第8話 聖女大興奮~悪魔の横暴を添えて~

「なぁ。瓶売ってる場所を知らないか?」


 気軽な口調で問う鎧姿の男であったが、問い掛けた先に居る三人の屈強な男達はそんなこと知るかと言わんばかりに幾度も幾度も攻撃を加えていた。


「くたばれ!」「兄貴の仇!」「うおおお!」


 各々がそれぞれの感情や想いを吐露しながら、力任せに斬り、叩き、殴ってくる。それぞれが屈強な戦士でありその豪快な攻撃は周囲の人間に本能的な避難を促すが、しかし、攻撃を受けている鎧はまるで微動だにせず、困ったように頬を掻いている。


「なぁってば。瓶を探してるんだよ。お前ら知らないか?」


「「「……」」」


 因縁や恨みや野望。そんな強い意志を抱きこの悪魔の前に立った筈なのだが、まるで巨大な湖の表面を叩き続けているような虚しさと気の抜けた相手の言葉に、三人ともが汗まみれの顔を見合わせ攻撃の手を止めた。


 勝てる勝てないの問題ではない。彼らではレッドデビルに敵としても、それどころか振り払うべき厄介とも認識されなかったのだ。虫以下の扱いを受けどうでも良くなる暴漢三人。その内の一人が頭を掻きむしりながら口を開いた。


「あ~……。知るかよ。俺達だって今日ここに初めて来たんだ。他の奴にでも聞け」


「そうか……。いや、悪かったな。今は忙しいから相手してやれないんだ。もしよかったら『猫の手』ってギルドのブースに来てくれ。暇な時に相手してやるよ」


「……いや、いいよ。もう……」


 気落ちする三人に対し、何か気の利いた言葉でもかけるべきかと悩むジル。その最中、一陣の風がその場に居た者達を撫でた。風は徐々に可視化され、黒みを増し、人影を構成していく。


 ジルがその異変に気付いた時、既に『聖女』はそこに居た。


「ごきげんよう皆様。何やら賑やかですね?」


 彼女の顔は変わらぬ慈愛で満ち溢れており、其の場に居た者を優しく撫でるかのように艶やかな黒の髪が揺れた。


『ヒッ……!!』


 喉の奥から捻り出したようなか細い悲鳴は暴漢三人から漏れたもの。あの黒き聖女を間近で目の当たりにする恐れ多さと、今の自分達が見られていた事実に対する恐怖で委縮し切っていた。


 周りで様子を見ていた人々も、突如として民衆の前に降り立ったアルテレスに騒然としていた。


「何か揉め事でございましょうか?」


「いっ、いやっ!そ、あっ、がっ……!す、すいませんでしたぁぁぁ~!!」


 暴漢達は情けない悲鳴を上げながら人ごみの中に消えていく。アルテレスはその様子を「あらあら」と眺め、そしてもう一方に鎮座していた鎧に暖かい笑みを振り撒いた。


「間に合って良かったです。大丈夫でしたか?」


「アンタが来なくても問題は無かったさ」


 ジルの突っぱねた返答に、周りで見ていた者達は恐怖と焦燥、そして怒りを滲ませていた。しかし、ジルにとっては知った事ではない。


「まぁいいや。アンタ、瓶売ってるところ知らない?」


「え……?」


「瓶だよ、瓶。瓶ぐらい分かるだろ?」


 民衆にどよめきが走る。先ほどとは違う気色の悲鳴も聞こえる。あの聖女に向かってなんて無礼な口の利き方だと、視線がそう訴えてくる。が、当のアルテレスは寧ろ嬉しそうに、仄かに桃色に染まった頬に手を当て答える。


「そうですね……。工業地帯に行けばあるとは思うのですが、それよりも薬屋さんのように瓶を使う商品を売っている店にお願いしてみる方が早いかもしれませんね」


「あ~。その手があったか。ちょっと探してみるよ。ありがとう」


「いえいえ。……あの~……」


「ん?何?まだ何かあんの?俺、急いでるんだけど……」


 何事も無く立ち去ろうとする男の背中へ、僅かに上擦った、どこか人間味のある聖女の声が掛けられる。アルテレスはそのつっけどんな反応に心の中で増々口を緩めつつ、表の清楚な表情は崩さずに続ける。


「酷く傲慢な問いに聞こえてしまうかもしれませんが、私の事、御存じでございましょうか?」


「敬語でも使えってか?」


 周囲の者共は熱い息を呑み、目の前の聖女は心の中で歓喜の咆哮を上げていた。常に誰からも謙り続けられる日々を送っていた彼女にとって、彼の態度はあまりにも刺激的であった。


「いえ、決してそのような不躾な事を言いたいわけではございません。ただ、私はあの高名なレッドデビル様と是非御挨拶がしたいと思いまして」


『レッドデビル』。その名に周りからは畏怖と納得の様相が窺えた。あまり名誉的ではない名を呼ばれ、ジルは鎧の下から深い息を漏らす。


「で、たいそう御高名な聖女様が?悪魔と呼ばれるこの俺に何の用だ?改心させにでも来たか?それとも懲らしめるつもりか?」


「とんでもないことです。先程も申し上げましたように、私はただ貴方様と挨拶がしたいだけなのです。……ですが、その鎧姿ですと、お顔を拝見することは難しそうですね……。なので、失礼します」


 アルテレスはにっこりと微笑むと、髪をくような所作で手を払った。その瞬間、ジルが纏っていた堅牢な鎧はまるで風を受けた蝋燭の火の様に掻き消されてしまった。


「……っ!?」


 蒼き貴族服姿を露にしたジルはその顔に仄かな動揺を刻む。彼女の言葉を受け意地悪くも鎧の強度を増幅させていたのだが、それが一瞬にして消し飛ばされてしまった。


 未曽有の体験に息を呑むジルであったが、目の前のアルテレスの瞳は隠し切れぬ輝きに満ちていた。


 神秘的な白い頭髪に、少々武骨だが整った顔つき。立派な貴族服を着こなす凛々しい体躯でありながらも頼もしさを醸し出すその肉付きは、聖女の中に秘められた劣情を沸騰させるには十分過だった。


 実は、彼女はかつてジルの姿を見たことがある。一番最近で言うと、第三帝国とのいざこざの際にこっそり見ていた。だが、こうして身近で見るのは初めての事である。


「フフ……。漸くお顔を拝見出来ましたね。では改めまして。わたくし、マリステルダ聖団が団長を務めます、アルテレス=リーデロッテと申します。以後、お見知りおきを……」


 漆黒のドレスを摘まみ、怪しげな微笑を浮かべながら小さく腰を落とす聖女を前に、ジルは眉を顰め、呟いた。


「ジル=リカルド」


 と。


 口が裂けても「よろしく」などと親しい言葉を発しようとしないジルを前に、アルテレスは愉しそうに口角を上げるのであった……。







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