灰から銀へ

湾野

灰から銀へ

 葬儀に必要なのは、まず穴、次に遺体、そして花だ。

 月明かりに照らされた汎用型金属回収作業体アントは、胸に何かを抱えている。その大きさをみて、私はこっそり安堵する。よかった。追加で穴を掘る必要はなさそうだ。

 何千、何万とスクラップを運ぶ彼らが、どんな基準で「遺体」を選んでいるのかは知らない。何度か訊いたけれど、ろくな言葉をインストールされていない彼らから、答えを引き出すのは難しかった。彼らの持ってくる遺体は、小さな携帯端末から大きな車体までさまざまだった。共通点といえば、特別な刻印や、泥や海水に洗われてなお消えないかつての持ち主の手垢、そういうものが目立つくらいだった。もしかしたら、彼らには機械の声が聞こえるのかもしれない。東洋あたりの信仰で、似たような話があった。もっとも、戦争の火種となる宗教は、人類が南極へ収束する際に統一されて、今じゃ「神」は、すばらしくラッキーなことがあったときの感嘆詞へと姿を変えた。

 古い自律式床清掃機は、内部に泥でも詰まっているのか、記憶より五キロほど重かった。曇った表面は艶消し加工ではなく使い込まれた細かい傷で、ところどころ欠けた辺縁からは、配線とブラシが丸見えだ。側面にこびりついた泥を払うと、この辺りの古語で「かけがえのない相棒」と彫り込まれている。

 掘ったばかりの湿った土にそれ埋め、私はズボンのポケットから、紙で折った花を取り出す。オレンジとライトブルーの花が、薄暗い闇のなかでむらさきっぽく浮かび上がる。私は依頼人を一瞥してから、黙祷し、土をかける。

 こんもり盛り上がった地面の前で、こうべを垂れて弔歌を歌う。ふと隣をみると、彼も同じようにうつむき目を閉じ、両の手のひらを合わせていた。その手を取って、指が互いに組み合うように少し形を変えてやる。この辺りでは、きっとこの祈り方が普通だった。黒い瞳が私を射抜き、それから納得したように閉じられる。

 

 翌日は快晴だった。体を伸ばすと、風に乗った塩がぺたぺたと表皮にくっつく。海が近いのだろう。地表の九割が海にのまれた今では、珍しくもない。

 押し寄せた泥の波がそのまま固まったような斜面の真ん中で、昨晩報酬として受け取った非常食を流し込む。視線を下げると、アリの隊列が見えた。灰色の作業服に身を包んだ彼らは、土砂の下に埋もれている金属資源を、従順に一心に、各地の再生工場へと運んでいく。振り返ると切り立った山があって、そのてっぺんからカモメが滑り降りてくる。

 バイオボトルを地面に埋めようと、土のやわらかいところを探していると、光るものがあった。伸ばした指先が触れる前に、飛んできた石が近くで跳ねる。振り返ると、わずかに緑を残す頂を背に、子どもがひとり立っている。

「危ねえなあ。金属に触れると、毒が体にたまるんだぜ」

 子どもは勢いよく駆けてくると、私の足元にしゃがみこみ、錆びたネジを二本の木の棒で挟みあげた。

「兄ちゃん、ダツナンシャか?」


 金属忌避メタリックフォビアの子どもは、私を脱南者と勘違いしたらしく、いいところがあると私に言った。妙にやわらかい地面から生えた草の根に足をとられながら、すばしっこい子どものあとを必死で追うと、切り立った崖の上に出る。

「ここの浄化を手伝ってくれよ。住むところには困らないぜ」

 地滑りを起こし、むき出しになった断面は、哀れなクジラの胃の内容物みたいに混沌としている。私はようやく、この山が廃棄物の浮島プラスチックフロートであることに気づく。複数の子どもたちが断面にはりついて、長い二本の枝で中をまさぐる。彼らはみな裸足だった。皮の靴は、割れたポリタンクや折れたハンガーで簡単に穴があく。穴の開いた靴は、役に立たない。ひとりの子どもが足をすべらせ、棒切れのような脛に赤い線がにじんでいく。「しっかりしろよ」体格の良い子どもが叫ぶ。「今日こそ、鉄線のひとつでも掘り当てねえと、もう三日も食ってねえんだ」

 ポケットの中の包帯をにぎって一歩踏み出したとき、肩を掴まれた。

「聖なる勤めです。邪魔をしてはいけません」

 女性が、アーカイブにある西洋画のような微笑みのまま首を振る。子どもの白い足首を血がつたって、色あせたカラーコーンの上に点を描く。

 故郷でも、こういうことはよくあった。もっとも向こうでは、選別は彼らの肺がふくらむ前に終わった。頬をなでる風を知ってから灰になるのと、足を切り裂かれる痛みを知る前にタンパク質に還るのとでは、どちらがしあわせなのか、私はまだ答えを出せない。まぶしそうに目を細めて子どもたちを見つめる女性は、自分に取り込む情報量を、できる限り少なくしているようにも見える。


 夜になり、ねっとりと堆積した熱い空気をかき分けて戻ると、一人のアントが待っていた。服の破れの位置から察するに、昨日とは別の個体だ。彼らは独自の言語を持っていて、私はなぜか、彼ら全員から知られている。

 彼は、身の丈と同じくらいの荷物を横抱きにしていた。私はシャベルに手を伸ばす。分解して埋葬することを好まない彼らのために、大穴を掘る時間を計算しながら、私は荷物を横たえるよう指示した。覆われた布をはぐと、よく見知った顔が現れる。運んできた男は、眉ひとつ動かさない。シャベルをにぎりなおしたとき、横たわるアントの胸がわずかに上下していることに気づいた。

 ヒトひとり抱えながら山を登るのは、さすがに堪えた。抱えたアントは、長時間稼働したあとのモーターのようにこもった熱を発している。眠りを破った不届き者を、昼間の女性は例の笑みで迎えてくれた。

 外をうごめく灰色のアリの中身を知らない村人たちは、作業服を脱いだ彼を親身になって治療してくれた。空が白み始めるころ、ようやく医者らしい人物が「峠は越えた」と頷いた。思えばそこで、非常解放したメモリを通常に戻したのがいけなかった。状況把握よりも、私は、自らの本能であるバッテリー切れにまず注意を向けてしまった。バッテリーが切れたら動けなくなってしまうので、当然の判断ではあった。けれど少なくとも、それは隠れてするべきだった。

「非常食」を腹部の電源ポートに差し込んだとき、がしゃんと音が鳴った。昼間の子どもが青い顔で震え、足元の地面はスープを飲み込んでいる。子どもの上げた悲鳴がなんだったか、そのあたりのログは破損がひどくて読み込めない。とにかく私は、わらわら出てくる彼らのうちの誰かに殴りつけられ、そうして今回も脱落する。


 悼むという感情を、私たちは正確にトレースできない。そんな私たちが弔いなんて、ヒトは「皮肉だ」と笑うだろう。

 きっかけは六十七年と三日前の南外視察だ。それはいわゆるパフォーマンスの見せかけで、最北に竣工された施設の長と私たちの護衛対象は、ぴかぴかの建物の前で固く握手を交わす映像を撮るや否や、暑い、かなわんと、早々に建物に戻り始めた。合成でないだけ、まだ誠意があるのかもしれなかった。

 傍にひかえていた機械護衛の私だけが、それに気付いた。建物の死角で、灰色の作業服の男が、だらりと横たわる同じ顔の男の肩を揺さぶっている。男の頬の、水の蒸発したあとを、高性能カメラが瞬時に捉える。

 作業員アントは人ではないとプログラムされていた。涙は人しか流さないと学習させられた。大量のエラーが、つじつまを合わせようとして失敗する。

 ヒトかどうか判断ができない場合は、ヒトとして対応するように作られた。生命反応のないヒトを見つけた場合は、警察もしくは救急を呼ぶ。でも、ここにはどちらもいない。責任者を呼ぶ。辺りには、誰もいない。ならば、私が弔うしかない。

 会食のマナー、サミットでの立ち居振る舞い、そんなものと同じように、葬儀の手順はインプットされていた。私は横たわる男の前にひざまずくと、両手を組んでまぶたを下ろす。そこではじめて、ヒトは、この沈黙の時間に何を考えるのかと気になった。

「そこで何をしている!」

 エラーを処理していた私よりも、彼の方が速かった。私の胸を照らしていた赤い照準が影に消えて、赤い血がきらきらと宙を舞った。二対一だ、と私は思った。涙と赤い血。アントは人間である、と定義を更新しながら、続く銃声に私は活動を停止する。


 ヒトを守るために壊れることはあっても、守られたうえに壊してしまったことはなかった。予期しない殺人のログはサーバーに同期され、共有され、咀嚼される。《ヒトを幸せにするために》、果たして我々は、死んだヒトに何ができるだろう? さみしそうなヒトにはあいさつを、怪我をしたヒトには救いの手を、ならば、遺体には花を。私をかばった彼は、きっと埋葬されてはいないだろう。私が花を手向けにいくべきだ。

 それは、ヒトでいう「贖罪」によく似た情動モジュールだと、後に私たちは定義づける。


 最初にそのタスクを任された私は、旧大陸行きの船内で、エラー発症体として処分された。二人目は旧アフリカ大陸の半ばでエネルギー切れ、三人目は目的地に到達寸前で、金属狩りの集団に見つかってバラされた。

 私たちに死は存在しない。データは常に共有され、いつだってバックアップがある。私は前の《私》が残したシャベルを拾い上げる。遠くで灰色のアリたちが、自分たちの何倍もの値打ちを持つ鈍色のガラクタを、赤い血をにごらせながら、銀の建物に運んでいく。そのうちの一人が私に気づき、隊列から離れた物陰につれてゆく。

 不自然に盛り上がった土に、包帯を結んだ平たい石が刺さっている。彼は作業服を脱ぐと膝をつき、両の指を組み合わせて目を閉じる。教えたばかりだというのに、遥か昔からそうしてきたかのように、その姿はしっくりなじむ。灰から銀へ変わりゆく世界で、それでも私たちはくすんだ灰色に焦がれ続ける。紙で折ったニセモノの花をそっと石のたもとに置くと、彼はうれしそうに白い歯をのぞかせる。

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