成人式の日、幼馴染が婚約したことを知る。
ミソネタ・ドザえもん
長くて短い三連休
結婚していく幼馴染
小学生の頃、二十歳になる自分というものが想像出来なかった。両親を見て育ち、姉を見て学び、自分という人間がいかに未熟なのかということを身に沁みさせられていた。それを見て反省し精進をしようと思ったことはなかったが、だからこそ自分は大人になんてなれないんだと思っていた。
だけど、そんな自分の気持ちとは裏腹に時間というものが勝手に過ぎていくことを、俺は知っていなかった。
気付けば二十歳になり酒を飲める年になった。
ああ、自分は大人になったんだとその時気付かされた。でも、何かを変えられることはなかった。変えられるほど、俺は自分がどうすれば大人になれるかをわかっていなかった。
そして何より、大人になんてなりたくないと思っていた。
大人は辛い生き物だと思っていた。
保護される立場から保護する立場へ。それは相応の覚悟を伴うはずだと思っていた。内心でまだ子供の俺には、それを決心するだけの覚悟がなかった。
子供でいたい。
昔に戻りたい。
そんなことを考えながら学生生活を謳歌していた。そう、謳歌していた。大学生活は楽しかった。馬の合う人間と出会えて、一人暮らしをしたために自分の時間が多く出来て、暇な時間に何をしても咎める人もいなくて、そんな環境が居心地悪いわけがなかったのだ。
だから、学生生活は謳歌していた。
だけど、ゲームをしすぎてすっかり深夜帯になった頃、一日中洗濯機の中に放っておいた洗濯済みの洗濯物をかける時とかに、思わず叫びたくなるくらいの疎外感を覚えていた。
果たして自分は大人になれているのだろうか、と。
成人式が開催されたのは、身も縮こまるような寒空の日のことだった。三連休に合わせて帰省し、新成人の集合場所となっている県民ホールに友達の運転する車で向かった。
入学式以来に着るスーツは、当時より少しきつかった。不摂生な生活を続けていたが、どうやら多少体重が変わっていたらしかった。
車内は運転手の大友と俺を含めて、四人が乗車していた。皆が久々の再会だからか、車内の空気はとても明るかった。そうこうしている内にあまり込み入っていない道路を過ぎ、県民ホールに車は到着した。ホールの駐車場には、既にたくさんの車が停まっていた。
「成人式、寝るかもしれん」
車を降りると、俺は大友に軽口を叩いた。事実、昨晩は帰省してからスマホを深夜まで弄っていたから寝不足だった。
「寝てても構わんべ。咎める奴なんていない」
これから大人になろう立場の人間が吐くには軽率な発言だったが、久々に会う友人との会話はそれだけで楽しかった。
駐車場を出てホームの入り口に向かう途中、目立つ白のスーツの男や煌びやかな振袖の女子を遠目に眺めていた。ここで成人式をする人は当時同じ学区だった人が多いためか、大体の人の顔に見覚えがあった。多分、中学の同級生だったのだろう。
「おお、大友ー」
「エンドウ、久しぶりじゃん」
大友含む一緒に会場に来た友人が、別のグループに呼ばれて連れて行かれた。俺は一人ポツンとその場に残された。
顔馴染みの連中が多いからか、どうしてか俺は浮足だっていた。手持無沙汰になって、とりあえず寝不足からくる大あくびをかまして、タバコでも吸うかと喫煙所に行こうと思っていた。大友らとは後で合流すればいいと思っていた。
「あらあ? 宗太君?」
喫煙所へ移動しようと思ったところで、俺は突然呼び止められた。その声に聞き覚えがあった。
「あ、おばさん」
俺を呼び止めたのは、俺の幼馴染である神崎渚の母だった。
「久しぶり、元気にしてた?」
「ええまあ。ぼちぼち」
まるで我が子の成長を喜ぶように、おばさんは俺に満面の笑みを見せていた。照れくさくて、俺は頭を掻いていた。
「そう? 大学の方はどう? 上手くやれてる?」
「それはまったく問題ないですね。あ、嘘。ちょっと単位がまずいかも」
おばさんが楽しそうに笑った。
「おばさん悲しむから、ちゃんと四年で卒業しないとね」
「就職したくないんでうんとは言えないです」
「あらあら、不真面目さんだこと」
くすくすとおばさんは笑った。久しぶりの会話がどうしてか、俺も懐かしいと思うようになっていた。
……そういえば。
「お母さん、じゃああたしそろそろ行くから」
おばさんがいるということは、それはつまり、渚もいるのではないだろうか。
そう思って周囲を見回した時、丁度当人と目が合った。煌びやかな振袖姿で車の陰から現れた渚の周囲には、同じように振袖姿の小学校からの女子同級生がたくさん並んでいた。彼女のグループの女子達だった。
だったのだが、どうしてかそちらに視線が向かうことはまったくなかった。
「……あ」
こちらに気付いた渚が、微かに声を漏らした。
……神崎渚。
俺の幼馴染で、中学までは同じ学校に進学していた腐れ縁の人。
彼女との出会いは、田舎である地元の近所付き合いのためなのか。はたまた両両親が農家を営んでおり、まだ小さい俺達を同じ保育園に預けたことがきっかけか。とにかく色んな外的要因が合わさって、実に0歳の時に俺達は出会った。
出会いの記憶はないが、それから小学校低学年の頃まではよく一緒に遊んだ記憶がある。家が田舎基準で近かったことや、両母親が仲が良かったことが理由で、玄関先で長話を始めた母親に呆れて、彼女の家で母親達の気が済むまで遊ぶ羽目になったことが多かったのだ。
彼女とは幼少期、よく一緒に遊んだ。
彼女の家でアニメを見たり、彼女の家の傍で彼女の兄も混じってかけっこをしたり。本当に色々。当時の記憶は、加工された宝石のように眩く光り輝いていた。
だけど、それはあくまで幼少期の話。小学生高学年になると碌に会話した記憶もなく、中学でもそれは同様。
どうしてそうなったのか、というのはイマイチ定かではなかった。
……多分、異性とつるむのは恰好悪い、という謎の固定観念に俺が苛まれたせいなのではないだろうか。
それかもしくは……彼女、美人で頭もよかったから。
そんな彼女の隣に立てる自信が、俺にはなかったから。
それのどっちか、なのではないだろうか。
……まだ小さい頃には気にならなかったことも、大人になる過程で気になりだすことがある。俺はそれが、渚に対する劣等感だったのだ。
と、そんな劣等感は今はどうでもいいではないか。
とにかく今は、旧友との再会を喜ぶべきなのではないか。
そう思って、俺は一歩渚に近寄って、声をかけようと思った。
コンマ数秒の世界で、俺は思考を巡らせて彼女に何を言おうかと考えた。何を言おうか考えて……彼女の姿をゆっくりと眺めた。
そして、浮かんだ言葉は……。
『綺麗になったね』
『凄い似合ってる』
『付き合ってください』
どういうわけか、常時斜に構えている俺にとって言い難い歯の浮くような台詞の数々だった。
気付けば俺は、何も言えずに口を震わせていた。ただなんと声をかけるか、それを考えるだけなのに。
「久しぶり」
そう言ったのは、渚だった。
「え、あ……うん。久しぶり」
「宗太、随分大きくなったね」
「成長期を迎えて過ぎたからな」
「そうなんだ」
中学の頃までの彼女しか知らなかったが、彼女がほんのりと化粧をしていることに気付いた。そんな魅惑の渚の微笑に、俺は気分がおかしくなりそうになっていた。
タガが外れてしまいそうな気がした。
これまで築いてきた何かを壊滅させる、絶望的な何かが。
だけど、それも悪くないと思う自分がいた。
「宗太、同窓会には出席するの?」
渚の言葉に、不意に我に返った。
「……出る」
「そっか。じゃあ楽しみにしてるね」
結局何も言えず、渚が女子友達と一緒に会場へと向かっていった。後悔の念が押し寄せていた。一歩を踏み出せなかったことへの後悔が、胸中でどす黒い渦を巻いていた。
「どう、ウチの娘は?」
「へ?」
おばさんに小突かれて、情けない声が出た。
「我が娘ながら、可愛く成長したと思うのよね」
「……そうですね」
否定のしようはなかった。
「でももうすぐ妻になると思うと、やっぱり早いと思っちゃうのよね」
耳を疑った。
震えが止まらなかった。
身も縮こまるような寒さが原因ではなかった。それだけははっきりしていた。
妻になる。
それはつまり、渚がまもなく誰かと結婚することを言い表していた。
あの美しい渚が、誰かの女になったことを意味していた。
大友と一緒に会場に入り、市長の話を聞き、レクリエーションをして、成人式はお開きになった。
そのまま、同窓会の時間まで大友含めた中学の同級生と遊ぶことになった。
外面は微笑んでいたが、内心はまったく気乗りしてなかった。
朝聞いた渚の結婚話を、俺は未だ引き摺っていた。
大人になんてなりたくなかった。
子供のままでいたかった。
見知った少女の結婚は、それはつまり同い年である自分も大人になったことを意味していたから。
だから俺は、ここまで気落ちしてしまったのだろうと思っていた。
県民ホールを出て、バイパス道に出てファミレスに向かった。
「大人になったんだからこじゃれたレストランに入るんじゃねえのかよー」
車内の誰かが、愚痴っぽくそう言うと周囲は同調するように笑っていた。俺は、どうしてかまるで笑う気にもなれず車窓の景色をぼんやりと眺めていた。
……車窓からの景色を眺めていたら、見覚えのある景色に意識が覚醒させられた。そこは家の傍だった。
この辺は、幼少期に渚とよく遊んだ場所だった。
末っ子気質だった俺は、当時から我儘な性格をしていて、アニメに飽きれば渚を連れて外に出た。そうして何をするかと言えば、特に何かをしたわけではない。何をするかを提案してくれたのは、いつも渚だった。我儘な癖に、俺は計画性もなかったのだ。
渚の提案する遊びを二人で楽しみ、薄暗くなった頃に家に帰った。渚と遊んだ日は、俺は特に上機嫌だったことを覚えていた。明日も彼女と遊びたいと親に言い、我儘言わないのと怒られた回数は数えきれない。
彼女と遊んでいる時間はとても楽しかった。
どんなことをしていても楽しかった。
隣に彼女がいるというだけが。
彼女が俺の願いを叶えてくれることが。
たまらなく嬉しかったんだ。
ああ、そうか。
俺は大人になる現実を直視したくなくて、彼女の結婚にショックを受けたのではなかったのだ。
……俺は、彼女のことが好きだったんだ。
そういえばかつて、彼女と俺は一つの約束を交わした。幼少期の、叶うはずもない、些細な約束。
『大人になったら結婚しようね!』
彼女の明るい朗らかな声が、脳裏に蘇った。
だけど、今更そんなことを思い出しても。今更彼女への好意を確信しても。
……もう、遅い。
最早どうすることも出来ず、俺はファミレスで一人乾いた笑みを浮かべていた。
同窓会会場は、旧友との再会を楽しむ若人達の活気ある声で満たされてた。
俺も社交辞令とばかりに、かつての思い出話をクラスメイト達中心に楽しんだ。だけど、心が晴れ渡ることは決してなかった。
渚は、振袖姿からパーティドレス姿に変わっていた。遠目から見た主観的意見だが、とても似合っているように見えた。
「宗太君、久しぶり」
遠目に渚を見ていたら、声をかけられた。化粧をしているから、誰かはわからなかった。
「もう、笹塚だよ、笹塚」
笹塚さんは、中学三年時の俺のクラスの委員長だった。
「ああ、笹塚さん。これはどうも。お久しぶりです」
「めっちゃかしこまるじゃん。そんなキャラだっけ?」
「時が経てば人は変わるんだよ。そういうものさ」
かつては隣で微笑んでいてくれた渚も、今や遠い人だもの。
そう軽口を叩くと、笹塚さんは愛想笑いを返してくれた。それくらいの反応が一番有難かった。
「今何やってるの?」
「大学生だよ」
「大学は?」
「一応、K大学です」
「へえ、凄い」
「笹塚さんは?」
「H大学」
思わず目ん玉が飛び出しそうになった。彼女、俺なんかより全然有名な大学に行っていた。
「学歴で勝てるとわかって聞いてきたな?」
「エヘヘ。宗太君、結構頭良かったから」
それで張り合おうとするとは、中々に幼稚な人だ。
「あとは……渚ちゃんくらいか。勝ってるかなー」
笹塚さん、どうやら本当に学歴自慢だけが目的で俺に声をかけてきたらしい。
どうやら俺への興味がなくなったらしく、笹塚さんが探し出したのは渚だった。渚は学年で一、二を争うくらいに頭が良かったな、そういえば。
よく笹塚さんと争っていた。
「渚なら、Y大学だよ」
「え、県内なんだ」
「……色々あったみたいだよ」
学費の問題だとか、兄がいたこととか。
まあ全部、仲が良い母伝いに聞いた話だが。
言った後、他人の下世話を吹き込んだことへの罪悪感に俺は駆られた。
「詳しいね、渚ちゃんのこと」
笹塚さんの興味が、一人俯く俺に戻された。
俺は喉が渇いていくような錯覚に駆られていた。
「親が仲良いから」
「へえ、そう」
下世話な視線を、笹塚さんは寄こしていた。俺と渚の関係を暴いてみせると意気込んでいるようにも見えた。
「ねえねえ、もうちょっと話しましょうよ、宗太君」
「いいよ。どうせ面白くない話になるし」
「宗太君にとって面白くなくても、あたしにとっては面白くなると思うの」
そう思って欲しくないと訴えるように、彼女に嫌な視線を寄こした。
「宗太」
なんとか笹塚さんを引っぺがす手段はないかと思っていると、現れたのは渚本人だった。
「……あ」
「取り込み中だった?」
「い、いや。全然」
「そっか」
渚は微笑んでいた。
「笹塚さん、宗太のこと借りるね」
渚の有無を言わさぬ迫力に、
「あ、うん」
笹塚さんはたじたじになりながら、俺達の元を去っていった。
「さっき、あんまり喋れなかったからさ」
「……うん」
渚に手を引かれながら、弁明のような言葉に曖昧に頷いた。
「久しぶりだよね、本当に。昔は色々やったのにね」
「そうだったよな」
歯切れが悪くなっていくのがわかった。昔を懐かしむ渚に、言いようのないどす黒い感情が渦巻いていくのがわかった。
「楽しかったよね。砂場遊びとか、駆けっことか。宗太は昔から運動オンチだったから、大体あたし勝てたもん。でも、徹底的に負かすとすぐ不貞腐れてさ。アニメ見ようって家に戻りたがるの。今でもアニメは好き?」
「……ぼちぼちかな」
「そっかー。なに飲む?」
楽しそうに微笑む渚が連れてきたのは、会場後部にあるドリンクスペースだった。開始前は大量に並んでいたビールが、もう残り少なかった。会場が酒臭いと思っていたが、相当呑んべえがいるらしい。
「お酒、飲む?」
「渚は?」
「あたし、運転手だからさ」
「……じゃあ、一本だけ」
渚が頷き、茶色いビール瓶の蓋を開けようと栓抜きを噛ますが、苦戦しているようだった。
「あれぇ?」
「まったく。貸して」
しどろもどろする渚にやきもきして、栓抜きを強引に奪おうとした。
そして、
「あっ」
手が触れた感触を感じて、慌てて手を退けた。
栓抜きが一度、二度と跳ねて、床に落ちた。
「……もう、大丈夫?」
「ごめん」
「はい。頼みますよ、男子さん」
栓抜きと一緒に、渚の手の温もりを感じた。
意識しているのが俺だけだとわかると、どうしようもなく泣きそうな気分だった。
栓を開けて、ビール瓶をラッパ飲みした。ビールの苦味が喉を刺激した。
「ち、ちょっと宗太?」
一瞬、視界がグラついた。日頃酒はあまり飲まないから、多分それが原因だった。
ビールを飲み終えると、渚が驚き交じりに心配そうな顔で俺を見ていた。
「はしたないよ」
「ごめん。盛り上がるかなって」
「既に大分盛り上がってるでしょ、この会場」
渚はそう言って、苦笑した。
「本当、宗太は昔から考えなしだ」
渚の苦笑に、巡りかけたアルコールが冷めていくのがわかった。
……この苦笑には、見覚えがあった。
幼少期、末っ子気質で我儘な俺は無計画な行動で度々渚に迷惑をかけた。具体的には、彼女の家の皿を割ったり、彼女の前ですっ転んで膝を擦り剥いて大泣きしたり。
その度に彼女は……今みたいな苦笑気味な笑みで俺を慰めてくれた。
彼女は、変わってなんかいなかったんだ。
ならば、どうして彼女の隣に俺はいないのだ。
変わってしまったから。
俺が、変わってしまったからなんだ。
裏切られた気持ちでいたのかもしれない。
幼少期の一度は忘れた思い出を言質として、彼女に裏切られたと思っていたのかもしれない。
だからショックを受けた。
……だから、彼女の顔を直視出来ない。
でも違う。
彼女を裏切ったのは……きっと俺なんだろう。
「渚」
「なに?」
「大学は楽しい?」
「うん。楽しいよ。色んな好きなことが出来てさ」
「バイトとかしてるの?」
「してるよ」
「へえ、どこで?」
「家の傍のカフェ。時給良くなくてね。辞めようか悩んでる」
「……そうなんだ」
渚との会話は、まるで十年振りに作りかけのパズルに触れたような懐かしさを俺に与えた。
燻っていた感情に、何かが灯ったような錯覚を与えた。
だけど、彼女がもう別の人の隣りにいることを思い出すと、涙が溢れそうだった。
「渚」
……だけど。
「なに?」
泣くより前にこの気持ちを彼女に伝えたかった。
「凄く、キレイだ」
彼女の頬がほんのり紅く染まった気がした。
それからもヤケ酒を続け、同窓会は閉幕した。
渚と会話して以降の暴れっぷりは相当だったようで、帰っていく同級生から口々に賞賛交じりの声をかけられた。
意識ははっきりしていた。
それが救いだったが、千鳥足は止みそうもなかった。足取りだけでなく、立ち上がると吐瀉物を吐き出しそうなくらい気持ち悪かった。
「お前な、酒を飲んでも飲まれるなよ」
大友は介抱しながら俺を叱った。田舎育ちの小さいコミュニティ故、彼もまた俺とは0歳からの仲。この世で一番、俺の気を汲んでくれる良き友人だった。
「誰がおぶって帰ると思ってんだよ」
「ごめん」
ただ今回ばかりは、彼に頭が上がらなかった。
「大友」
「ん?」
そんなうんざり気な大友に声をかけていたのは、渚だった。
「宗太、あたしが引き取るよ」
「いいの?」
「うん。高校の同窓会もあるんでしょ」
「ある。じゃあ頼むわ」
一連の流れを椅子に座り聞きながら、この世で一番の良き友人の変わり身っぷりに頭を抱えそうになった。
薄情な奴め。
「立てる?」
大友が立ち去った後、渚は優しく尋ねてきた。
「無理」
「そう? でも頑張って。そろそろ施錠されちゃうから」
それは確かに、頑張らないと。
「他の女子は?」
「別の人に送ってもらうことになったよ」
「……ごめん」
「いいの。皆悪酔いするし酒癖悪いから、一人シラフは大変なんだ」
彼女はゆっくりと俺の手を引いて立たせて、肩に腕をかけた。
心臓が高鳴った。
「ゆっくり歩くから」
「……すまんなあ」
情けない声を出しながら、会場を出て、彼女のものらしき軽自動車の助手席に座らされた。シートベルトを閉めてもらい、リクライニングも倒してもらった。
まもなく、運転席に彼女が乗り込んだ。
「……免許、持ってたんだ」
「当たり前でしょ。こっちで車無しは生きてけないよ」
渚が苦笑した。車が発進した。
酔いが回っているものの、彼女が安全運転を心掛けているおかげか気持ち悪さが膨らむことはなかった。
ただ、まもなく人妻になる人に迷惑をかけていることへの申し訳なさが生まれてきた。
「本当、ごめん」
「いいよ。宗太に振り回されるのは慣れてるもの」
エンジン音が、苦笑する彼女の声を掻き消した。
街灯が目を瞑り真っ暗な視界を少しだけ照らした。
「……結局さ」
「ん?」
「宗太の話、全然聞けてないなと思って」
成人式前は短い会話。同窓会中は俺のやけ酒。
ああ、確かに。
「ねえ、宗太?」
「ん?」
「……高校は楽しかった?」
「え、そっから?」
少し呂律が回らないながら、尋ねた。返答はなかった。
「ほどほどに」
沈黙に耐えかねて、俺は言った。
「ほどほどって、どれくらい?」
「えぇ? ほどほどはほどほどだよ」
「宗太、昔から面倒になるとすぐそれじゃん。ほどほどがほどほどじゃないの」
……そう言われれば、かつてそれは大友からも指摘されたな。
「……文化祭は楽しかったなー。ダンスしたり模擬店やったり。ほら俺、あんまり女子と絡みがなかったから……だから、凄いね、なんて一言言われると凄いやる気が出てさ。馬鹿だよな」
いつもなら斜に構えるのに、酒のせいか自虐的な言葉が漏れた。
「他には?」
「体育祭も。活躍したら女子に一目置かれるかなって」
「女の子の話ばっかりだね」
渚の声が冷たい気がした。だけど、彼女は別の男を愛したはずだし、気のせいだろう。
「まあ、結局彼女は出来なかったけど」
「ふうん。じゃあ大学は?」
「楽しいよ。馬の合う友達ばかりで」
「友達のことはいい」
「え?」
叱られて、素っ頓狂な声が出た。じゃあ何を聞きたいんだろう。今度ばかりは、俺は沈黙した。
「……女の子は?」
「理系だから、まったくだけど……」
疑心暗鬼になりながら伝えた。
「本当?」
「おう」
「本当に本当?」
「おう。……なんでそんなこと気にする」
車が赤信号で停止した。
渚が収納スペースを漁りだし、一枚の紙を見つけた。
「はい。これ」
彼女は俺に、その折りたたまれた紙を差し出した。
「明日までに判子を押して持ってきてね」
「……なにこれ」
折りたたまれた紙を開いた。車が発進し、街灯に薄紙が照らされた。
街灯に照らされた紙には……。
『婚姻届』と書かれていた。
キチンと妻の欄には渚の情報が記載されていた。
「えっ」
素っ頓狂な声が出た。
「明日、一緒に役所に持って行こうね」
「え?」
「え?」
渚は首を傾げた。
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