僕頭が、女性のいる階には侍女頭が専属でおり、その階にある部屋を整える女中や滞在客に対応する侍女たちを監督するのだが、その地位は専属侍女よりも下である。
「この階の侍女頭は別の部屋に移っております。サラ様のお部屋は変わりましたが、以前と変わらずお嬢様の専属侍女としてお仕えいたします」
「……シーナ様をこちらに迎えるわけにはいかなかったの?」
「恐れながら、旦那様のご判断で『ご令嬢をこちらの使用人部屋へ住まわせることはならない』とのことでございます。また王太子殿下より『お嬢様とご令嬢は、より良くご関係を築いていただきたい』とのご下命でございます」
「……そ、う………」
こんなところにまで婚約者は『王族』という身分を振りかざしてルエナを思い通りにしようとするのかと、暗鬱な気持ちになった。
サラもまた顔には出さなかったが、自分の扱いが蔑ろにされたことに怒りを覚えていた。
確かに公爵令嬢であるルエナと侯爵家の娘である自分では、客人でもない限り同等の扱いになるわけはないとはわかっている。
だからこそ、たかが子爵令嬢に『お嬢様の隣の部屋を与えられた』という上級使用人の中でも最上級に値する待遇を奪われたことが悔しい。
サラがこうしてこのディーファン公爵家の一人娘の専属侍女になっているのは、本家筋のティアム家から呼び出され、二年間の年季奉公に行けと言われたせいだ。
何代も前にティアム公爵家から兄弟が分家したというビュッカム侯爵家には今は三姉妹しかおらず、しかも次女に生まれた以上、侯爵以上の令息に結婚相手に選んでもらうためにはある程度の箔を付けなければならないが、できれば王宮の上級侍女に推薦されたかった。
なのに勤める先が、異国から輿入れした王女を迎えるための即興貴族なんて──
ディーファン公爵家は王族の兄弟が臣下降籍して立ち上がった家ではなく、三代前の王妃の弟が未婚だったため、『王族の
薄くとも正式に王家の血が数滴は入っているビュッカム侯爵家と、王家へ嫁入りしたという事実だけで本来は名乗れないはずだった『公爵』になった狡猾な家系。
(もしその当時の王陛下が我がビュッカム家の娘に目を止めていただいていれば……)
自分のために「侍女頭の部屋に子爵令嬢を入れては?」と進言してくれるルエナのプラチナブロンドの髪を留めている髪留めを見ながら、それでもやはりこの数歩の距離が永遠に縮まらないものであることを恨む。
王太子の好みがルエナの容貌すべてであるならば、輝いてはいるがどこにでもいるような栗色の髪とダークブラウンの瞳を持つサラはどう足掻いても敵いはしない。
しかしその兄であるアルベールならば?
十八歳の自分と同い年であるのに、ディーファン公爵家後継者であるアルベールにはまだ婚約者がいない。
彼の目に留まれば、未来の公爵夫人、ルエナの義姉、自分へ奉公を命じたティアム家への意趣返しにもなる。
そう言う意味ではサラには使用人に対する以上の接触をまったくしてこないことに焦りはあるが、奉公期間である二年間が終わるまではまだ間があることに賭けるしかない。
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