4:花でつづる愛の歌
冬が終わり、少しずつ暖かい日が増えてきたある日。
ノレスティアは大きな花束を抱えて校門の前に立っていた。
17歳にしては恵まれた体格をしているノレスティアでさえも、抱えるのに一苦労するほどの大きさの花束は、沢山の赤いバラとそれを囲むように散らばっているカスミ草でできている。
放課の鐘が鳴り、やがてバラバラと生徒たちが玄関から飛び出してくる。最初は徒歩で帰っていく下級貴族たちで、馬車で帰宅する上流貴族たちはゆっくりと出てくる。
校門を飛び出していく下級貴族たちは、最初は沢山の薔薇が突然現れて驚き戸惑ったが、その薔薇の花束の隙間からノレスティアの顔がちらりと見えると安心したようにホッと息を吐きだした。
「ごきげんよう、王子様ー! その薔薇どうするのですかー?」
「さようなら、王子様ー! 花束が大きすぎてちょっと邪魔ですよー?」
すれ違いざまに声をかけてくれる学友たちに、「ああ」とか「うん」とか適当な返事をしつつ、ノレスティアは目的の人を見逃すまいと玄関口から目を離さなかった。
校門前の停車場に停まっている馬車の数もだいぶ少なくなって来たころ、ようやくノレスティアの待ち人がやってきた。
ラティエンヌである。
「ラティエンヌ!」
「わぁ。びっくりした」
目の前の薔薇の花束が声を発したかのようで、ラティエンヌは驚いてたたらを踏んだ。
ラティエンヌは半眼になりつつも良く見れば、花束の下からはすらっとした足がしっかりと地面を踏みしめているのが見えた。
同学年の色であるえんじ色のラインの入ったスラックスに、手入れがされた艶々の革靴、騎士としての訓練を受けた人特有の足の置き方には見覚えがある。
「ノレスティア様……。お昼休み後からいないと思ったら、またサボりですか」
「ちがうんだ。ラティエンヌに、これを渡したかったんだ」
呆れたようなラティエンヌの声に、薔薇の向こうから慌てたような声が聞こえてくる。ノレスティアはずいっと薔薇の花束をラティエンヌの方へと突き出すと、
「受け取ってくれ。俺の気持ちだ」
と叫んだ。
ラティエンヌは花が好きだ。庭園の散歩が趣味だし、家の庭の一角には自分用の花壇も用意してもらって庭師に教わりながら花を育てたりもしている。
「……ありがとう……ございます」
ラティエンヌはノレスティアが腕を精いっぱい伸ばして差し出しているバラの花束を、そっと受け取った。
本数が多いせいか、その花束はズシリと重かった。王子として、男子として体を鍛えているノレスティアはなんてことなく持つことができていたが、ラティエンヌが持つには少し辛かった。
「ノレスティア様は、私の好みをご存じないのですね」
花束が目の前からなくなり、改めて喜んでいるラティエンヌの顔を見ようと一歩踏み出したノレスティアは、聞こえてきたラティエンヌの声に固まってしまった。
大きすぎる花束を抱えたラティエンヌの顔は、ノレスティアからは見えなかった。
ラティエンヌは花が好きだ、という事をノレスティアは知っている。
ずっとラティエンヌばかり見てきたからだ。
特に明るい色の花が好きな事も、実は赤い花があまり好きではない事もちゃんと知っている。
昔、ラティエンヌに花束を渡そうとして咲き誇っている花を摘み、渡すころにははらはらと散りゆく間際の花束になってしまっている事があった。
花は満開に咲いた後は、散ってゆくのだとその時までノレスティアは知らなかった。王宮の庭は庭師が常に手入れをしており、いつでも見ごろの花ばかりが咲いていたので、花というのはずっと咲いているものだと思っていたのだ。
散りかけの花束を差し出されたラティエンヌは、渋い顔をしつつも「ありがとうございます」と暗い声でお礼を言いつつ受け取ってくれた。
しかし、その時もやはり「好きだ」「愛してる」と言った言葉を添えることができなかったノレスティアは、ラティエンヌが見えなくなるまで我慢した後、泣きながら王宮に帰ってきたのだった。
好きも愛してるも伝えることができないノレスティアにできることは、花を贈る事だけ。メッセージを添えることも、言い訳することもできない。
その日からずっと、ノレスティアはラティエンヌに花を贈れないでいた。
★
「だけど、アキラが赤い薔薇には愛してるって意味があるって!カスミソウには永遠の愛って意味があるって言ったから勇気を出して贈ったのに!やっぱり赤い花は嫌いみたいで喜んでもらえなかったじゃないかー!」
ラティエンヌが去った後、ノレスティアはまたもや城のはずれにある封魔の塔へと駆け込んでアキラの読書時間を邪魔していた。
アキラがはさんだしおりは、あとわずかで読み終わるというほぼ背表紙という位置から頭を出していた。
「たしかに、花を贈って愛を伝えたいって言うから、薔薇の花言葉と贈る本数に意味があるってお教えしましたけどねぇ。そういえばこの国には『花言葉』ってないんでしたねぇ。そりゃ通じませんねぇ。はっはっは」
「笑い事じゃなぁあああい! ずっと好きだって伝えるために99本も用意したけどラティエンヌが重すぎて馬車に乗るまでふらついちゃってたし! 全然気を使えないって思われた! 絶対思われたよ!」
ロッキングチェアを大袈裟に揺らしながら、アキラがワハワハと笑っている。ノレスティアはその様子をみて地団駄を踏みながら半泣きになっている。
「散りかけの花を贈ったのがダメだったのなら、ラティエンヌ様にお会いする日時から逆算して、つぼみの花を摘んだらいいじゃないですか。赤い花がお好きでないなら、明るい色の花のつぼみを」
「王宮の庭は、常に満開の花が咲いているように庭師が調整しているから、つぼみなんかないんだよ。あってもそれを手折ろうとするとバランスが悪くなると庭師から怒られるからやりたくない」
「怒られたことがあるんですね?」
プイっとそっぽを向くノレスティアの子どもっぽい動作に、苦笑いをしながらアキラはロッキングチェアをゆっくりと揺らしている。
地団駄を踏むのに疲れたノレスティアは、文机の椅子を勝手にロッキングチェアの近くまで運び、背もたれを跨ぐようにして座った。
ロッキングチェアを揺らしながら、アキラはぞりぞりと無精ひげの生えたあごを左手でなでた。
ひげは二日おきに剃ると肌の調子が良いなどといって、アキラは毎日ひげを剃らない。ノレスティアが会いに来ても、アキラは小奇麗な日と小汚い日がある。
最初は眉を顰めていたノレスティアだが、もう慣れた。
「まぁ、ノレスティア様のお気持ちはいつかちゃんと伝わりますよ」
へらりと笑いながらそういうアキラに、ノレスティアは背もたれにおでこをくっ付けると見えないようにほっぺたを膨らませて黙り込んだ。
そうやって年相応に拗ねて見せるノレスティアの姿に、アキラはまたプスプスと鼻を鳴らすように笑ったのだった。
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