お兄ちゃんのハル。あるいは死海に咲いた花。
こんかぜ
前編:イルミネーションの冬
特にこれといった理由はなかったけれど、このまま家で年末のお笑い番組を流し見しながらゴロゴロするよりかは外出した方が幾分かマシだった。
ただ、俺とて夜の街に繰り出したところでホワイトクリスマスを一緒に楽しむ友達がいるわけでもないし、ましてや恋人なんて頭の片隅にもない。
「……いくか」
だから、あくまで今回のぶらり旅の目的は最寄りの書店に寄ること。そして今月新刊が出たラノベを買って家に直帰する。
完膚なきまでに陰キャのクリスマスだけれど、別にクリスマスの日にラノベを買っちゃいけないルールがあるわけでもない。
無事に今日のヲタ活を終えた暁には、自分の推したちと共に甘々でラブラブな聖なる夜を過ごすんだ……!
そんな不純物を胸に、リビングの暖房が届かず極寒の地と化している廊下を歩き、ショルダーバッグと厚めのコートを羽織る。
この身なりは、自分の数少ない友達から「おまえその私服地味すぎね?」と失礼極まりない言葉を投げつけられたファッションだけれども。
「別に、だれか見てるわけでもないし」
そう、いくら自分の私服が絶望するレベルでダサかったとしても、街中で友達にこっそり撮られて「こいつの私服ダサすぎるだろwwww」と拡散される心配はない。
「――お兄ちゃんっ、どこ行くの?」
「ああ、
そんな俺の耳に、よく馴染んだ甘ったるい声が届く。
振り返ると、廊下の向こうからたたたっと走ってきた我が妹……
「せっかくのクリスマスを棒に振るのも嫌なんで、これからお兄ちゃんは外界へ赴いてみようと思う」
「珍しいね、お兄ちゃんが自分から外出しようとするなんて」
「失礼だな、俺だってヲタ活と食料品の買い出しをする時くらいは重い腰を上げるさ」
「そっか〜……ということは今からヲタ活するってこと?」
「まあ、そういうことになるな」
「私もついてっていい?」
と、高校1年生が持つ全力の無邪気さを詰め込んで、妹は俺の袖を引っ張る。
「別に構わないけど……お前ラノベとか興味ないだろ?」
すると、妹は急にムッとした表情になる。
「なっ、私だってライトノベルくらい読むよ! 最近だと、ほらアレ……なんちゃら物語とか読んだし!」
「ラノベか否か非常に微妙な所を突いてきたな……」
そもそもあの作品を「なんちゃら物語」とか言ってる時点でぶっちゃけ連れていきたくないんだけど。
でも、ここでそんなことを言ったが最後、コイツお得意の駄々っ子が炸裂して余計面倒くさい目に遭うだろう。
「……はぁ、早く支度してこい」
ぱあっと輝く妹の顔。
「ありがとうお兄ちゃん!」
そう言うなり、彼女はもと来た道を引き返して、久々の兄妹水入らずデート(?)に向けた準備を始める。
「ねぇねぇ、冬場は何の服が似合うかな?」
廊下の向こうからそんな声が聞こえてきた。
だからといって、年中同じような服を着ている俺が、その質問に答えられるはずもなく。
「ファッションを引きこもりヲタクに聞くんじゃあない」
「あっ、この白いコートかわいい!」
俺はため息をつくと、まだまだ年相応にはしゃいでいる妹の姿を思い浮かべて、ほんの少し微笑を浮かべるのだった。
◆
特にこれといった理由はなかったけれど、このまま妹と腕を組んで仲睦まじく夜の街を歩き回るよりかはとっとと逃げ出した方がマシだった。
だってこれ……傍から見たらただのカップルじゃん。
妹と腕を組んで歩くのが許されるのはてっきりラノベの中だけのお話だと思っていたが……事実は小説よりも奇なりとはこのことだ。
「わぁ……見てお兄ちゃん、イルミネーションだよ!」
「おぉ……これは」
妹の言葉にあたりを見回すと、赤や緑や黄色などの電飾があちこちに掛けられ、それはそれは見事な夢幻世界が広がっていた。
普段はただの商店街なのに、イルミネーションを飾り付けただけでこうも印象が変わるとは……。
「ね、写真撮ろうよ」
ぐいぐいと袖を引っ張りながら、結衣が提案する。
「写真か……自分が映るのは何年ぶりだろうな」
「そんな悲しいこと言わないでよ、今日は私がお兄ちゃんの専属カメラマンになってあげるから!」
そう言って、スマホを持ったままくるりと回り、決めポーズ。
被写体よりもカメラマンの方が映えるってどういうことなの。
「はーい、撮るよー!」
「って、お前は映らなくていいのかよ?」
「えっ?」
「ほら、こうすれば入るだろ」
妹の肩を引っ張ってこちらに引き寄せ、無理やり内カメの範囲内に収めようとする。
俺にしては珍しく能動的に動いたな……。まあ、こうやって妹と一緒にクリスマスを過ごせるのも今回で最後かもしれないし、思い出作りくらいは協力してやらんでもない。
「お、お兄ちゃん」
ふと、目線の下の方から声がする。
「ん、なんだ」
「……ありがと」
「別に礼なんていらん」
若干の照れ隠しも入っていたのか分からないが、妙に気まずくなった俺はそのままの勢いでシャッターを押す。
「えっ、ちょ、こんなタイミングで撮らないでよぅ……私が変な顔で撮られてたらどうするの?」
「心配すんな、ほら、ちゃんと撮れてるだろ」
「あっ、ほんとだ」
妹にスマホを返してやり、ひとまず思い出作りのテンプレイベントをこなした俺は伸びをする。
「――ふふっ、お兄ちゃん、ちょっと顔赤いよ?」
「は?」
「ほら、この写真のお兄ちゃん」
「おいやめろ」
「表面上はぶっきらぼうな態度取っちゃって、実は照れ屋さんなんだね~」
「……もういい、帰る」
「あっ、ちょっとお兄ちゃん!? 待ってよーっ!」
なんだか無性に腹が立ってきたので、妹を置いて先に帰ろうと踵を返す。
後ろから慌てた妹の声がする。
それは、まだぜんぜん幼さを捨てきれていない、まるっきり子供の声で。
「……もうちょっとで高校2年生なんだけどなぁ」
果たしてこの無邪気さで進級したら一体どうなるのか……それは流石の俺でも推し量ることは不可能だった。
◆
この後、無事に新刊のラノベを購入し、妹が昔から欲しがっていた時計をクリスマスプレゼントとして買ってやり、とくに何の支障もなくぶらり旅は終了した。
今はリビングでちょっとしたクリスマスパーティを開いている。といってもそこら辺の一般家庭と比べるとどうしても見劣りしてしまうが。
「ほらお兄ちゃん、サラダも食べて」
「あっ、ちょ」
問答無用で皿を奪い、自分がつくった新鮮な野菜サラダをこんもりと俺のプレートに盛ると、ニッコリとした笑顔で返した。
「いっぱい食べてね」
俺は顔を引きつらせ、眼前に鎮座する緑のかたまりを凝視した。
「この量……メインディッシュにありつく前に腹がいっぱいになりそうなんだけど」
「大丈夫、サラダはいくら食べても太らないから」
「理由になってねぇ!」
「もーっ、そんなに文句ばっか言ってるとチキンあげないよー?」
「くっ……」
いかにも美味しそうな照り焼きチキンをかかげ、悪戯っぽく笑ってみせる我が妹。いったいいつから小悪魔系にキャラ変したのか。
いや、というかそもそもコイツはもとから小悪魔を超えた単なる悪魔だったから、今さらって感じもするけど。
「……まいりました」
「よろしい」
妹は大仰に頷くと、手に持った手羽をプレートに乗せた。
甘辛いタレとジューシーな香りがこちらの鼻腔をイヤというほど刺激する。
「やっぱりクリスマスはこのチキンだよなぁ」
さすがに我慢できなくなったので、半ば引き寄せられるようにぷりっとした肉へかぶりついた。
――と、妹はそんな俺の姿を見て、妙に優しい表情をたたえながら眺めている。
「ん、お前も食わないのか?」
「もちろん食べるよ。でも必死にお肉にかぶりつくお兄ちゃんが可愛くって、つい見ちゃうんだよ」
「か、可愛い? 俺が?」
「うん、とっても可愛い」
「…………」
『かわいい』どころか『かっこいい』すら言われたことのない人生を歩んできた俺からしたら、とても反応に困る。
褒めるにしろ、恍惚とした表情で眺めるにしろ、せめてもうちょっと別のシチュエーションでしてもらいたかった。
「……ね、お兄ちゃん」
少しの間をおいて、結衣が口を開いた。
「なんだ」
「これで、最後だね」
「何がだ?」
「私たちのクリスマス」
妹が放った意味深なセリフに、若干眉をひそめる。
「別に今年のクリスマスは終わったけどまた来年があるだろ。俺はもうその頃は大学生だけどクリスマスの時くらいは戻ってくるから」
「……うん、そうだよね、待ってる」
「お前がどうしても寂しいって言うんなら、引っ越ししないでここに残ってやらんこともないぞ」
「……ううん、その心配はいらないよ」
「そっか」
「…………」
ひたすら無言で、ひたすら笑顔で。
結衣はサラダを口に運び続けるのだった。
◆
彼女がとった行動の意味を推し量るのに、さほど時間は要さなかった。
ごはんを食べ、風呂に入り、歯を磨いた俺の耳にふと、「お兄ちゃーん、こっち来てー」という言葉が聞こえたのだ。
俺は「どうしたー?」という言葉を返し、声の聞こえた方角に向かって歩いていく。そして目的地に到着すると、おもむろに自分の部屋のドアノブをひねる。
――刹那、カーテンが舞った。
無論、夜風によるものだろう。
注目すべきはそこじゃない。
もっと、早くから気づいておけば良かったのだ。
「…………」
俺は呆然と立ち尽くす。
いや、むしろ『呆然』という感覚すらなかったに違いない。
ただひたすらに、目の前の光景を、爽やかな夜風を、感じていた。
――そこに、妹の姿はなかった。
どこにもいない。
俺の部屋どころか、この家にも。
ましてや、この世界にも。
ふと視線を横に流し、年季の入った勉強机にぽつんと置かれた写真立てを見やる。
元気いっぱいに笑う女の子の写真だ。
……そうだ、思い出した。
「…………」
――桂木 結衣はもう、死んでいた。
『なんだよ結衣、俺になにか用か?』
『さっきお兄ちゃんのベッドの下を漁ってみたら、こんなのが出てきたんだけど』
『ちょおっ⁉︎ お前なに勝手に人の私物を……!』
『まったく、私という妹がありながらどうしてお兄ちゃんはこんなえっちな本を買うのかな?』
『いいだろそれくらい! っていうか机の上に積み上げんな!』
『触れちゃダメ。これは私が没収するから』
『な……なんて邪智暴虐な妹なんだ……!』
『お兄ちゃんがこういう本に間違った知識を植え付けられないように、私が管理してあげないと』
『違うの! 間違ってるからいいの! フィクションだからこそ読者の妄想がより一層掻き立てられるの!』
『知らないよそんなの……』
……そうだよ、これなんだよ。
俺が思い描いていた展開は、こうでなくちゃダメなんだよ。
「…………」
俺は静かに深呼吸をすると、改めて電気のつけられていない薄暗い部屋を見渡した。
そこにはもちろん妹の姿なんてなく、ついでに机の上に積み上げられた秘蔵の書物もない。
でも、かすかに妹の鼓動を感じる。まだそこら辺でくつろいでいるような気がする。まだ……諦めきれていない自分がいる。
「結衣……どうして」
もう、彼女は死んでいるというのに。
「アイツが俺のもとを離れてからすでに1年以上は経っているはずなのに」
……どうして、自分は認めようとしないのだろうか。
「……この、頑固者が」
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