それはあの夏の日の

 僕と毘奈は日がかげって閑散とした商店街を、駅に向かって無言のまま歩いていた。

 毘奈は既に泣きやんではいたが、普段快活で愛嬌のある彼女が酷く泣き腫らした顔をしている。

 さすがに何て声を掛けて良いものか、僕は気を揉んでいた。でも、この居たたまれない空気のまま帰るのは嫌だった。



 「こんなことになっちゃったのは残念だけどさ、まあ、あれだ……一つだけいいこともあったな」

 「……え……なに?」

 「だってさ……その、またお前と……ここに来ることができるだろう?」



 全く、なんで僕が毘奈なんかに、こんなこっ恥ずかしい台詞を吐いてやらなきゃならないんだよ。今回限りだからな。

 毘奈はハッとした様子で僕を見上げると、これ以上ないくらい渾身の笑顔を見せて肯いた。



 「……うん、そうだね! また来よう、吾妻!」



 商店街を抜けた先に見える遠くの空には、幻想的なママレード色に染まった雲が浮かび、僕らが歩いて行く先を淡く彩っていた。

 どうやら、大人の階段ってやつはまだだいぶ遠くにあるらしい。だからそれまで、もう少しの間この鬱陶しくてお節介な幼馴染と、子供時代を一緒に満喫しようじゃないか。



 「色々あって腹減ったな、何か食べて帰ろうぜ、今日は奢るよ。明日のデート代も浮いたことだしな」

 「嘘!? ホントに? じゃあ私、叙情苑で特上カルビ食べたーい!」

 「馬鹿なの? そんな高い物、中学生が奢れるわけないよね?」

 「ええー! たまには可愛くて優しい幼馴染に、おいしいものごちそうしてよ!」

 「本当に可愛くて優しい幼馴染は、失恋したばかりの男子に叙情苑の特上カルビを奢らせたりしません!」

 「ああ、確かに!」

 「確かにって、お前な……」



 ちなみに……。



 この後、僕への罰ケーム告白事件が明るみとなり、榛名 雨嶺に対する男子からの評価は軒並み大暴落となる。

 騙された僕としてはスカッとした半面、自動的に学年可愛い女子ランキング一位となった毘奈が、調子に乗ってマウントをとってくるんじゃないかって、複雑な気分だったよ。

 絶対に内緒にしておこう……。



 そして、すっかり疲れ果てた僕らは、帰りの電車に揺られながら、二人で寄り添うように心地良い眠りに落ちていた。



 ――……



 ――ヒナちゃんは、大きくなったら何になりたいんだい?



 ――ヒナね、ママみたいになりたいからお嫁さんになるの!



 ――ヒナちゃんは気立てがいいからね、きっといいお嫁さんになるよ。



 ――ホントに? ヒナ、可愛くて優しい、ママみたいな嫁さんになれる?



 ――もちろんだとも、おばあちゃんが約束するよ。



 ――じゃあ、おばあちゃんもヒナがお嫁さんになるとき、結婚式来てくれる? 



 ――そうだね、吾妻やヒナちゃんが結婚するまで、生きていたいものだね……。



 ――大丈夫だよ、おばあちゃんいつも元気だもん! 長生きできるもん!



 ――しかしね、吾妻は少し引っ込み思案なとこがあるから、ヒナちゃんみたいな子が吾妻のお嫁さんに来てくれると、おばあちゃんも安心なんだけどねえ。



 ――えぇー! 吾妻とー? 



 ――おやおや、吾妻は人気がないんだね。



 ――だってヒナ、年上でヒナより足の速い人がいいんだもん!



 ――そりゃ困ったね、おばあちゃん今から吾妻が心配だよ。



 ――うーん……じゃあね、おばあちゃん、ヒナが見つけてあげる! 吾妻にとびっきりのお嫁さん、ヒナが見つけてあげるよ! それなら安心でしょ?



 ――おやまあ、ヒナちゃんには敵わないね。でも……ヒナちゃんが見たててくれるんなら、おばあちゃん安心だよ。



 ――だからね、おばあちゃん! ヒナたちが結婚するまで、絶対長生きしてね! 約束だよ!



 ――……



 それは、かつて空がどこまでも広く、世界が偉大であった時代……。

 祖母の優しい眼差しに見守られながら過ごした、あの懐かしき夏の日のように。

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