第4話 小谷城 陥落

 葉月二十七日、信長は羽柴秀吉に命じ、

浅井長政の居城、小谷城おだにじょうを攻撃させた。


 秀吉は城の京極丸に攻め込み、長政と父、久政の連携を遮断した。

 最初に浅井久政の居る小丸を攻略し、最期を悟った久政は、

家臣を呼び、切腹する旨を伝え、久政が自刃の後、

皆、討ち死にとなった。


 死の前に久政は、近侍の浅井福寿庵、

長年その舞いを好んだ猿楽師の森本鶴松大夫と盃を交わし、

久政を福寿庵が介錯し、福寿庵を鶴松大夫が介錯をした。


 鶴松大夫は、


 「主君と同じ座敷では畏れ多い」


 と言い、庭で自刃して果て、それを見た他の近侍も、

その後、素早く切腹して後を追ったという。


 同日、久政の首級を、

秀吉は虎御前山の信長に持参し、この話を告げた。


 時に混じる秀吉の尾張言葉は信長の顔をほころばせた。

 

 信長は秀吉の働きを誉め、

続く長政の討伐に手抜かりがないよう、注意を与えた。

 信忠は顔色を変えなかったが、口をきつく結び、

久政の首級を見ていた。


 「この地で儂を苦しめた両翼のひとつ、朝倉が滅し、

あとの浅井も、残るは長政のみ。

下克上で伸し上がった長政が、

つま、市の兄である儂を裏切ってでも旧恩顧の朝倉に付いたとは。

人の世は……いや、人の気持ちは分からぬものよ。

何かと意を異にする久政を追い込み、家督相続をした長政が、

最後、久政の意に従って、朝倉に殉じた。

儂には分からぬ。長政は血迷ったとしか思われぬ」


 秀吉は神妙な顔をし、聴き入っている。


 信長には仙千代、竹丸が侍っていた。

二人は扇で信長、信忠、秀吉に風を送った。


 秀吉が少しばかり、場の空気を変えた。


 「殿におかれましては、越前織田荘、

劔神社の神官であらせられた御先祖様の御無念を晴らされ、

まことに嬉しく思っております」


 「その話、知っておるのか」


 「はっ、柴田様や丹羽様ら、古参の御歴々からお伺いし、

新参の私も織田家の御先祖様方の御苦労を胸中に、

深く刻み込みましてございます」


 秀吉は上の者を立て、自らはへりくだる。

その上で、いかに自分が信長を崇敬し、

織田家に感謝しているか、伝えることも忘れない。


 「うむ」


 「聞けば二百年前の越前で、殿の御先祖様と朝倉の先祖が、

共に守護代で、勢力を争われていたとか。

当時の主家、斯波氏に付き従う形で織田様が尾張へ移られると、

朝倉は越前を我が物とし、後には殿の御舅殿、

美濃の斎藤氏と度々の交戦、

しかも、殿の御父上様にも度重なる嫌がらせ。

この浅井、朝倉征伐は、まこと、胸がすく思いでございます」


 秀吉の長講釈を信長は気分よく聞いている。


 仙千代にとり、はじめ、信長はただひたすら畏怖、

いや、恐怖さえ覚える存在だったが、

常に側に居るうちに、眉、眼、口、肩、手指、四肢、

信長のちょっとした変化で心の動きを知るようになった。

 今の信長は子守歌を聞くように、秀吉を受け容れていた。


 「この藤吉郎、

明日の小谷城攻めには是非、殿に御出陣いただき、

殿、御自らおんみずからの采配により、

軍勢に力を与えていただきとうございます!」


 勝利に向かい、何もかも整い終わった後に、

準備万端で秀吉は信長を小谷城に呼ぶ。

手柄の総仕上げをあくまで主君、信長に奉ずるその手管は、

仙千代のような小姓から見てさえ、

あからさまな阿りおもねりぶりではあるが、

では、秀吉が無為にして長政を追い詰めたかといえば否で、

兵糧が足りぬ、兵が足りぬという泣き言を秀吉は言わず、

知略と艱難の果てに手にした果実なのだった。

 その実りを、秀吉は信長に捧げる。

見え透いた阿りであろうとも、

見え透いているだけに罪がないと思うのか、

信長が秀吉を見る目は温かだった。


 「藤吉郎の所望とあらば、行かずにはおれまい。

明日は儂も出陣し、長政の最期をこの目が見届けてくれる。

折りをみて、市と娘三人は救い出す。

長政と夫婦仲は良かったようじゃが、戦の世の定め。

市も恨みに思うまい」


 「ははっ!」


 秀吉はこれ以上はないという態の平伏をした。


 市とその娘三人は、信忠にとり、

叔母、従姉妹達ということになる。


 婚姻同盟が始まりとはいえ、

織田家と浅井家が敵味方となった後も、

お市様は御子おこを産んでおられる……

ほんに仲の良い夫婦めおとだった御二人が、

明日、明後日には、生死を分けて離れ離れに……


 親しく手紙ふみを交わし、

思慕を募らせた武田家の松姫と、

戦によって繋がりを断ち切られた信忠の心境を思い、

仙千代の心は揺れた。


 翌日、信長も京極丸に入り、浅井長政を切腹に追い込んだ。


 途中、いったん交戦を止め、

浅井家に嫁していた小谷殿おだにどのこと、お市のかたと、

娘達、茶々、初、江を藤掛永勝が救出した。


 浅井長政父子の首級は獄門にかける為、京都へ送付され、

長政の十才になる嫡男は関ケ原で磔となった。

 

 北近江の浅井家の所領は、羽柴秀吉が賜って、

秀吉は初めて城持ちとなった。


 越前、北近江で思い通りの戦果を収め、

長月六日、信長は岐阜へ凱旋した。


 


 



 






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