第53話「ミランの戦い」


「いいかげんにしてください、父上っ!」


 


 ――ガラド様にそう叫ぶミランくんに、もうさっきまでのか弱く情けない雰囲気はなかった。


 ひけていた腰をぴんと伸ばし、二の足で力強く地面を踏みしめ、気丈にガラド様の前に立ちはだかっていたのだ。


「ボクは領主になんかなりたくない……! 少なくとも父上のような、血に飢え、自分たちの破滅すらかえりみず戦いを求めるようなおそろしい獣魔の領主なんかには……!」


 ガラド様の威容に掻きたてられた恐怖を必死に抑え、今にも泣きだしそうに顔をくしゃくしゃにしながら、それでもミランくんは叫んだ。


 ガラド様が秘めていた、狂気にも等しい戦いへの渇望と凶暴性……


 それを目の当たりにしたミランくんの中で、長い間くすぶらせていたガラド様と獣魔族ビースターへの反抗心が、今ついに爆発したのである。


「な、に……?」


 それは、息子の反抗に対するショックか、それとも頭が真っ白になるほどの怒りか……


 いずれにしろ、それまで猛る一方だったガラド様が、我を失ったように呆然とした顔をした。


「ボクは本当は戦いたくない! 戦いに縛られ、戦いに明け暮れて死ぬためだけの人生なんて嫌だ! ボクはもっと自由に、自分の好きなもののために生きたいんです……!」


 ぞれが、ガラド様にずっと言えなかったミランくんの本音だった。


 その願いを力ずくで奪おうとする父の横暴に対する怒りが、彼に長年ためこんできた本音を本人にぶつける勇気を与えたのだ。


「き、貴様ァ……なにを甘ったれたことを! それが我が息子……いや、獣魔族ビースターの男の言うことかっ!」


「うるさいっ! 戦いを求めるのはあなたの自由だ! けど、そのために僕の自由を奪わせない! どうしても力ずくで奪うというなら……!」


 怒りをあらわにするガラド様に、それでも一歩も引かないミランくん。


 そのさなか、僕はこれまで一度も彼から感じたことのなかった気迫……獣魔族ビースター特有の“闘気”の気配をたしかに感じた。


 それはミランくんの全身を包み、やがて彼の体をも変える。


 ミラン君の細い手足がたちまち濃い獣毛に覆われ、一回り大きく肥大化。


 鋭い爪を備えた、獣の四肢のごとき手足へと変化したのだ。


 手足だけだけど、それはガラド様の変身形態と同じ、獣魔族の能力“獣化”であった。


「その時こそ、ボクは戦う……! ボクの生きる道を守るために!! たとえ父上とでも……!」


「なにィ……!」


 ミランくんは戦いを忌避していたとはいえ、けして素人ではない。


 曲がりなりにも獣魔族ビースターとしての戦闘訓練は受けているのだ。


 ゆえに、じつに様になった構えで、彼はガラド様に対して戦闘の意思を見せた。


 そんなミランくんに、ガラド様は怒り心頭とばかりの形相を覗かせるが……


「フ、フフ……」


 それはふっと消え、笑みに変わった。


 しかし、それもつかの間。


 ガラド様はふたたびくわっと、獰猛に目を見開いた。


「ハーッハッハッハッ!! よく言った、ミラン! 動機はいささか青臭いが、貴様にそれだけの闘志があったとは驚きだ! やはり貴様も獣魔族ビースターの男よ、父は安心したぞ!」


「黙れっ! 種族なんて関係ない! ボクはボクの意思で戦うべきときに戦うんだ!」


 歓喜の叫びをあげるガラド様に対し、もはや敵意にも近い刺々しい戦意を覗かせるミランくん。


 たしかにこれは、獣魔族ビースターが持つあくなき闘争心の発露……


 ガラド様が期待していたそれは、皮肉にもミランくんの自由をはばむ自身への怒りによって、目覚めつつあったのだ。


 その闘志に呼応するように、ガラド様もまた空気が一変するほどの闘気を体から放出した。


「それもよしッ! ならばかかってくるがいい! 貴様の自由とやらを守るため、この父と戦ってみせいッ!!」


「う……」


 ミランくんの闘気を容易く飲み込むくらい強大な、ガラド様の本気の闘気。


 それを目の当たりにし、ミランくんはふたたび恐怖に足を引かれたように委縮するけど……


「うわああああああ~~~~~っ!!!」


 その恐怖を振り払って、ミランくんはガラド様に対して飛び出した。


 獣の強靭な筋力が生み出す、鋭い跳躍……その勢いを味方にしたミランくんは、たちまちガラド様を捉えた。


「えええええいっ!!」


 そして、彼の獣化した右腕の爪の一撃が、ガラド様の顔面めがけて放たれる。


 


 ――が、




「フ……」


 その攻撃をガラド様は左手のひらで、いとも簡単に止めてみせた。


 完全にミランくんに虚を突かれ、棒立ちしていたはずが、ガラド様はおそるべき俊敏性で、攻撃がヒットする瞬間に合わせてガードに入ったのだ。


「あ……」


 空中で静止し、表情を凍らせるミランくん。


 あれがミランくんの渾身の力をこめた、一撃必殺の攻撃だったのは間違いない。


 でも、それをガラド様は涼しい顔で受け止め、あまつさえその手のひらには微々たる傷も刻まれていなかった。


「ぐっ……!」


 その結果に戦慄していたミランくんだが、すぐ頭を切り替えたように行動を再開。


 すぐさまガラド様から飛びのいて、態勢を切り替える。


「なら、これはどうだあっ!!」


 そこからガラド様の周りを旋回する形で、高速移動を開始。


 ただ駆けるのではなく、周りの木々、それに屋敷の壁や屋根を足蹴にしたランダムなステップで、ガラド様をかく乱する。


 僕の目でも、せいぜい影を捉えるのが精一杯の、非常に素早い動きだ。


 体のサイズはそのままに、手足だけを強化したミランくんの特殊な獣化形態だからこそできる、軽快な戦法である。


 ミランくんのその戦法に対し、ガラド様はあくまで堂々と佇み、ミランくんの動きを目で追うようなこともしていなかった。


 ――どこからでもかかってこいと言わんばかりである。


 その無言の挑発に乗る形で、ガラド様の四方をしばらく跳び回りながら様子見していたミランくんが仕掛けた。


 隙をうかがっていたのだろうけど、ガラド様は棒立ちのまま、そのじつ全方位に常に気を配るように神経を研ぎ澄ませている様子だった。


 最強の獣魔に隙なんてない……


 だからミランくんは我慢しかねて、思いきって攻勢に出た……そういう感じだ。


「そこだぁぁぁっ!!」


 かと言って、無策というわけではない。


 ミランくんが飛び込んだのは、ガラド様の真後ろ……さらにその頭上だ。


 ガラド様からは完全に死角のうえ、対応するには振り向かなければならない。


 そのわずかだけど確実なタイムラグに勝機を見出し、ミランくんは仕掛けたのだ。


「――っ!?」


 でも、そのミランくんの顔がまた凍りついた。


 彼が腕を振りかぶって飛び込んだ瞬間、すでに彼の目の前にガラド様の視線があったのだ。


 ガラド様はミランくんの狙いをあらかじめ承知していたように、彼が狙いをさだめた瞬間、振り返ったのである。


「バカめ! 容易につけこめる死角など、死角ではないわッ!!」


 振り向きざまに、そう窘めるガラド様。


 そう、この場合ミランくんのとった策は悪手だった。


 背中はもっともわかりやすい死角……でも、ガラド様はあえて微動だにせずそれを晒していた。


 つまり、あれは死角と見せかけたミランくんへの罠だったのだ。


「しまっ……」


 それにまんまとハマり、ミランくんはガラド様の間合いへと自ら飛び込んでしまった。


 かくして、ミランくんの爪がガラド様に突き刺さる前に、彼の拳がミランくんの腹を直撃した。


「ぎ、ぁっ……!」


 胃液とともに短い悲鳴を吐き出し、悶えるミランくん。


 獣化の恩恵を受けていない脆い胴体への攻撃……それで決まりのはずだった。


「おおおおおおおおおおおっ!!」


 しかし、ガラド様の闘志が途切れることはなかった。


 彼は自分の拳の上でぐったりしたミランくんの頭をもう片方の手で掴み、その体を軽々と持ち上げた。


 そして、そのまま力任せに顔面から、ミランくんを地面に叩きつけたのである。


 さらに、その背中に足を振り下ろし、おもいっきり踏みつけた。


「ぎゃぁぁぁぁっ!!!」


 バキバキと骨が折れる音とともに、ミランくんは絶叫する。


 それで、ようやくガラド様の攻撃は終わった。


 最初の一撃ですでに決していたのに、さらに執拗な二度の攻撃……


 それはミランくんを、ぐうの音も出ないほど徹底的に叩きのめした。


 もはや彼は反撃どころか立ち上がる余力すらなく、体をぴくぴくと痙攣させるばかりだった。


 自らの足の下で倒れ伏せるミランくんを、ガラド様は忌々しげに見下ろす。


「フン。動きのキレだけはたいしたものだが、いまだ不完全な獣化しかできぬひよっこでは、この程度が関の山か……ロクに訓練に身が入らず、嫌々やっていた者が力を得られているとでも思ったか! この未熟者めェ!!」


「ぎゃっ……!」


 息子への失望をぶつけるように、ミランくんを蹴り飛ばすガラド様。


「げほっ……ぅ……」


 ミランくんはゴロゴロと転がった末、仰向けにうめく。


 すでに虫の息と言った有様だが、それでも意識はあるようだ。


 ……ミランくんの獣魔由来の打たれ強さもあるだろうけど、ガラド様もあれで多少は加減していたのだろう。


 本気だったら、最初の一撃でミラン君の腹に風穴があいていただろうから……


「これで、すこしは現実というものがわかっただろう、ミラン。今のお前では、自由を守るための戦いすらできん……力が欲しければ、私が鍛えてやる! お前は我が血を受け継いだ息子だ! 血はすなわち、力……お前ならいずれ私以上の、最強の獣魔になることも夢ではない!」


 それは、ガラド様のミランくんに対する期待にほかならなかった。


 獣魔族ビースターにとって力こそ最大の誉れ……だから、自分の息子を最強の男に育てあげることこそが、ガラド様なりの愛情表現なのだろう。


「い、いやだ……ボクは最強なんてどうでもいい……弱くてもかまわない。でも、あなたには屈しない……!」


 でも、ミランくんはその愛を受け入れない。


 もう体は動かず、声を出すのもつらいだろうに、それでも彼は拒絶の意思を示した。


「わけのわからないことを……能書きはそこまでだ! 眠れ、ミラン!」


 でも、それはガラド様には届かなかった。


 苛立ちにかられたガラド様は、今度こそミランくんの意識を奪うため、彼に迫る。




「ぬぅっ!?」


 ――そのガラド様の体を、突如爆炎が包みこんだ。

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