生き物を大切にしたい

モグラ研二

生き物を大切にしたい

今日は、朝にコーヒーを飲んでいたら、外から声がした。おっさんたちの声である。下の階の部屋でガスの警報機が鳴っているらしい。おっさんたちは、話の内容では警察や消防の人々。


話を聞いていると、部屋の住人は不在か、または中で倒れている可能性がある、窓ガラスを粉砕し、住居内部に突入するか、という方向に、話は動いていた。


おっさんたちの声が、こそこそと秘密裏に話すような、絶妙に嫌な感じで、あまり聞きたくない声だと思っていたら、私の部屋のドアポストに、何か、棒状の機械が差し込まれた。ガス、異常ないです、と、おっさんの声がした。私はプライバシーを踏み躙られた不快感を、瞬時に覚えた。


そうして、ドアポストに猿の手みたいな毛むくじゃらで長いものが入ってきて、私の部屋のロックを外した。


警察官、消防士の恰好をした40代50代くらいのおっさん数人が、私の部屋に入って来た。みんな無言、無表情である。


私の部屋はワンルームだ。私は部屋の奥にあるベッドの上にいた。私は、声が出せなかった。よくあるフィクションのように「なんですか!」とか、デカい声を出すことは、不可能だった。首を絞められているような不快感がある。


警察官、消防士のおっさんたちは無言、無表情で衣服を脱ぎ始め、全裸になった。


全裸のおっさん。全員、腹の出たずんぐりした体型、脇毛、腕毛、胸毛、陰毛、スネ毛、足毛など、毛深く、そして加齢臭、ツンとくる汗の臭いが強い。生殖器も、全員黒ずんだ皮を被った状態で、豊富な恥垢が、その裏にはびっしりあると思われ、大変臭そうだ。

無言、無表情で、ワンルームのなか、数人の全裸のおっさんが、直立不動。それだけで、部屋は圧倒的に臭くなる。


私は声が出ないし、吐き気もしてきた。手で、口を押さえた。


一方で、そういう態度は失礼にあたるかも知れないという思いもあった。


彼らのなかに、かなり繊細な人がいて、私の態度を見て、ああ、俺って臭いのか、ああ、嫌だ、臭いカラダで生きたくない、もう死のうかな、とか、思い始めてしまい、繰り返し自殺未遂などするようになったら、非常に申し訳ない気がした。


また、そんなふうに考えることができる自分は良い人なのかも知れない、それは嬉しいことだ、という気持ちもあった。


善意の塊として、出来ればポジティブなことだけを話し続けたいという願望が、私にはある。

明るく、朗らかな態度で、人に不快感を与えない人生。


素晴らしい人生を、私は思い描く。


他人のことを否定して痛めつけて喜び、そして性的興奮するような奴には、なりたくないのだ……。


だが、臭いのは事実。私は素直に、臭いものは臭い、強い不快感がある、ということについて表明したいタイプ。


そうして、おっさんたちはそれぞれがそれぞれのチンポコを触り合う。おっさんたちは無言、無表情で、横になり、69の体勢、それぞれがそれぞれのチンポコをしゃぶり始めた。おっさんたちのチンポコは赤黒く勃起して、血管が浮き出ていた。ジュポ、ジュポ、と延々と続く音。


チンポコは美味いのだろうか。


臭気が凄い。吐きそうだった。チンポコから出ている臭いだろうか。


私は部屋から出た。自転車に乗り、ぐねぐねと伸びる黒いコンクリート道路を走った。


私は、多様性の時代だから、ああいう愛の形も認めないと不謹慎なのかしらん、と、なんとなく思った。あれはおぞましいとか、気色悪いとか、それは私個人の感想で、人類規模で見れば、あれを素晴らしい光景だと捉える人もいるはず。好みは人それぞれ。みんな違ってみんないいわけだから、それでいい。金子みすゞ万歳。


途中、電信柱の下で、太った60代くらいの男性が衣服を剥ぎ取られた状態でケツを路上に向けて縛られていて、女子高生数人から蹴りを入れられていた。うっせえわ!うっせえわ!うっせえ!うっせえ!女子高生たちは喚いていた。


「あたしたちは健康!あたしたちは健康!」


女子高生たちは叫び、怒りの形相で、蹴りを入れ続けている。


彼女たちが健康だろうが、健康でなかろうが、正直どうでもいいのであるが……。


太った60代男性は、ケツ毛の豊富に生えた肛門を剥き出しにして、泣いていた。静かに、泣いていた。


《静かに泣く》というのは詩的情緒を感じる場面の一つではないか。


おっさんのピュアな涙。毛のびっしり生えたおっさんの肛門がヒクヒク動いて。

おっさんの毛深い肛門に、詩的情緒を感じなければならない。そんなふうに、学校教育などで厳命される日が来るかも知れない。


現に、かなり進んだ絵画教室では、美しいものを美しいと言って描くだけではダメです、そんなのは二流以下です、と先生が述べて、ボロンと、その場で真珠やシリコンボールを埋め込んだ巨大化した男性器を露出し、これを、皆さんなりに美しく仕上げてみせなさい、と述べるのだという。


「私は私のペニーヌを出来るだけグロテスクにしたい。そしてそのグロテスクペニーヌを、みなさんがどれだけ美しく、自身の美学に基づいた解釈で表現できるのかを見てみたい。それが現代の芸術活動を切り開く大いなる使命なのだと認識している。」そのように、絵画教室の先生は話したそうだ。


私は、自転車で、畑と暗い民家の間を抜けて、荒屋みたいなところに行き、そこにいる黒いワンピースを着用した青白い肌、おかっぱ髪の女から、透明ビニール袋に入った金魚を貰った。小さな、赤い金魚だった。


「大切にしてね?生き物は大切にしてね?」

女は言った。


透明なビニール袋には水がたっぷり入っている。

その中に、赤い金魚はいて、泳ぎ回っている。


「生きているの。この子、生きているのよ」


私は無言で、金魚の入っているビニール袋を受け取り、再び自転車に乗り、ぐねぐねした黒いコンクリート道路を走った。


《生き物を大切にしたい》という善意に満ちた思いが、私のなかには溢れていて、それは止めようがないと思われた。


通り過ぎる畑、暗い民家。灯りの点いている民家など一つもなく、ほっかむりをした腰の曲がった人物が出て来ては、民家の前に置いてある樽のようなものの蓋をあけて覗いていた。覗くのは一瞬で、終わると蓋を閉めて民家に戻って行く。


恐らく、彼らはそれだけをして日々を過ごしていた。暗い民家のなかでじっと蹲り、時折、思い出したように外へ出て行く。


畑は荒れ果てていて、何もない。死んでいる畑しかない。


コンクリート道路は黒く、畑と民家の間を縫うようにして伸びていた。


「その自転車はわしのじゃ!」と、途中で禿げた老人、背の曲がった老人が叫んで、持っている透明なビニール袋の中に入っている大量の南京錠を投げてきたが、私は、全くその老人のことや、老人の自転車などのことを知らない。


多分、人違いなのだと思われた。


老人は小柄だが鬼のように怖い顔をしていた。頭髪は全て欠如、目は吊り上がり、口は大きく横に裂けている。

「わしの自転車じゃ!」


人違いで殺害されるのは誰だって嫌に決まっているから、私は自転車を漕ぐスピードを上げた。


信号無視をした時に犬か猫を撥ねたような気がしたが、今はそんな畜生どもの安否など、気にしている場合ではない。


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