第6話「ゆるだら令嬢、しっかり令嬢になる」
「――私、魔王になります」
翌日、ふたたび開かれた
「昨日あれだけ惑っていたというのに、あっさりと言うものだな……まあ、いい。では……」
「――ただし、ひとつだけ条件があります」
不遜に振る舞うナーザ様の言葉を、お嬢様は毅然と遮る。
昨日はこの会談の重苦しい空気に怯えたように終始うつむき加減だったお嬢様だったけど、今は一切の気負いなく
「条件、だと……? バカものめ、立場をわきまえぬか!」
そんなお嬢様に対し、そう声を荒らげたのはバハル様だった。
迫力があって、声の大きい激情家……普段から、お嬢様がもっとも苦手とするタイプだ。しかし……
「立場をわきまえるのはあなたです、ダルムード卿! 私は魔王になろうという女ですよ!」
それでもお嬢様は一歩も引かず、堂々とした立ち振る舞いでバハル様を一喝する。
「……あなたがた
「ぐっ……こっ……!」
――お嬢さまの言うことは、まったくもって正論だ。
バハル様は青筋を浮かべて震えているけど、それ以上言葉を吐くことができない。
彼を見つめるお嬢様の瞳は、下手な方便は許さないと言わんばかりに、力強く輝いていた。
「私は魔王にはなっても、あなたがたの
「ふ、よく言う……では、処刑されても構わぬと?」
「ええ……私とて、
あくまで凛とした表情を崩さず、ナーザ様とにらみ合うお嬢様
「ル、ルーネ……!」
その一触即発の様相を、旦那様はハラハラした調子で眺めていた。
一方、僕はその横でひそかにほくそ笑む。
(完璧でございます、お嬢様……)
この一連の問答は、昨晩のうちに僕がお嬢様に仕込んだものだ。
すべてははったり……お嬢様は僕と打ち合わせたとおりに、“何者にも屈さない気高きしっかり令嬢”を完璧に演じていた。
極端な話、お嬢様がどのような態度をとったところで、
なぜなら、お嬢様が魔王になるのを断って一番困るのは彼らだからだ。
ほかにかわりはいない……彼らはどうあろうと、お嬢様を魔王にする以外ないのである。
処刑をちらつかせれば、下手に出なくても相手は従わざるを得ない……おおかた、そう考えていたのだろう。
けど、お嬢様が処刑を恐れぬ強い態度を崩さなければ、主導権はこちらのもの……多少の無理は通せるはずと踏んだのだ。
結果、事は目論見通りに推移してはいるが、唯一油断ならないのがナーザ様だ。
あの方だけは、ほかのふたりとはあきらかに違う。
あの方は、ユーリオ様のことを終始呼び捨てにしていたし、三人の中でも一線を画す存在感を放っていた。
もしかすると、
そんな不安を抱くくらい、得体のしれない方だった。
けど……
「ぶふっ……ひゃひゃっ!」
僕のその心配を吹き飛ばすかのように、ナーザ様は突然笑いはじめた。
「ひゃーひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!」
それはもう、僕を含んだこの場の誰もが呆気にとられるくらい、豪快に大爆笑していた。
「――あー、愉快愉快。なかなかキモがすわった娘だ……やはり、女魔王はそうでなくてはな。よかろう、その条件とやらを言ってみるがいい」
ひとしきり笑うと、目にたまった涙を指でぬぐうようなしぐさをしながら、少々躍った声でナーザ様は言った。
……どうやら、気に入られたらしい。うん、素直にそう考えよう。
この一幕にはお嬢様もきょとんと固まっていたが、すぐ我に返り、今一度シリアスな仮面を顔に貼りつけ直す。
「私からの要求はただひとつ……ここにいるフィリエル=シャルツガムを、魔王になったあとも私のそばに置くことを許してもらいたいのです。具体的には、この城にいる間も私の世話をし、公務への同席、さらに必要なら私へ意見することもできる……そんな権限を、彼に与えてください」
「ほう……?」
「このフィリエルは、非常に優秀な執事です。これまで幾度となく私を助けてくれました……彼がそばにいてくれるなら、私も安心して魔王としての重責を担い、その任をまっとうすることができるでしょう」
僕への有り余る信頼……それをお嬢様は恥ずかしげもなく、つらつらと言葉にした。
……正直、こっちが少しこそばゆい。
僕がお嬢様に言い含めたのは、おおまかな方針と
そのほかの言葉はお嬢さまのアドリブだ。
「バカな……それでは、我々三賢臣と変わらぬ。たかが一執事に、それほどの権限を与えろと!?」
「たしかに前代未聞ではあるな。それに、それほど強大な権限を与えれば、おぬしをそそのかして悪用せぬともかぎるまい……そうなれば実質、その男が魔族を支配することにもなろう。おぬしに、それを御することができるか?」
「もちろんです! そもそも、彼がわたしの意に反したことなど、一度もありません! だって、彼は身も心もわたしの執事なんですもの!」
いつしかお嬢様は興奮し、ふんすと鼻息を荒くしてまくしたてた。
「お嬢様……」
その……お嬢様の言う通りではあるのですが、そこまで断言されるとこっちが恥ずかしいです……はい。
僕がくすぐったい気持ちでひそかに悶えていると、不意にナーザ様がこちらを見た。
その視線が僕個人に向けられたのは、この議会においてははじめてのことだった。
「では、執事……いや、フィリエル=シャルツガム。おぬしはどうだ? いかなる権限を与えられようと、私欲に惑わされず、魔王たるルーネに仕え続ける覚悟と信念がおぬしにはあるか?」
――それは、僕という存在を見極めようとするような物言いだった。
僕がお嬢様の……魔王の従者としてふさわしいかを試されているのだ。
であれば、受けて立たねばならない。
僕は浮ついていた表情を正し、ナーザ様をまっすぐ見つめた。
……じかに視線を交わすと、ナーザ様が纏う異様な空気をあらためて実感できる。
まるで、一目で丸裸にされているかのような、濃密な威圧感だ。
でも、お嬢様はこれに耐えて、言うべきことを言ったのだ。
ならば、僕が目を背けるわけにはいかない。
「……僕の望みはもとより、お嬢様に仕えることのみ。治世にも支配にも興味はありません。私欲と言えば、お嬢様のそばにいることただひとつ……それが許されるなら、あなたがたの思惑がお嬢様を煩わせることにでもならない限り、僕は基本的にはあなたがたの方針に従います」
この巨大な壁を前に、僕もまた一歩も引かず、言いたいことを言った。
すべて、本音だ。お嬢様のために尽くすことこそが、僕のやりたいすべて……その覚悟と信念をできるかぎり言葉に乗せた。
「ふ、我らを品定めすると言わんばかりだな……主従揃って、つくづく度胸がある」
それを聞き、ナーザ様がさっきの大笑いとまではいかずとも、不敵に笑みを浮かべたのを、僕はなんとなく気配で察した。
「よかろう、その要求を呑む」
「本気ですか、ナーザ殿……!」
「そうムキになるな、バハルよ。もともと無茶を言い出したのはこちらなのだ。であれば、多少の無茶を聞くのが筋というもの……それくらいの器量も見せねば、それこそ浅ましい
「それは、そうですが……」
「とは言え、バハルの心配はもっともだ。それに、こちらの体面もある……フィリエルとはべつに、魔王の公務を補佐する“秘書”をこちらから用意したい。公的な場ではフィリエルには隅に控えてもらい、表向きにはその秘書を魔王の正式な補佐役とする。ま、正確には目付け役だな……おぬしらにやましいことがないなら、問題ないと思うが?」
ナーザ様にそう言われ、お嬢様がちらりとこちらへ視線を送る。
……僕はこくりと頷き、お嬢様に合図を送った。
「――わかりました。それで構いません」
「うむ。では、秘書の人選はバハル、おぬしに任せる。せいぜい、優秀で信用できる者を通して、こやつらに目を光らせるといい。これで“おあいこ”だな?」
「……承知しました」
言いたいことは山ほどあるだろうに、そのすべてを飲み干すかのような苦み走った顔で、バハル様はしぶしぶ引き下がった。
あれほど感情的な方が、ナーザ様の前ではまるで借りてきた猫のようにおとなしくなっている。
少なくとも、ナーザ様がバハル様よりはるか格上なのは間違いない。
それどころか、僕らまで終始ナーザ様の手の上だったような感覚すらある。
……今後魔王城で立ち回るうえで、あの方が一番注意すべき人物のようだ。
「即位は、そうだな……ひと月後としようか。それまでおぬしには、魔王に必要な知識、作法を学んでもらう……期待しているぞ、新魔王?」
「……はい」
「なんだ、急に元気がない。今になって緊張してきたのか?」
……いや、僕にはわかる。
あれは緊張しているのではなく、これから待ち受ける新生活に憂鬱になっているのだ。
特に、“知識、作法を学んでもらう”という、いかにも窮屈さを想起させる言葉が、お嬢様のテンションを著しく下げている。
(ご辛抱ください、お嬢様……!)
僕はそれとなくアイコンタクトを交え、そう念を送る。
とりあえず即位するまで、お嬢様の心が折れないように、できるかぎりサポートする……それが、僕の当面の課題になった。
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