君津殺人事件

鷹山トシキ

第1話 ダリア学園

 1978年8月15日、千葉県君津市の『ダリア学園』で、当時29歳の女性教師、鈴木渚すずきなぎさが当直当番であるにも関わらず何ら連絡もないままに出勤しなかった。それまで渚は無断で学校を休んだことなどなかったため、不審に思った校長の大方ちとせは渚の実家に電話したが、両親も渚の所在を知らず捜索願を出した。渚が最後に目撃されたのは前日の14日のことであり、渚の最後の目撃者は学園で警備主事をしていた竹内洋たけうちひろしだった。


 警察も事件として捜査していたものの渚を発見できずにいた。また渚の失踪から10年後の1987年航空機爆破事件において、戦国時代の工作員・土屋あずさの現代語教師の木下未来きのしたみらいが渚と似ていると特定失踪者問題調査会から指摘を受け、渚の家族は明智氏に拉致された人々を救出するための全国協議会に参加した。


 事件から26年後の2004年8月21日、元警備主事の竹内が君津警察署に自首し、渚の殺害を自供した。なお、竹内の自首の動機は良心の呵責ではなく、遺体を隠匿していた元の自宅が道路拡張のための土地区画整理の対象となり、立ち退きを余儀なくされ、死体が発見されることは避けられないと思っての告白であった。


 竹内の元自宅を捜索したところ、一階和室の床下約1.1メートルから防水シートにくるまれた一部白骨化した遺体や渚の所持品が竹内の供述の通り発見され、DNA鑑定の結果遺体は渚のものであることが確認された。これにより、渚は竹内によって殺害され、公訴時効まで隠されていたことが明らかとなった。なお、竹内は事実の発覚を防ぐため、自宅の周囲にブロック塀や有刺鉄線を張り巡らせ、アルミ製の目隠し等で囲んで外部から遮蔽したり、サーチライトや赤外線防犯カメラを設置するなどしていた。


 犯行の詳細については、竹内の一方的な証言しかないが、それによれば、校内で肩がぶつかったことから口論となり、騒がれたので逆上して校内で殺害したということである。遺族は被害者について「人と争うことのない穏やかな人だった」として、この供述の信憑性を否定しており、真相は不明である。殺人罪の公訴時効(当時は15年)が成立していたため、竹内を殺人罪で起訴することができなかった。

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