ヤギサンダヨ

第1話

 ある日、終電で仕事から帰ってくると俺の部屋に「俺」がいた。その「俺」は俺のベッドに腰掛けて、今までネット検索でもしていたらしく、片手にスマホを持って、少し驚いた様子で俺の顔を見上げた。俺は、

「お前誰っ!」

と反射的に大声を出してしまったが、この質問が明らかにトンチンカンなことを自分でも承知していた。なぜならその「お前」は紛れもなく俺なのである。着ている服も同じだ。もちろん髪型も。

 「やはり思った通りだ。」

 「俺」はそう呟くと困ったことになったという表情で、再びスマホを操作し始めた。そして言った。

「すまない。ちょっとミスった。全部俺が悪い。迷惑かけて申し訳ない。」

 わけのわからないことを口にする彼を見つめながら、俺はついに自分がおかしくなったと思った。ここのところ同僚が新型コロナ感染症で入院してしまったため、仕事が全部俺に回ってきていたのだ。毎日毎日、残業残業残業。へとへとになってろくに睡眠時間も取れない毎日が続いていたから。つまりこれは幻覚だ。以前ヨットで世界一周をした人がテレビで言っていた。孤独な毎日が続くと、ある日突然もう一人の自分が現れて、私はそのもう一人の自分と夜通し会話をしたものですよ、と。俺はエンジニアとして広告会社でシステム管理部に所属しているわけだが、同僚がみんな欠勤してからはほとんど人と話すことがなくなった。他の部署とのコミュニケーションは、ほぼ100%メールだから、ほとんど一日中誰とも喋らず、パソコン画面を凝視してプログラム修正をしているのだ。きっと俺もこの孤独感が募って、こんな幻覚が見えてしまったのだろう。ヨット乗りと同じだ。さっさとシャワーを浴びて寝るとしよう。

 あえて「俺」を無視して、俺は服を脱ぎ風呂場へ行こうとした。

 「無視しないでくれ。幻覚じゃないんだ。君の協力が必要なんだ!」

 「俺」が叫んだ。 

 「今手続きをしたから、明日の朝には俺も元に戻れると思う。驚かせてすまない。」

 手続き?元に戻る?何の話か分からないが、幻覚の「俺」はその手続きのためにスマホで何かやっていたと言うわけか。いや、いけないいけない。幻覚なんだから。無視しよう。

 「なあ、幻覚なんかじゃない。無視しないでくれ」

 さすがにドキッとした。幻覚じゃない!とするとこいつは何なんだ?

 俺はもう一度じっくり「俺」を見た。やはり俺だ。ただ俺がこの世に二人いるわけはない。だからこれは幻覚でないわけがない、と思った時ふと奴のスマホに目がとまった。俺のスマホと似ているがちょっと違う?液晶画面以外スケルトン仕様!「俺」の手がうっすら透けて見えている。しかもキーボードの部分が立体的に少し浮き出ていて虹色に光っている。新型か?俺の視線に気付いた「俺」が答えた。

 「あ、これ?これはね、8G。超次元高速宇宙間通信対応。君のは5Gかな?いやまだ4G?」

 思わす俺は幻覚の「俺」に話しかけてしまった。

 「つまり、君は、未来の…俺か?」


(第2話へ続く)


 

 

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