成長した男
大学生活三年目
渚が翌日退院出来たおかげで、帰りのサンライズの予定を変更することはしないままに俺達は出雲から帰還をすることになったのだった。
折角の旅行、あまり楽しめた記憶はなく、むしろ心臓が縮みあがるような体験を味わうこととなったが、帰りの電車の中では五体満足で帰ってこれたからか清々しい気持ちでベッドの中で寝ることが出来た。
退院後帰りの電車の中も、渚は不調そうな様子であったが、昨日一昨日のような頑固者の一面は鳴りを潜めて、いつもよりもほんのり柔らかいからかいをする少女が俺の前に爆誕していたのだった。
とは言え、さすがの俺も落水の一件を反省し、なるべく彼女の負担にならないような旅行にしようと心掛けた結果、再び俺達は寝台列車に乗るや否や眠りにつく、という一夜を過ごすのだった。
渚は二日、俺のアパートに滞在して大学が始まるために地元に帰還していった。体調が戻らないことを理由に留まったが、最後の日は多分、体調は快復していたように見えた。であれば、一体彼女はどうして俺のアパートに滞在したのか。
満たされつつ、俺は渚を見送って、三年目の大学生活に邁進することになるのだった。
勉強はかつてから嫌いだった。
ゲームや放浪癖があった俺は、やりたくもないことで時間を取られることを酷く嫌ったためだった。
しかし中学の時、期末テストで悪い点を取った際に親に監視され猛勉強の一日を送ったあたりから考えは改まった。
何せ、勉強で悪い点を取った方が後々より自由時間が減らされることを知ってしまったのだから。
だから、親が怒らない最低限の範囲での勉強を毎日まとまった時間するようになっていった。ただ運悪く、俺の姉という人間が勉強が出来てしまったため、親が俺に望む成績のボーダーはかなり高めになっていた。
おかげで、日頃から勉強はするように心掛けていたのに、テスト前はてんやわんやする毎日を送らされることになった。
ただ今、その苦痛の成果がある程度の大学への進学に繋がったことを考えると、あの時の苦痛も掻き得だったと思うのだから俺と言う人間は簡単だと思わされた。
大学に入って毎日勉強するということはなくなったが、それでもかつての生活のおかげか、四力の内の二つの単位を落とした以外はまともな成績で三年にまでなることが出来た。
我が大学の工学系の大学は、年を重ねる毎に必修科目が減っていき、春休み明けの履修登録の際に俺は思わず講義の少なさに驚いてしまうのだった。
これならバイトの時間も増やせるだろう。
これまで行っていたコンビニのバイトは、労働の割に給料が悪いと贅沢な文句を俺は抱えていた。つい先日、一月の家賃代くらいの金を数日で放出したせいもあって、散財家でないながら俺は金の工面に着手しようと画策するのだった。
大学生活で長らく一緒に活動する飯沼という男は、元が都心まで電車で数分で出れるシティーボーイなだけあって、都内にもそれなりの伝手を持っている男だった。
「というわけで、金の工面をしたくてな。何か手頃なバイトはないか?」
早速俺は、そんなシティーボーイな飯沼に羽振りの良いバイトの相談を持ち掛けた。
「あるある。衣食住も含めて提供してくれる素晴らしいバイト、あるよ」
飯沼の軽い調子に、これはふざけたノリのやつだと高を括った。
「おお、是非それを紹介してくれ」
とは言え物には流れと言うものがあるので、俺はそれに乗っかった。まあ正直、羽振りさえ良ければ衣食住はどうでも良いと思った。
「治験」
「そんなことだろうと思ったよ、ろくでなしめ」
昼も過ぎ人気も減った食堂で、飯沼のかっかっかと笑う声だけが大きく響いていた。下品な笑い方に俺は呆れて目を細めていた。
それにしても治験とは。
表向きは安全面は保証されているとはいえ、実態はどうも怪しそうな雰囲気を醸し出すバイトを良く友人に勧めるものだ。
「でも、儲かるそうだぞ?」
「じゃあせめて一緒に行こうぜ。それなら施設の前まで考えてやるよ」
「いや、嫌だけど」
「なら初めから言うなよ」
可笑しくなって、俺は笑って文句を垂れた。初めから飯沼という男が真面目にそれを言っていないことくらい、日頃から鈍感な俺にだってわかっていた。
「んー。なんでそんなバイト必死に探すの? お前の部屋質素すぎて、今のコンビニバイトで十分だと思うんだけど」
そこまで言って頭を傾げて、飯沼を何かを察したかのように首を傾げた。
「さては、女か?」
図星だった。
「あー、ヤダヤダ。これだから恋愛脳は。真面目に相談聞くんじゃなかったよ」
「真面目に聞いても回答はふざけたじゃねえか」
ならばそれは、真面目に聞いていなかったと捉えて何ら問題ない。
「はっ。まだ若いくせにお水にハマった男には言われたくないね」
「お水?」
「キャバクラだろ? キャバクラ」
「違う。地元にいた幼馴染だ」
さすがにそこと間違われるのは癪だった。
そう答えると、飯沼は一層面白くなさそうに口をすぼめた。
「なんだよ。お幸せに」
とは言え祝福してくれるあたり、この男も根っからの悪人ではないのだろう。まあそんなこと、ここまでの彼との数年間を思えばわかりきっていることだったか。
「彼女との軍資金とのために金を稼ぎたいわけか。貢がされないようにな」
「そんな心配はナッシング」
あの堅実な彼女は、多分そういう他人にだけ不利益を被らせることを一番嫌うだろう。
「……あるよ。それなりに羽振りが良くて、最近誰か紹介して欲しいって言われてるバイト」
「へえ、何?」
「家庭教師」
家庭教師、か。
人を教える仕事というだけで少しだけ委縮しそうな気持ちだった。まだまだ若輩者の俺に、果たしてそんな大役が務まろうか。
「そんな身構えるなよ。俺にだって出来るんだ。問題ないよ」
「……そう?」
「ああ。じゃあ明日、知り合いのいる俺も入っている家庭教師派遣会社に行こう」
丁度、次の講義のチャイムが鳴ったので、俺達は次の講義に向かうのだった。
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