第3話 吸われる命と吸わせる命①

「申し訳ありません。リーデロッテ様……」


 自身の背後にて。屋根の板に手を着き首を垂れる聖騎士団のメンバーにアルテレスは軽く手を振った。


「謝る事はありません。無事でいてくれて嬉しく思います。アレは、貴方達には荷が重過ぎました。私の判断ミスです」


 アルテレスの慈悲の言葉に、聖騎士団の女性はより一層頭を深く下げる。


「あの魔獣は彼らと、私に任せて下さい。貴方達は民の安全を最優先に動いてください」


「はっ!」


 聖騎士団達は散開し、群衆の中に溶け込んでいった。


 それと入れ替わるようにテーラが風に包まれ現れる。


「アルテレス様。ボンロイ殿の収容が完了致しました。命に別状はないとのことです」


「そうですか。それは良かったです」


「随分と、大事になっているように見受けられますが……?」


 狂気を纏いし姿に変貌したトトリオンの姿に、テーラは仮面の下で眉間を狭めた。


 下手をすれば多くの命が散り、このセラセレクタの街が崩壊しかねない。そう予感させるには十分過ぎる異形であった。


「そうですね。まさかここまでとは思いもしませんでした」


「私も参戦致しましょうか」


「止めておきなさい。彼らの足手纏いになるだけです。アナタも、民の安全を護る事に尽くすのです」


「……承知しました」


 優しい口調ではっきりと実力不足を指摘されたテーラ。一瞬言葉に詰まりながらも風と共にその場を去った。


 再び一人になったアルテレスは自身の中に眠る莫大な魔力を少しずつ呼び起こしながら、艶っぽい吐息を漏らす。彼女の熱い視線の先には、トトリオンの荒れ狂う四本の腕を掻い潜りながら肉薄する黒き鎧の姿があった。


(まさか、彼の戦う姿を見れることになるなんて……。とんだ嬉しい誤算だわ。目に焼き付けておかなくちゃ……)


 恍惚に瞳を溶かすアルテレス。心なしか、魔力の重点速度は普段よりも鈍かった。



 ―――



「マジでどうなってんだよコイツ!どんだけ殴ってもまるで効いてねぇぞ!」


 四本の腕を掻い潜りながら苛立たし気に叫ぶジル。鋼鉄のように硬い指先を脇腹に掠めながらも、もうこれで何度目になるか分からないメイスの一撃をトトリオンの顔に叩き込む。


 音は派手だが僅かによろめくだけでダメージは無い。更に、身長差故に攻撃の際はどうしても空中で無防備な姿勢を晒さなくてはならない為、激しい反撃に合う。


 何かが風を切る音が耳を貫いたかと思えば、強烈な薙ぎ払いがジルの胴にめり込むのだ。


「……ッ!!」


 衝突の衝撃で巻き上がる土砂の中からジルはすかさず大地を蹴る。苦悶している暇など無い。絶え間無く攻撃を仕掛け続けなければ、この魔獣の猛攻はあっという間に自分達を呑み込むだろう。そんな確信にも似た予感が彼を、彼らを突き動かしていた。


「うわわっ!」


 情けない悲鳴が耳を掠めたかと思うと、ロバートの傍をカミタカの身体が凄まじい勢いで落下していった。どうやらトトリオンに叩き付けられたらしい。地表が捲れ返り、大きな地鳴りが走る。


 しかし、カミタカはこれ好機とトトリオンの右足にしがみ付き、全身の肉を震わせた。


「ぬうぉおおお!!!」


 全身の血管が皮膚を裂く勢いで膨れ上がる。


 カミタカの咆哮と共に、トトリオンの巨躯が大きく後方へ傾いた。


 その隙を、ジルとロバートは逃さない。


 二人は同時に跳ね、物を振りかぶり、雄叫びを上げながら、渾身の一撃をトトリオンの頭部に叩き込んだ。


 見ていた群衆が反射的に耳を塞いでしまう程の轟音が響き渡る。


『……ッ!!!』


 ここで漸く、トトリオンは取り乱したような反応を見せ、後頭部から地面に沈んでいった。しかし、また直ぐに起き上がろうと動きを見せる。


「ふざけんなよ!どんだけブッ叩き続けてると思ってんだ!脳ミソ詰まってんのかコイツ!」


「ハハ、お前みたいだな」


「少なくともテメェよりは詰まってるよ色ボケ野郎」


 汗まみれの額を拭うロバートに舌打ちを贈るジル。


 傍から見れば攻めているのはジル達だが、消耗が激しいのは彼らの方だ。このままではこちらの体力がもたない。


 そう思い至ったロバートは、一旦剣を鞘に納め、ポツリと漏らす。


「しゃーない。使ぜ」


「待った!」


 ロバートの覚悟を止めたのはカミタカであった。鼻の奥に溜まった泥のような血を片鼻ずつ排出させながら駆け寄ってくる。


「何だよ。別に止める理由なんかないだろ」


 ロバートの包み始めていた淡い光が霧散する。


「それがあるんだよ。ねぇ、ジル。さっきから攻撃してて、何か気付かないかい?」


「ん?まぁ、いくら何でも硬過ぎるとは思うけど」


「……流石はジルだね~。そうじゃなくて、この魔獣、気のせいじゃなければ僕達の魔力を吸い取ってるよ」


 マジか。と素早く振り返り目を見開くロバートとジル。


「全然気付かなかった……」


「俺も……」


「ロバートは剣で攻撃してるからかもしれないね。ジルは魔力で造った鎧が触れてるから吸われてると思う。僕も結構持っていかれちゃってるね」


 眉を垂らしながらそうぼやくカミタカであったがまだまだ元気そうだ。


 ジルもがっつり吸われている筈なのだが、そのことに気付かない程膨大な魔力を有している彼にカミタカも苦笑を浮かべるしかない。


「直接触れるのがヤバいってことか?」


「かもね。近付いただけじゃ何とも無いし。もしかしたらさっきのパワーアップは僕らの魔力を吸ったからなのかもしれないね……」


 急に場の空気が変わる。


 良い所を見せるつもりが、もしかして自分達のせいでより厄介な状況に陥ってしまってるのではないか。そんな気まずい罪悪感が三人の間で漂い始める。


「……どうする?攻撃を続けるか?」


「それしか……ないんじゃないかな?他に現状を打開する策があるとは思えないし」


「じゃあ取り敢えず俺とジルが前衛で、カミタカは隙を突いて攻撃をぶち込む。って感じで行くか」


 同時に頷く三人。ふんわりとした、作戦とも呼べぬ作戦であるが、頭が筋肉に侵された彼らにはそれで十分だった。


「んじゃ、行きますか」


 気だるそうに肩を回し、今だ余裕を孕むジルであったが、しかし、次の瞬間、彼の鎧の下の表情が曇る。


 彼の眼前に映るのは、巨大な口から黒い泥のようなものを滝のように嘔吐しているトトリオンの姿であった。


 凝固した血液のように粘性のあるその黒く艶のある吐しゃ物はゆっくりと地面に広がって行った後、雲が落とした影のように巨大な黒は、まるで生き物のように地面を這い始める。


「うおおっ!?」


 身の危険を感じた三人は大きく跳躍し躱すが、その黒い影は一瞬の内に彼らを素通りしていった。


 一瞬の安堵の後、しまった、とカミタカが叫ぶ。


 その攻撃の狙いを三人が察した時には、セラセレクタの街を悲鳴が包んでいた。




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