第60話「妄執、果てる」
「――そやつの始末は、我がつける」
神妙にそう告げて、ナーザ様はジデルに歩み寄る。
そのさなか、彼女の魔法で束縛され、身動きができない僕に視線を向けた。
「よいな、フィリエル?」
ナーザ様から、釘を刺すようなひややかな一言。
「いえ、それだけは……!」
けど、今回ばかりは僕もやすやすと譲れない。
ジデルは僕の大事なお嬢様を傷つけ、メルベルとガーコまで……
この怒りと憎しみは、この手でジデルの息の根を止めることでしかはらせない。
堕天使としての本性をあらわした今の僕には、この胸に巣食う殺意を抑えられなかった。
「――よいな?」
でも、その僕に対してナーザ様は、刺すような声でもう一言。
その視線に、僕をいさめるような冷たさが宿る。
「……!」
同時に、僕ですら委縮する威圧感に、ぞくりと悪寒が走る。
……やはり、底が知れない方だ。
ナーザ様はおそらく、今の僕よりも強い。
その強大さの一端を覗いたことで、僕の殺意は裸足で逃げだすように、急速に収まった。
僕の中にある堕天使の邪悪な本能が、ナーザ様に屈したのだ。
「……わかりました」
頭も冷え、僕はこの体を束縛するナーザ様の魔力にあらがうことをやめた。
「すまんな」
僕の降伏を察すると、ナーザ様が纏っていた刺々しい気配が、ふっと消える。
それと同時に僕を束縛していた魔力も消え、体に自由が戻る。
そして、僕はこの場をナーザ様に譲るようにジデルから距離を置き、お嬢さまのもとへと向かった。
それを見届け、ナーザ様はジデルの間近に歩を進め、彼を見下ろす。
「ズタボロだな、ジデル。過ぎた野望を持ち、虎の尾を踏むとは……ずいぶんと、わりに合わないことをしたものよ」
「ナーザ、殿……どうして、ここへ……」
ナーザ様の接近に、それまで微動だにしなかったジデルがようやく顔を上げた、
「おぬしの考えを見抜けん我とでも思ったか。おぬしがルーネを手にかけるつもりなら、おそらくここを使うだろうと身を潜めて成り行きを見ておったのだ。もしフィリエルが間に合わなければ我が手を出すつもりだったが、その必要はなかったな」
「ほっほ……さすが、ナーザ殿……ワシごときがあなたを出し抜こうなど、いやしい思い上がりだったということですな……」
あいかわらず、息も絶え絶え……
だけど、ジデルの表情には憑き物が落ちたように、普段の穏やかな好々爺の顔が戻っていた。
その態度に、ナーザ様は忌々しげに目を細める。
「フン、我の目をかいくぐり、ケイムとディオールを殺めておいてよく言う……今回おぬしに目を光らせていたのも、その時の失態を踏まえてのことだ」
「やはり、目をつけられていましたか……」
「我も年をとったものよ。疑いは十分でも、昨日フィリエルから話を聞くまで、この腰を上げる踏んぎりがつかなかった……はっきり断定できていれば、ここまでおぬしの好きにはさせておらんよ」
「なるほど……昨日の時点で、すでに真相はあきらかになっていたということです、か……」
――そう。
昨日、シャロマさんと別れたあと、僕はとある人物に会いに行った。
それがナーザ様だったのだ。
シャロマさんの不審な態度から、すでに先手を打たれたと察した僕は、かねてより抱いていたジデルへの疑念をナーザ様に話した。
ナーザ様もまたジデルへの疑惑を持っており、それらをすり合わせることで、ジデルへの容疑がほぼ固まったのだ。
その時、ナーザ様には昨日まで掴んでいた僕の情報と、それにもとづく推測もすべて伝えてある。
「そういうわけで、年貢の納め時というやつだ、ジデル」
「ほっほ、そのようですな……」
ナーザ様に答えるジデルの態度は飄々としているけど、声はますます弱くなり、命が尽きようとしているのを如実にあらわしていた。
「最後に、ナーザ殿……いや、ナザリカ様。ワシが昔言った言葉を覚えておいでですかな……?」
それを惜しむように、ジデルは言葉を続ける。
ナーザ様との語らいを、少しでも長く続けたいかのように。
その彼に、ナーザ様は神妙にため息を吐いた。
「――“ジルグードの遺志を継ぎ、今一度魔族を率いて、人間どもに報復を”……ヤツが死んで間もないころ、おぬしは我にそう言ったな。あの時は冗談めかしたように茶を濁したが、あれは本気だったというわけだ」
「ええ、そのとおり……あの方は、あなたのお孫……その遺志を継ぐのは当然ではありませんか」
「あの時も言ったはずだ。我にその気はないし、ジルグードの行為を擁護もせん……ヤツは、我が千年かけて築いた人間との均衡を、みごと水の泡にしてくれたのだからな」
ジデルの言葉を、ナーザ様は歯牙にもかけず、ひややかに答える。
そう、ナーザ様……元魔王ナザリカ様は千年の在位期間中、一度も人間との間に大規模な戦争を起こさなかった稀代の魔王。
その彼女からすれば、次代の後継者でありながら人間に戦争を仕掛け、あまつさえ敗北して魔族の立場を悪くしたジグルード様の行いは、非常に忌々しいものだろう。
……表面的には、そう言わんばかりの態度だった。
「……それが、ほかでもないあなたのためでも、ですかな?」
「………」
けど、次のジデル様の言葉で、ナーザ様は神妙に口をつぐむ。
僕も、その発言には少々眉をひそめた。
人間に戦争を仕掛けたのが、よりによってそれをずっと避けてきたナーザ様のためとは……
「人間どもは、あなたの在位中はさもあなたの考えに共感したようにおとなしくしていましたが、あなたが魔王の座から退いた途端、我らの領土を奪うためひそかに軍備を整えていたのです……つまり、あなたを裏切っていたのだ。それをジルグード様は長きにわたる調査で知り、そして怒り、だからこそ先手を打って人間どもに戦いを挑んだのです……!」
もはや、声を出すのもやっとの重態だろうに、それでもジデルは目を血走らせながら、その真実を告発した。
自分の身もかえりみず、亡き主君の正当性を主張するかのように。
けど、それを聞いてもなお、ナーザ様には動揺も、ためらいの様子もなかった。
「……知っていたさ」
そして、眉ひとつ動かさない
「アレは本来、優しい子だった……私欲のために、魔族を戦いに駆り立てるような愚を犯すなどありえない」
そう語るナーザ様に、以前ジルグード様を糾弾した勇ましさはなかった。
その声には、自身のために決起した孫を想う、慈愛を覗かせる。
「ならば、どうして……!」
「ならばこそだ!」
けど、かき立てるように声を荒らげるジデルを制するように、ナーザ様も叫んだ。
「あやつの意思は間違っていなかったかもしれんが、そのやり方は間違っていた。元魔王として、
――今の魔族が迎えつつある、力と力による凄惨な戦いを否定する新しい時代。
ナーザ様もまたその到来を感じ、魔族の変革を望んでいる。
毅然と語る彼女の言葉からは、たしかにその強い信念が感じられた。
「魔族はあまりに、血を流しすぎた……その宿縁を断つことこそが、我を想って命を懸けたあやつへの手向けにもなると、我は信じているのだ」
――過ちを犯すような者を、もう二度と魔王にはしない……
ナーザ様が今語ったのは、かつて僕らに言ったその言葉の裏にこめられた、彼女の本心だった。
これに対し、ジデルがこぼしたのは、失望とも諦観ともつかない、疲れたようなため息だった。
「まったく……今でもなおジルグード様以上の力を持っておきながら、そのような甘いことを……あなたがそんな甘い夢物語に惑いさえしていなければ、ワシも手を汚さずに済んだものを……」
「ならば、さっさと始末しておくべきだったな。我とてすでに老いぼれの身……ディオールたちをまんまと暗殺したおぬしなら、我の寝首をかくことくらいできたであろうに」
「ほっほ、たしかにそう考えたことは幾度もありましたが、どうしてできましょう……ワシが敬愛する王にして最大の友ジルグードの肉親であり、あの方をもっとも愛し、そしてあの方がもっとも愛していたあなたを手にかけるなど……」
「フン、これまで器用に立ち回っておいて、肝心なところでは不器用な男だな……ジデル」
そう告げるナーザ様の声に、悲しみが宿る。
……以前、あの中庭のお茶会でジルグード様について語っていた時と同じ哀愁が、その声から読み取れるようだった。
「ほっほ……不器用ついでに、ひとことだけ……」
そんな彼女の気を紛らわすようなおどけた感じに、ジデルが今一度口を開く。
「あなたが、いまだ魔族と人間との共存を志すのであれば、なにも言いますまい……しかし、それならあそこにいる当代魔王めには十分ご注意を。あやつの魔力はやはり侮れぬ……多少は満足に扱えるように仕込まないと、あやつ自身が争いの火種になることもありましょう……本人にその気がなくとも」
……その忠告はジデルなりの、
本人におそらく贖罪の意図はないし、それで許されることではないけれど、最後に魔王に仕える者として最低限の筋をとおしたのだろう。
……本当に不器用な男だ。
「その助言、覚えておこう」
ナーザ様は
……すさまじい魔力が凝縮された手を。
「ではさらばだ、ジデル……今この場をもって、お前を処刑する。先代魔王とその皇太子の命を奪い、当代魔王の命をも狙った此度の大逆の罪、その命をもってつぐなえ」
その言葉に、もはやさっきまでの哀愁の色はない。
情を捨て、あくまで冷酷な死刑執行人として、ナーザ様はジデルを見下ろす。
「ええ、さらばですじゃ……我が最大の主君にして友ジグルードが愛した、この世でもっとも麗しく、気高い魔王……できれば、あなたがジグルードに代わって覇道を歩む姿を見たかったものじゃ……」
それに対し、どこか清々とした一方で一抹の心残りを覗かせるジデル。
その言葉に、彼自身のナーザ様に対する思慕を、僕は垣間見た。
……なんとなく、そんな気がした。
その彼に、ナーザ様はもはや言葉なく、手を振り下ろした。
「お嬢様……」
それに際し、僕はお嬢様を軽く抱くかたちで、その視界を封鎖する。
その背後で、ただちにことは成される……
――かくして、大逆の
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