第6話 のこぎりの刑

 長月の六日、岐阜に帰陣した信長一行は、

浅井、朝倉を討ち果たした喜びも早々に収め、

来たる北伊勢への出陣の支度に余念がなかった。


 信長は三年前の元亀元年、朝倉攻めの途中、

浅井長政に挟撃され、命からがら京へ戻り、

軍勢を立て直す為、岐阜へ向かった際、

杉谷善住坊なる鉄砲の名手に暗殺されかけたことがあった。

 善住坊は甲賀五十三家のひとつである杉谷家の忍者とも、

杉谷城の城主とも、賞金稼ぎとも言われ、信長の命を狙い、

十三間ほどの距離から二発銃撃したが、

信長はかすり傷のみで済んだ。


 信長の命を奪うことに失敗した善住坊は逃亡生活を送ったが、

暗殺されかけたことに激怒した信長の厳命で、

徹底した犯人探しが行われた。


 今回、信長が浅井長政を討ったことにより、

力関係を読んだ近江の領主、磯野員昌かずまさが、

領内の阿弥陀寺で善住坊を捕縛し、織田側に引き渡した。

 善住坊は織田家家臣に尋問された上、

信長が帰還した四日後に岐阜へ連行された。


 信長の怒りは鎮まらず、善住坊は処刑された。

地面に穴を掘り、中に善住坊を立たせ、肩まで土をかけて埋め、

生きたまま首を竹製ののこぎりで時間をかけて切断させた。

 これは鋸挽きのこびきの刑といって、主君殺しなど、

重罪人を罰する際の刑罰だった。


 信長は年来の鬱憤を晴らし、満足を得て、

機嫌が上がった。


 信長がのこぎりの刑を命じた時、仙千代はそこに居た。

 善住坊が引っ立てられて姿を現した時、

信長の顔に喜悦の色があった。

 鋸挽きという言葉を発した時は、むしろ茫洋とした面持ちで、

一瞬、眉間に皴が寄っただけだった。


 仙千代の鼓動は慌て、急いた。


 命を狙われた殿が、

善住坊を成敗なさるのは当然のこと……

なれど、鋸挽き刑とは……


 信忠への未練が断ち切れず、

信忠の初陣に連れていってほしいとせがんだり、

信長に侍っていながら、

信忠が姿を見せれば思いはそちらへ向かい、

偶さかたまさかには我が身を空疎に感じ、

虚空を見るような顔になっていることがある。


 若殿は、二人の間には何もなかった、

身綺麗なままの仙千代だと仰った、

本当にそうなのだろうか、

身はきれいでも、心は何を求めているのか……


 今の今、善住坊が、

時間をかけて首を切られているかと想像すると、

善住坊の顔に自分を当てはめ、仙千代は嫌な汗をかいた。


 殿は裏切りを許さない御人……

儂がしていることは、裏切りなのか……

いや、その前に、何の為、故郷を後にしたのか……

身を立て、万見の皆を幸せにする為だ……

惚れた腫れたは御勤めに邪魔のはず……


 信長に仕え、信忠の近くに行き、扶持を得て、

体調が思わしくない養父ちちを助けるという、

当初の目的は果たしているはずなのに、

現実は似て非なるもので、仙千代の中で何かが違っている。

 答えは簡単だった。

信忠への未練を断ち切れば良いだけだった。

信長の寵愛をばねにして懸命に働き、

立身出世を求めれば良いだけだった。


 それならずっと楽なのに……

若殿のことさえなかったら……


 虎御前山の夜、わずかな間でも信忠と過ごし、

同じ場所で同じ月を見、虫の音を聞いた。

信忠の存在に気付いたのは途中からで、

二人きりの時間を意識したのは短かったが、

それでも泣きたい位に幸せだった。


 「飛蝗ばったの鳴声が上手かった。月も面白く聴いたであろう」


 という声が耳に残って離れない。


 飛蝗以外は下手くそだったということか……


 言い回しに人柄が出ていた。


 若殿はお優しい御方……

逆に言えば、拾った手紙を持ち帰ったことで、

そんな御方をあれほどに怒らせてしまった……

怒らせ、嫌われた……


 最後はそこに行き着いてしまう。


 「仙千代!」


 はっと気付くと、炊事当番の手が休んでいた。


 「さっさとやらぬと夕餉に間に合わぬ。

何をぼーっとしとる」


 彦七郎に叱られた。


 「すまん、すまん!」


 仙千代は茄子を切りながら、善住坊はもう死んだのか、

まだ生き地獄を味わっているのか、考えた。




 




 


 


 




 


 


 



 


 



 


 

 


 



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