試作品

ひいらしりょう

前編

 日傘を差す必要があるだろうか。

 

 スズは青々と晴れ渡った空をあおいで、姉の到着を待ちながら玄関先で少しのあいだ思案した。

 ふと視線を下へと向ける。朝陽のもとでスズの影はやけに遠くまで伸びている。久々の早起きで思考に眠気の残る彼女には、妙に自分の影の、その長さが気に障った。

 

 スズの背丈は高い。高いだけでなく肩幅も広い。そのくせ彼女は気配が薄く、たとえば学校の廊下で誰かを追い越せば、きまって彼女の存在は気づかれず、どの動物もスズの影を踏んでやっと彼女のそのそびえ立つような図体に気づき、声をあげて飛び上がった。

 色々思うところはあるものの、スズにとってそれがありふれた日常だった。


――大きくて、気配もなくて、夜ふかしで、

――君は生まれる時代が違ったなら、きっとたいした狩人になっただろうな。


 スズは首を振った。嫌な記憶だ。これから大好きな姉との買い物だというのに、少しでも暗い気持ちになりたくない。

 自然と伏してしまった自分の両耳を手で揉んで立ち上がらせ、こわばった尻尾も意識して解きほぐす。

 大きく深呼吸をして、それからスズは少し微笑んだ。風上からリンの、ひだまりのような匂いがしたのだ。

 そのほうに目を向ければ、日傘を二本、両脇に抱えたリンがこちらに駆けてきていた。


 リンの背丈は低い。低いだけでなくネズミのように細い。そのくせ彼女はひどく目立った。たとえば学校の廊下を歩いていると、きまって彼女は男子に足を引っ掛けられた。誰が見てもリンは美人だったし、意中の女子にちょっかいをかけるのは動物の男子でもよくあることだった。でも彼女は獰猛だったのですぐに反撃し、敵が誰であれその顔面を破壊することに全身を余すことなく利用した。結果としてリンの叔父は学校に呼びつけられ、面接のあとに姉はよく停学になった。

 

 リンがやっと卒業して学校じゅうがホッとした日から一年。

 今日は寮に入ったきり会えていないリンとスズ姉妹が久々に遊びにゆく日だ。


「おじさん何か言ってた?」呼吸を整えてから、妹の胸先に傘のかたほうを押し付けて、リンはそう尋ねた。

「なんにも。街のみんなと集まらなきゃいけなくなったみたいで、忙しいっぽい」

 考えて答える。生来姉とウマの合わない叔父の話は、どうしても気を悪くさせる可能性があった。

「忙しいって、龍のことで?」リンはきゅっと眉根を寄せた。

「あいつがあんな夢みたいな話信じてるんだ……」

 なんだか雲行きが怪しい。

「寮はどんな感じ」スズはいっそ話を変えてしまおうとする。でも変えた先でも「そこそこだよ」とリンはそっけない。

「なんで怒ってるの」おろおろと困ったスズがそう問えば、リンは「わたし怒ってるかな」と返す。

 自分はもしかして話すのが下手くそなのかしらん。ついにスズはしょげて肩を落とした。


「おい大きな猫さん」


 バタリ!突然うしろから大きな音がしてスズは飛び上がった。振り向けばリンがニヤニヤしながら広げた日傘をくるくる回していて、やっと今までからかわれていたことにスズは気づいた。こいつ!と同じように日傘を思い切り開いてみせるが不意打ちでもないので姉にはぜんぜん効かない。

 けっきょく姉妹は日傘をお互いに向けて振り回しながら、街の中心部までの道のりを笑いながらかけっこすることになった。


 そんな他愛ないじゃれ合いも、離れ離れになり、一年かけてボンヤリし始めていた自分と姉の関係が昔からこうだったことをスズに思い出させて、その『本当にリンと遊んでいるんだ』という実感は、じんわりとスズの胸を暖かくした。


***


 ところでリンとスズは虎だ。でも虎ということばが彼女らにはすこし物々しく感じられる。周囲に恐れを振りまくような圧力があるように思える。

 だから彼女ら姉妹は自分たちを猫と称する。別にこの姉妹が変わり者の虎だからというわけではない。虎の若者たちはみんな自分の生々しい正体を避けるような、そういうふうな感覚を持ちあわせていた。

 

 ほんものの猫というものがこの街に馴染みのない存在だったからというのもある。

 猫というものは見慣れぬけれど、その容姿が自分たちと似通っていることは知られていた。

 華奢で優雅なものへの憧れ。

 身長に対して妙にでかい手足、日々自動的に鋼のよう隆々となってゆく肉体。着られる服がどんどん限られ窮屈となっていく図体へのままならなさ。

 そういった悔しさを胸の奥にしまい込んで、虎の女子はいつ終わるともしれない子供のころを生きていた。

 

 だからだろうか、空に龍を見かけたという噂が広まって以来ほかの種族に意味深な視線を向けられるのは、獣としての暴力を期待されるようで、とくべつ居心地が悪い。

 龍虎相打つ。龍をくだすのは古来より虎の役目なのだと伝えられている。

 

「そんなものはただのふるくさい迷信だよ」


 ひとおりじゃれ合ったあとに、叔父の話をぶり返したリンは語気荒く言い切った。迷信というのが龍の存在を指しているのか、はたまた『龍虎相打つ』という独特な響きを湛えた言い伝えに対するものなのか、スズはいまいち判断がつかなかったけれど、自分よりもずっと小さいのに気の強さは比べものにならない姉の断言がスズの胸に渦巻く不安な気持ちをすこしだけ和らげた。

 

 

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