第49話「甘やか執事と獣魔族の真実」


「父上っ! いったいなにをなさっているんです! この有様はいったい……!」


 僕とガラド様が対峙するさなか、突如現れたミランくんは必死の形相でそう叫んだ。


 僕と獣人たちの戦闘音を聞きつけ、駆けつけてきたのだろう。


 無数の獣人たちがぐったりと倒れ伏すなか、僕とガラド様が戦闘態勢で向き合う状況に、彼は戸惑っていた。


 ……やはり、ミランくんはガラド様の思惑についてなにも聞かされていなかったようだ。


「わからぬか、ミラン。今まさに、私はこの者を打ち倒すため戦に臨む……私とともに戦うというのであればよし。そうでないのなら、さっさと失せるがいい!」


 そのミランくんに対し、ガラド様はかろうじて理性をつなぎ留めながら、それでもほとばしる闘志を抑えられないとばかりに、猛り叫ぶ。


「父上、なぜ……! なぜ、この方と戦わなければならないんです!」


「この者が私の目的に邪魔だからだ。話し合いで手なずけようとしたのが、そもそもの間違いだった……これほどの力を持つ者に、言葉は不要! こちらも力をもって屈服させるのみよ!」


「そんな、野蛮な……!」


 ガラド様の言葉の不条理に耐えかねたように、ミランくんは叫ぶ。


「野蛮……?」


 けどその言葉に、ガラド様はぴくりと眉を動かし、その気配を変えた。


 さっきまでの戦いに臨む闘志ではなく、苛立ちだ。


「邪魔者を力で押しつぶす、その行いが野蛮だと……? たしかに、魔族の中にもそう言って我らを非難する愚か者が少なからずいた……だが、よりによってお前がそれを言うのか、ミラン! 我が後継者として生まれたお前が、我らの誇りを侮辱するというのか! 恥を知れ、この大馬鹿者めがァッ!!」


「ひっ……!」


 怒りにかられた、まさに獅子の咆哮に等しい猛り声をあげるガラド様。


 それにミランくんは圧倒され、その身をすくませる。


 その様は蛇ににらまれたカエル……いや、ライオンに怯える子猫だった。


 それに失望したように、ガラド様の気配からたちまち怒りの色が消える。


「フン! この程度で縮こまるとは、軟弱者め……やはり、私はいささかお前を甘やかしすぎたようだ。覚悟しておけ、ミラン。これが終わったら、お前に徹底的にたたきこんでやる! 我ら獣魔族ビースターの矜持と、獣魔の王たる力のすべてを……!」


 金縛りにあったように動けないミランくんにそう言い捨て、ふたたび僕へ向き直るガラド様。


「その前にまずは見せてやる! この父の戦いを……獣魔族ビースター最強の男の力を! この者相手ならば、私も全力を出せるというもの!」


 そして、僕の力を認めたうえで、出し惜しみなくその力を開放する。


「ウオオオオオオオオォォォォォッ………!!」


 空気が震えるほどの壮絶な咆哮とともに、ガラド様の体のうちから、あの方が今まで抑え込んでいた激しい戦いと破壊の本能があふれ出すのがわかる。


 そして、その身は徐々に大きく、強く変わる。


 やがて、僕の前にそれは姿を現した。


 ふしゅぅぅぅと余熱を帯びた息を吐き佇むガラド様は、すっかり変貌していた。


 さっきよりも一回り……いや二回りも大きく隆起した筋肉の鎧をまとった、獅子の顔の大男……それが、ガラド様の獣化した姿。


 すなわち、戦闘形態である。


「なるほど……変化しただけで、これですか」


 見た目が変わっただけではない。


 獣化によって己の闘争本能を開放したガラド様の気迫が物理的な衝撃を伴って、周囲の空気を振動させ、屋敷周囲の植樹を大きく揺らす。


 その衝撃は、僕でも気を抜けば怯みそうになるほどだ。


「こ、これが父上の獣化!? はじめて見た……!」


 これほどの圧にミランくんが耐えられるはずもなく、彼はぺたんと腰を抜かして、ただただ圧倒されていた。


 けれど、それに気を取られている暇はない。


「オオオオオオオオオオオオッ!!!」


 ガラド様は変化が終わってすぐ、そのみなぎる力を抑えきれないとばかりに、僕へ襲い掛かってきた。


 彼が一歩踏み出した瞬間、その巨体はすでに僕の眼前に迫る……!


 ……巨体のわりに、あきれたスピードだ!


「グワアアアアアアアアアアアッ!!」


 僕を眼下に収めたガラド様から、咆哮とともに振り下ろされる、太い爪をはやした丸太ほどもある巨腕。


 それは僕の体を直撃し、いともたやすく吹っ飛ばされた。


 結果、僕は背後にあった木に叩きつけられる。


 その威力は、クッションになった木すら耐えられず、倒壊するほどだった。


 ……普通だったら、こんな解説している暇もなく即死だ。


 だけど……


「ほう、耐えたか……この一撃に」


 不快感はなく、むしろ称賛するように、ガラド様はつぶやいた。


 そう、僕は生きていた。


 倒れた木を背に、僕はむくりと立ち上がる。


 着ていた上着ジャケットはあの爪の一撃でボロボロにされたけど、僕の体自体にさほどの損傷はなかった。


 攻撃を受ける瞬間、魔力を収束させた防護膜を全身に張り、ダメージを軽減したのだ。


 ……とはいえ、まったくの平気とは言えない。


 外見上はほぼ無傷だけど、内臓の方になかなか手痛いダメージを負った。


 これはたとえ防護の上からでも、何度もくらっていい攻撃ではない。


 ミランくんがはじめて見るというのも、無理はなかった。


「たしかにこれほどの力……現在の魔族社会では発揮する機会はそうそうないでしょうね」


「そうだ。人間どもにこの大陸に封じ込まれてから五百年、戦いの場を失った魔族の闘争本能は徐々に薄れつつある。今やこれを平和などとぬかし、戦いを忌避する者まで出てくる始末……あの忌々しいリチルも、そうして牙を失った魔族のひとりだ。かつてはかの魔王ナザリカ様と肩を並べるほどの魔法の使い手と聞いたが、今では見る影もない。まことに、腹立たしいことよ」


 そう、ガラド様は心の底から苦々しげに吐き捨てた。


 ……なるほど、普段からガラド様が執拗にリチル様を敵視しているのは、いわばその力への羨望の裏返し。


 願わくば腕試しをしてみたい。


 それは現在の魔族社会では叶わないし、本人も口にしないけど、そんな願望を秘めていたのかもしれない。


 ……互いにずいぶんと屈折した想いを抱いているものだ、このおふたりは。


「でも、それは時代が変わったということでしょう。たしかに魔族からすれば不本意な変化かもしれませんが、現にそれを体現している人もいる……あなたのご子息ミランくんこそ、その最たる例と言えるでしょう」


「……あの腑抜けが、まるで新時代の申し子とでも言わんばかりだな」


「実際、そうだと思いますよ。獣魔族でありながら戦いを忌避し、穏やかな暮らしを求める彼こそが、獣魔族にもたらされた変化の片鱗……そう思いませんか?」


「………」


「案外、ミランくんの気性はあなたの理性的な部分を受け継いだのかもしれません……あなたはその姿でも闘争心を自制できるほどの、強い理性をお持ちだ。そのあなたなら、本当はわかっているのではないですか?」


 ガラド様がミランくんに厳しく接する一方で彼の自由を許していたのも、獣魔族の新たな可能性を切り開く彼の在り方に期待していたからかもしれない……


 たとえ、ガラド様本人に自覚はないにしても。


 僕はそう考えていた。


「黙れ、小僧……!」


 けれど、僕の言葉を聞くうち、鳴りを潜めていたはずのガラド様の敵意がふたたび膨れ上がるのを、声と気配から察した。


「たしかに、そういう時代がきたのかもしれない。もし、私が今の立場でなければそれを迎合したかもしれぬ。だが、そんな世界で獣魔族ビースターが生きられると思うか? 戦うために生まれ、戦いを至上の喜びとすることを骨の髄まですりこまれた戦闘種族が?」


「それは……」


「ミランが本当に新たな獣魔族ビースターの可能性だとしても、すべての獣魔族ビースターがただちにそうなれるわけではない。あやつ以外のすべての獣魔族ビースターにとっては、戦いこそがすべてなのだ! それは趣味とか嗜好とかそんなチャチなものではない、もはや生態なのだ! 事実、戦いを取り上げられた多くの同胞は、今この瞬間も狂い死にするほどの“飢餓きが”に苦しめられれているのだぞ!」


「まさか……」


「それが、我ら獣魔族ビースターの現実だ! 皆、普段は必死に理性をつなぎとめているが、心のなかではつねに戦いへの飢えと渇きに苦しんでいる。模擬試合や魔獣狩りで多少はしのぐことができるが、それでも根本的解決にはならない。実際、領内ではこの百年で自ら命を絶つ者が爆発的に増えている……戦いのない世界など、今を生きる獣魔族ビースターにとって地獄でしかないのだ!」


 たしかに、思い当たるふしはある。


 さっき襲い掛かってきた獣人たちも、僕に異常な敵意を向けてきた。


 あれはまさに、飢えに苦しむ者が久しぶりのごちそうに飛びつく様そのものだったのだ。


「まさか、獣魔族ビースター領がそんな状況だなんて……なぜ、それを魔王城に報告しないのです? 三賢臣さんけんしんたちならば、かならずなにか対策を講じてくれるはずなのに……」


 僕はこれまで、魔王様のそばでそれなりにこの魔大陸の状況を耳に入れてきた。


 でも、この情報は初耳……もし、三賢臣さんけんしんたちが知っていれば、とっくに定例議会の議題にもあがっているはずだ。


「フン……魔族でもっとも気高く、強い種族であるべき獣魔族ビースターが今まさに死にかけているなどという情けない話、どうして報告できよう。ほかの者も、けっして真実を他種族に気取られまいと懸命にいつもどおりの生活を送っている……なのに、領主である私がまっさきに他の者に泣きつくなどどうしてできよう!」


「それが、獣魔族ビースターの誇りだとでも? そんな意地を張っている場合じゃないでしょう……!」


「黙れ、獣魔族ビースターにとって強さと誇りは命同然の重みがあるのだ! 私には領主として、それを守る義務がある! 領民たちの命と誇りを守るため、我々にはなんとしても人間との戦いが……生きる場所が必要なのだ! だからこそ、私は“あの方”に獣魔族ビースターの命運を託した……!」


「あの方、とは……?」


 自分の協力者、いや黒幕の存在をほのめかすガラド様の言葉……


 やはり、この一連の事件はこの方ひとりの仕業ではない。


 本来搦め手を好まないガラド様に知恵を貸し、それをさせた者がべつにいるのだ。


 この事件の真の中枢が、ついにその影を覗かせた。 


 その核心へと迫る姿勢を見せる僕に、ガラド様の獣面が不敵な笑みを浮かべる。


「それを知れば、いよいよただでは帰せなくなるが?」


「その姿になったからには、もともとそのつもりなのでしょう? 御託はいいので、さっさと聞かせていただきたいものですね」


 この期に及んでガラド様が白々しいことを言うので、すこしイラッとしてこちらもやや辛辣に答える。


「フ、今の私にそんな態度がとれるとは、まことたいした度胸だ。それに免じて教えてやろう。君が追い求めた、この事件の真相というものをな……」


 相変わらずもったいぶった態度がすこし鼻につくけど、もういい。


 かくして、ガラド様の口からそれは語られた……

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