#1 第一話から解説するからって甘やかすと思うなよ

第一講 お嬢様八ヶ崎翠、爆誕


 シャリヤは俺の前で額を揉んでいた。どうやら俺との出会いを思い出しているらしい。


「というかさぁ」

「は、はい……?」


 口調が相変わらずヤクザ者っぽいせいで、生理的に出てくる言葉が敬語になってしまう。シャリヤは年下なのだけれど……まあ、こればかりはしょうがない。

 シャリヤは額を揉んでいた手で、そのままこちらを指差した。怪訝そうな視線を向けられるとゾクゾクしてくる。Mの素質があるのかもしれない。


「お前、人の家の中にいきなり転移してさ。よくパニックにならずいきなり言語解読とか始めたよな。変人だよ、変人」

「ぐぅ……ごもっともです……」

「まあ、それを追い出さずに家に留めてたアタシも、アタシだけどな」


 腕を組みながら、過去を読み返すように彼女は頭をもたげた。

 窓の外ではエレーナがフェリーサの手当をしていた。フェリーサは走り出したそうにうずうずしていたが、立ち上がろうとするたびにエレーナがその両肩を押さえて座らせていた。


「それで、アタシが最初に言ったのが "Harmaeハーマエ co esエス tirneティーネ?" だったな」

「ああ、そういえばそうだった……」

「なんだ、本編だとあんだけ記憶力良いのにいきなりアホになったか」

「酷い言い草だな! ってか、本編ってなんだよ!!」


 シャリヤは肩をすくめて、「答えてやんねー」とでも言いたげに首を振った。これもまた「大人の事情」とかいうやつなのか。というか、シャリヤはまだ未成年だろう。大人の事情って誰の事情なんだ? レシェールか? ヒンゲンファールさんか? 考えても答えは出そうにない。


「それで? 意味は分かるんだろうな」

「あ? ああ、『君は誰なの?』くらいの意味だろ」

「ケッ」


 どうやら俺の回答にご不満なようだ。


「何かおかしかったか?」

「9割正解だが、1割不正解だよ。バカ野郎」

「おいおい、暴言言ったら面白いとでも思ってるのか?」

「面白半分でやってると思うか?」


 気づいたときにはいつの間にか首根っこを掴まれて前後に揺すられていた。振り回されるたびに意識が飛びそうになる。マズい。宥めねば。


「ご、ごめん、で1割不正解ってのは何なんだよ?」

「あ? tirneティーネの解釈だよ」

「てぃ、てぃーね?」


 確かに"tirneティーネ"は良く分からない単語だった。

 大意は"Harmae coあなた es~である"でもう分かる。"tirneティーネ"は何度も出てきたが、文全体の解釈にはほとんど影響しないため無視してきたのだ。大体疑問を表す言葉だと思って使っていたが、確かフィアンシャかどこかで使った気もする。


「それがイケねえんだよ」


 ベシッ!

 シャリヤにいきなり叩かれる。ううん、悪くな――じゃなくて、痛え!!

 俺は涙目になって頭を押さえつつ、後ずさった。


「いたい……」

「甘えんな、だから読者が勘違いすんだよ」


 シャリヤは腕を組みながら、頭を押さえた俺を見下していた。容赦はないらしい。うむ、打ちどころは悪くなかったらしい。痛みはすぐに引いた。ツッコミの流儀を押さえたアレス・シャリヤ……?

 わけがわからない。


「せ、説明を頼む……」

「"tirneティーネ"は疑問の終助詞みたいなもんだ。そっちの文法用語ではって言うヤツだ」

「じゃあ、俺の解釈はあってたんじゃないのか」

「いいや、リパライン語には複数の疑問の相位詞がある。"tirneティーネ"、"dorneドーネ"、”xerneシェーネ"……」

「つまり使い分けがあるってことだな?」


 シャリヤは俺の問いを無視しながら、部屋の奥の方に歩いていった。そっちのほうにはキッチンがある。冷蔵庫を開けて、何かの紙パックを開けて一口呷った。

 ふぅ、と一息ついてから、俺の方に向き直った。


「ああ? なんか言ったか?」

「いや、疑問の相位詞には使い分けがあるんだろ? "tirneティーネ"は他と何が違うんだ」

「ああ、それ、女性が使う相位詞なんだよ」

「は?」


 そうだ、思い出した。

 足元を怪我したシャリヤと共に教会フィアンシャに行ったときに、ノリで"tirneティーネ"を語尾につけて聖職者シャーツニアーに変な目で見られたんだった。

 "tirneティーネ"は「~かしら」という感覚の単語だったのだ!


「うっわ、今さら恥ずかしくなってくるな……」

「良い解決方法があるぞ」

「なんだか良くない気がしてくるな」

「お前がお嬢様になれば良いんだよ」

「は?」


 唖然とする俺の前で、シャリヤはフリルマシマシのドレスを両手に掴んでいた。いつ、どこから取り出したのかさっぱり分からないが何をさせられるのかは容易に想像がついた。


「いや、待て、そういうのはもっと童顔の可愛い男の子にやらせ――」

「アァン? なんか文句アンのか、ゴラ?」

「ヒィ……!」

「女の子がお前のためにせっかく見繕った洋服だぞ。着ろよ」


 シャリヤはドレスを両手に鬼の形相でジリジリと迫ってきていた。もう逃げ場はないらしい。

 俺はがっくりして、頭を垂れた。


――数十分後


「おーほっほっほ! わたくし、お☆嬢☆様! 八ヶ崎翠でございますわよ!! おーほっほっほっほっほ」


 良く覚えていないがいつの間にかドレスを着させられた俺――わたくしは手の甲を添える良くあるポーズで高笑いを上げていた。

 一方、シャリヤはそれを見て完全に引いていた。自分で勧めたくせに。


「ど、堂に入ってやがる……なんか変なスイッチを入れてしまったみてえだな……」

「おほほ、シャリヤさん、そんなお言葉遣いではお嬢様にはなれませんわよ! おーほっほっほ!!」

「アタシは別にお嬢様じゃねえし……」


 妙な空間が完成していた。なお、そのあと部屋に入ってきたヒンゲンファールさんにドレス姿を目撃され、シラフに戻って絶望したのはまた別の話である。


* * *

【今回のまとめ】


〈単語〉

harmaeハーマエ

 【名詞・接続詞】誰

co

 【名詞】あなた、君

esエス

 【自動詞】(-'sは-'c)である、です

 【他動詞】(-'sは-'iを)する、やる、行う

tirneティーネ

 【相位詞】疑問(女性)

dorneドーネ

 【相位詞】疑問(男性)

xerneシェーネ

 【相位詞】疑問(中性)


〈文法メモ〉

・"tirneティーネ"は女性の疑問を表す相位詞です。男性が使ってはいけないわけではありませんが、通常は聞き手に違和感を与えることでしょう。

・疑問の相位詞に関しては文法書の9.1.2.3.に詳しい説明が載っています。

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