大人になりたい男

旅行へ行こう

 これまでの人生で振り返っても濃密な一月を過ごした気がした。

 それは恐らく誇張抜きの事実で、出来れば今後はこういう忙しない日々が訪れることがないように祈る辺りは、俺という人間の根底の部分の情けなさだとか、そういう気持ちが見え透いているようで少しだけ気分が悪かった。


 とは言え、そんな自己の反省を気にすることなく進んでいくのが時間であり、人生と言うものなのは、早二十年この世に生まれてきてから気付き始めた真理だった。


 出会い、別れ。

 そういう経験を経て人は大人になり、成長していく。


 それを肌で感じれた一月だったと思えた。


 振り返りが過ぎたが、結論から言おう。

 卒業要件に必須の単位を二つ落とした。辛い。

 来年度、この科目を再び取らねばならない事実は結構なショックだった。講義を受けていて、流体力学と材料力学へ難解なイメージを植え付けられたからだった。


 兎にも角にも、あれから一月。つまり、ただいまの時期、二月。

 晴れて大学生活二度目の長い長い春休みが始まったのだ。しかも、今回は愛おしい彼女、渚がいるおまけ付き。

 これは素晴らしい春休みになること間違いなし。

 ……もしこれを渚に面と向かって言っていたら、あたしをおまけ扱いしやがってと怒られた気がした。彼女は嫉妬深く、愛が程よく重かった。


 とにかく早速、俺は渚に春休みの計画を立てるための電話をかけていた。自発的に電話をすることが少ない人間だったが、一月の時をもって渚相手には積極的に電話をするように俺はなっていた。自分の成長を肌で感じる数少ない場面だった。


 ワンコールの後、渚が電話に応じてくれた。彼女は俺のスマホを監視しているのでは思うくらい、電話応対が早かった。


「もしもし」


『もしもし、ご機嫌いかが?』


「ワンコールで出てくれたので、とても良いです」


『それは良かった。単位は大丈夫だった?』


「うん。勿論」


 事前に四力の内、二つは危険水域であることを渚に相談していた。結局落としたが、それを言うのは格好が付かなかったので嘘をついた。


『そっか。じゃあ来年に向けて今度一緒に勉強しようか』


「いや、大丈夫って言ったよね」


『でも即答だった』


「というと?」


『宗太、本当に大丈夫の場合は即答せず、ちょっと不機嫌になってから答える』


 筒抜け過ぎて泣けた。

 そんなわけで、二言三言来年度へ向けての約束を取り付けて、俺は本題に入った。


「というわけで、バイト代も溜まったので春休みの間に二人でどこかに旅行に行きたいと思うのですが、行きたい場所はありますか?」


『うーん。そうねえ』


 事前連絡なしの話だったからか、渚は唸り声をあげていた。


『あ、そうだ』


「はい、渚さん」


『実はさ、車欲しいなと思ってるんだよね』


「あれ、でも軽自動車持ってたじゃん」


『あれ親のだからさ。T社のセダンを中古で最近探してるの』


 中々いかついことを言ってらっしゃる。


『んで、埼玉の川口のお店に安めの格好良いのがあってさ。一回見たいなって』


「いいね。その時は俺のアパートに泊まってくれて構わないし、何なら一緒に行く」


『うん。そうしようね』


 渚の嬉しそうな声が電話口から聞こえて、俺の気持ちまでも一緒に嬉しくなった。簡単な男である。


「で、どっか旅行に行きたいとかない?」


 嬉しくなったが、脇道に逸れていたので本題に戻した。


『うーん。そういうのは宗太専門なんじゃないかなって』


「御朱印集め?」


『そうそう。どっか行きたい場所ないの?』


「あると言えばある」


『どこ?』


「出雲」


『えらく遠いね』


「サンライズ出雲って寝台列車が東京駅から毎日出ているんだよ」


『うん』


「それに乗ってみたい」


『御朱印関係ないね』


「わかりみが深い」


『まあ、寝台列車での二人旅。確かに良いね』


「そうだろうそうだろう?」


『予算は?』


「わからん」


 具体案を出したものの、あくまでそれはまだ草案レベル。宿泊先、予算まではまだ確認していなかった。


『えー』


 電話口から渚の唸る声が漏れた。そうなるのはおかしくないと思った。


「明日までに確認しておく」


『わかった。じゃあ明日、宗太の家に行くね』


「車見に行くってやつ?」


『うん。早い内がいいかなって。結構人気車種で、すぐ売り切れになりそうだし。その時一緒に確認しようよ』


「わかった。まあなるだけ事前に調べておくよ」


『わかった。期待しないでおくよ』


 ふと思った。


「明日、こっちに来るって言ってたけど、予定は大丈夫なの?」


『大丈夫だよ』


「絵里とかから誘われたりは?」


『明日は大丈夫。四日後だね。……って、なんで絵里の名前を出すの?』


 なんだか墓穴を掘ったらしい。電話口から漏れる彼女の声が冷たかった。


「いや、この前強烈だったから。印象に残ってて」


『ふーん。へー。ほー』


 居た堪れない気持ちに、俺はなっていた。無実なのに。やはり彼女は嫉妬深い。


「と、とにかく。明日、気を付けて来てくれよな。明日渚と遊べるだなんて、今から楽しみでしょうがないぜ!」


『誰の真似よー』


 快活なことを言うと真似事と思われる辺り、彼女の中の俺のイメージはそこそこ凄惨なようだ。まあ、演技なのは事実なのだが。

 ただまあ、一先ずは明日の予定が決まったことに、俺は内心喜んでいた。


『ねえ、宗太?』


「何?」


『明日、まずは一緒に部屋の掃除をしようね』


 面白くないワイドショーに向かっていた視線が、室内に移された。

 脱ぎ散らかされた衣服。

 廊下の片隅で鎮座するいっぱいのゴミ袋。

 テレビの上の主張激しいホコリ。

 そして、ティッシュいっぱいのゴミ箱。


「……はい」


 せめてゴミは渚が来る前に捨てよう。そう思った。

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